八ヶ岳田舎暮し 移住のススメ MORISH COUNTRY

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兄弟展をやります!

2010年03月02日 00時43分35秒 | Weblog
僕の家は、爺さんが絵描きで、父は日本デザイン創世記のメンバーの一人で、兄もオジサンもデザイナーです。
なので、物心ついた頃からデザイナーになることしか考えていませんでした。
そして、そのように進学し、上京し、デザイナーになりました。
気がつけば人生半世紀を超してしまいました。
なので、兄とデザインの兄弟展を開催しようと言うことになりました。

友枝家は、江戸時代には油屋友枝という屋号で両替商と旅籠を営んでいました。
しかし、僕らの世代には、そんな歴史が伝承されていませんでした。
ひょんな事から、兄が友枝のルーツを知ることになりました。
千年前からの歴史があり、京都の八坂神社(祇園さん)に仕えていたそうです。
肥後の国に祇園神社を造るときに、神人という役職で赴任してきたそうです。
今はその神社は北岡神社といいます。
http://www.kitaoka-jinja.or.jp/about_kitaoka/index.html
下記にその御由諸の一説を。

当神社は承平四年(934)第六十一代朱雀天皇の御代に、武勇名高い藤原保昌が肥後国司として下向された際、凶徒の叛乱と疫病の流行を鎮めるために京都の祇園社(八坂神社)の御分霊を勧請し、飽託郡湯原(現二本木五丁目)に府中の鎮護として創建されたのが始まりとされ、当地でも祇園社、祇園宮と尊称されていました。
 まもなく承平七年(937)には、湯原から程近い車屋敷(現二本木二丁目)に遷座され、京よりお供して来た神官・僧侶・伶人等もこの神域に居住していました。

その後、500年ほど後、加藤清正公が肥後の地を治めます。
友枝大膳という方が、能楽をたしなみ、喜多流の粗と言われています。
大膳翁は清正公の寵愛を受け、城内で能を舞っていたようです。
清正公より、新町という商人の町に、市を作るように銘ぜられ、商売も始めたようです。
屋号を油屋友枝として両替商と陣屋を営むようになりました。
細川氏の時代には、肥後を代表する豪商と記されています。

今回、兄弟展を開くにあたり、テーマ&タイトルを油屋友枝にしました。
僕らの代には、そうした先祖の歴史が何も伝承されていませんでしたので、先日帰郷し、市役所の古文書資料室に行き、調べてみました。そうしたら、色んな文献が保存されており、祇園から来て、清正公、細川氏に仕え、豪商になった事も色々記されていました。そしてその元本は永青文庫に保管されているそうですので、今度訪ねてみようと思います。
自分の知らなかった先祖の事を、探っていくのは結構楽しかったです。
翌日は、油屋友枝があったという米屋町1丁目界隈にも行ってみました。
江戸時代には、ここに大きな庄屋が建っていたのだろうと思いをはせると、ウキウキしてきました。
ああ、タイムマシンがあったなら、その時代にタイムスリップしてみたいです。

それで、今回の私の作品のテーマは、「もし、今も油屋友枝があったなら」ということで、
油屋リゾートという会社をイメージしたポスターを作ることにしました。
もちろん、その姉妹店は八ヶ岳にあるんですよ!(実現できたら楽しいなあ)

ただ今、その準備で東京にて悪戦苦闘の日々です。
東京の生活は、ある意味では便利なのですが、八ヶ岳のアクティブな暮らしになれていると
1日にメリハリが無く、何となく物足りない感じです。
まあ、その分作品作りには集中できます。

3/9~13日まで、西麻布のJAGDA TOKYOにて開催されます。
「油屋友枝Bros. EXHIBITION」
皆さん、お近くにお越しの節は、見に来てくださいね。

これを機会に、新しい人と仕事に巡り会えると嬉しいなあ!

詳細は下記にアクセス!
http://www.jagda.org/information/event/523
 

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