
明治44年生まれの父は、いつもトランジスターラジオをつけて聞いていました。
とりわけ、落語が大好きでした。
父が大好きな私は、そのそばで横になりながら、一緒に落語を聞いていました。
今回
浅草では無いのです。
池袋演芸場です。
義姉の知人が出演すると言う事で、義姉のお供です。
12時半開演。12時に到着しましたが、行列。





ほんとは
主催者さんも出演者さんも
この混み具合、満席、立ち見状態には驚いたようです。
浅草の寄席ではお得意さんが集会?(笑)のように、ほぼほぼ混むらしいのですが、この池袋では❣️

日曜日の昼の部
三遊亭ごはんつぶ さんの二ツ目昇進かなぁ。
なかなかのイケメン🥰

控えめな話ぶりの中に、しっかり
落語会を斜めに表現したり
勿論社会風刺も。
語りも聞きやすい。
会場には
同級生かしらとおぼしき
若い方達が一角を連ねていました。

私は子供の頃、父が話してくれる料亭での芸者さんの話が好きでした。柳家小菊さんの都々逸と三味線に父を思い出し、なにやらほんわか良い気分でした。
いやあ、やっぱり皆さん
柳家喬太郎師匠を待っていました。

Jアラートネタが受けていました(о´∀`о)
寄席が終わって外に出たら
池袋は夜の街になっていました。
(柳家ごはんつぶさん、小菊さん、柳家喬太郎さんのお写真は落語協会HPよりお借りしました。)



新宿を、知り尽くした義姉も
池袋は知らないとのこと。
それではと
前に行ったけれど満席だった
生牡蠣のお店にリベンジ。



お写真を撮り忘れるほど、
いっぱい食べて呑んで。
春に兄が亡くなり
義姉が、どれほど気落ちしているか
心配だったけれど、
一緒に寄席に行こうと誘ってもらえて
一緒に笑えて良かった。
昔は落語も聞いてましたが最近は漫才ばかりで言葉で笑うって無くなりました
味がって良いですよね
義姉さんと笑えて食事会も
それに写真も綺麗に撮れてますね
街並みの雰囲気が解ります。
落語を生で見たのは学生時代新宿?の末廣亭
で見たとき位かな?
なまでじっくり聞いたらおもしろいのでしょうね~
生牡蠣のリベンジも出来、お義姉さんも
笑えることが出来よかったですね~
お兄さんが亡くなられても付き合いがあると言うことは良い関係だったのですね~
tomoさんもお兄さんが亡くなられて寂しいですね
お兄さんも2人の様子見て喜ばれてることでしょう?
本物の寄席は初めてです。地方ではお寺やイベントに来てくれて、木下サーカス的な楽しみでした。
12時半から16時半迄の長丁場、映画約2本⁉️。一人でしたら、お目当てさんで席を立っていたと思います。
でも、ぎっしり満席、狭い会場では抜け出せずってとこでしょうか。
ご褒美の岩牡蠣もまた絶品❣️
缶ビールを転がす訳にはいかず、お洒落にビールグラスを何度も開けました(*´∇`*)
風来坊の実兄よりも、義姉の方が何かにつけてお世話下されたので、お誘いを頂いた時何の迷いもありませんでした。
一年生さんに仰って頂いて、これはとても有難い事なんだと身に染みました。
兄が亡くなって、この義姉とのお付き合いが無くなるのかもと言う事が悲しかったのかも知れません(〃ω〃)
一年生さんは新宿でしたか。もし宜しければ新宿の思い出話などありましたらアップしてください。
義姉にブログで聞いた話だけれどって、お酒の肴にさせて頂きますね。新宿二丁目で50何年商売していました。