私は昭和54年4月に市役所に奉職しました。
その時に配属されたのが、選挙管理委員会事務局というところです。
その時の先輩方は、個性派ぞろいの集団でした。
ストレートに言うと、わがまま集団でした。選挙事務というのは、一種、お祭に似ています。というのも、一つの目的のために、心を一つにまとめていきながら目的を達成する、そんな仕事だからです。
それなのに、わがまま集団ですから、バラバラでまとまるのかと危惧しました。
でも絶妙にまとまっていくのです。自分の手が空けば指示されなくても誰か困っている人の仕事をアシストします。
私は、この習慣が身についたおかげで、何とか他の人よりはセクト主義にならなかったような気がします。
でも、一人だけ自分の手が空いていても他の人の仕事を手伝わない人がいました。
M先輩です。
M先輩は、啓発(PR)と開票事務の担当でした。
なぜそんなにわがままなのかと、当時の私は思ったものです。
そして、何年か後、その先輩の仕事を引き継いで気が付いたのです。
開票事務で失敗があると、それまで積み上げたものがすべて無に帰すのです。
M先輩は、そのことをよくわかっていたのです。
凄かったのは、集中力とそれにあわせたコンディションづくりです。
そして、もつと凄かったのは、引き継いだ直後から私に対して何も口出しをしなかったことです。傍で仕事を見ていたとはいえ、まだ不十分な私に「そこが悪い」といったことを一言も言わなかったのです。
失敗すればわかるし、覚える。でも、それが大きな失敗なら、すぐに助けてやる。
言葉では言われなかったのですが、ひしひしと伝わってきました。
この体験のおかげで今の私があります。
そして、M先輩は、ある仕事で幹部に逆らい閑職に追いやられました。
でも、それはあくまでも住民のことを考え、住民の安全を考えたゆえの考え方からきたものです。
多くを語ることの嫌いなM先輩。
でもわかっていますよ、あなたの筋の通し方。
M先輩、今も、あなたのそんな寡黙な背中を見ながら、自分のものにしている後輩が今もいることを覚えておいてくださいね。
その時に配属されたのが、選挙管理委員会事務局というところです。
その時の先輩方は、個性派ぞろいの集団でした。
ストレートに言うと、わがまま集団でした。選挙事務というのは、一種、お祭に似ています。というのも、一つの目的のために、心を一つにまとめていきながら目的を達成する、そんな仕事だからです。
それなのに、わがまま集団ですから、バラバラでまとまるのかと危惧しました。
でも絶妙にまとまっていくのです。自分の手が空けば指示されなくても誰か困っている人の仕事をアシストします。
私は、この習慣が身についたおかげで、何とか他の人よりはセクト主義にならなかったような気がします。
でも、一人だけ自分の手が空いていても他の人の仕事を手伝わない人がいました。
M先輩です。
M先輩は、啓発(PR)と開票事務の担当でした。
なぜそんなにわがままなのかと、当時の私は思ったものです。
そして、何年か後、その先輩の仕事を引き継いで気が付いたのです。
開票事務で失敗があると、それまで積み上げたものがすべて無に帰すのです。
M先輩は、そのことをよくわかっていたのです。
凄かったのは、集中力とそれにあわせたコンディションづくりです。
そして、もつと凄かったのは、引き継いだ直後から私に対して何も口出しをしなかったことです。傍で仕事を見ていたとはいえ、まだ不十分な私に「そこが悪い」といったことを一言も言わなかったのです。
失敗すればわかるし、覚える。でも、それが大きな失敗なら、すぐに助けてやる。
言葉では言われなかったのですが、ひしひしと伝わってきました。
この体験のおかげで今の私があります。
そして、M先輩は、ある仕事で幹部に逆らい閑職に追いやられました。
でも、それはあくまでも住民のことを考え、住民の安全を考えたゆえの考え方からきたものです。
多くを語ることの嫌いなM先輩。
でもわかっていますよ、あなたの筋の通し方。
M先輩、今も、あなたのそんな寡黙な背中を見ながら、自分のものにしている後輩が今もいることを覚えておいてくださいね。