癒しの庭Ⅲ

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研修視察で分かり記録として残して置きたいこと!

2008年08月29日 | Weblog

   関係ない人には全くないのですが、関係ある人には覚えておいて欲しいことです。(・・・もしかするとそれは僕だけかな!)

   当市の歴代の城主(南部藩の家老)様のお墓のある場所です。

   ①毛馬内九左衛門系の墓・・・・報恩寺(道路沿い、坂の上の方の電柱の側)

   ②毛馬内政次(権之助)-政氏-則氏(断絶)系の墓・・・・聖寿禅寺(研修視察では報恩寺で見つけることが出来なかったのですが、今朝工藤利悦氏より聖寿禅寺にあるとの電話連絡がありました。有り難うございました。)

   ③北氏の墓・・・・東禅寺(聖寿禅寺にある楢山佐渡墓から階段を下り隣のお寺-東禅寺-の墓地に入ってすぐ)

   ④柴内氏・・・・報恩寺(山門をくぐってすぐ左奥の左側、初代から10数代まで整然と並んでおり、立派な説明の石碑が建てられている)

   ⑤大光寺氏(中野氏以前の城代)・・・・報恩寺(山門をくぐってすぐ左奥の右側)

   ⑥中野氏(通し名の「吉兵衛」は「きちべえ」と読むのではなく、「きちひょうえ」と読むのが正しいとは工藤利悦氏の説)・・・・報恩寺(寺後の道路側から入って奥左の立派なお墓郡、「中野家11代の南部済愛の墓」がある)

   ⑦桜庭氏・・・・聖寿禅寺(楢山佐渡墓への階段をさらにいくらか上って右奥)
                     
                images   南部済愛さんのお墓

 報恩寺に「中野家11代の南部済愛(ただちか)さんのお墓」がありましたが、この方は明治2年5月11日まで私たちの町(旧)のご城代(殿様)であった方で、我が家の菩提寺にこの方のお墓がありました。


  どうにも気になるので確かめに行ったら間違いなく 「南部済愛さんのお墓」でした。どうして同じ人のお墓が盛岡市と当市の我が家の菩提寺にあるのでしょうか。

   答えは和尚様にお聞きすると分かると思うのですが、私の予想では我が家の菩提寺にあるのが本物で、盛岡市にあるのは「墓」とは書いてありますが「碑」だと思います。なぜならお墓の正面には「戒名」や「○○家之墓」と書くのが普通で、正面に生前の名前を書くことはありません。生前の名前を書くのはお墓の側面に書きます。「碑」の場合は正面に「○○之碑」と書きます。盛岡という土地柄かまたはそういう時期であったのか、もしくは私の予想とは違って分骨をしているのかもしれません。いつか和尚様からお聞きしたいと思います