市文化財保護協会の研修視察が明日に迫りました。ここ2日ほど資料づくりに没頭しました。「当市にゆかりを盛岡で確かめる」ことが私のテーマですが、私には盛岡でどうしても確かめたいことがあります。今回の研修視察は私が知りたい、確かめたいことを視察の内容に盛り込みました(昨年の九戸城等の見学も同じです)。
今回の資料(要項)の表紙はこちらのカラーの絵図(明和年間)です。盛岡のお城(紫色の屋根の所)から真北に五重塔が描かれています。この五重塔のあるお寺は南部家の菩提寺で歴代の藩主のお墓がある所です。この五重塔は今は1階しかありません。どうしてこうなったのでしょうか。下見に行ったときに一応の回答は隣の榊山神社の宮司さんからお聞きしていたのですが、どうもしっくりいきません。
絵図のようにこの聖寿禅寺は大伽藍配置になっていますが、今は小さな八角形のお寺さん(真新しい)が1つだけ残っています。
どうして大伽藍の寺院はなくなったのでしょうか。
今回の研修視察の目的はまずはこの疑問の解明にあったのです。そして目的の2つ目は当市の江戸時代の3つのお城のお殿様(城代、城預かり)は盛岡藩の家老さんであり、その住んでいた場所やお墓を確認することです。そして3つ目は当市の江戸時代の絵図面(盛岡中央公民館所蔵)の原画を閲覧することです。私の疑問や興味を参加者の共通のものとするために、一生懸命資料作りをしました。
歴代南部藩主の墓(昔は廟の中にありましたが・・・)
盛岡藩家老、中野氏、毛馬内氏、桜庭氏、北氏のお屋敷(明和年間)
歴代の家老さんの名簿も必要
お墓巡りには系図は必需品です。
昼食後の自由行動寺の案内図等々・・・
「墓巡りの多い旅行になったな!」といったら、「はかないね!」などと言われてしまいましたが、どうにか全16ページの資料は完成しました