10月7日は、松山の秋祭りです。
松山は、気候温暖で、人柄も温和な人が多いと言われます。
でも、お祭だけは別です。
旧松山市では、神輿(みこし)同士を鉢合わせする「喧嘩(けんか)神輿」が中心です。
また、旧北条市では、神輿を壊れるまで神社の階段から落とすというあらぽっいのもあります。(正確には、「おしょうね」という神輿の中にある御神体を取り出すまで奪い合うというもの)
私も若い頃には、この喧嘩神輿をかくのが好きで、お祭が近づくとドキドキし始めたものです。
でもいつしか、神輿をかく側からお世話する側に回ると、そのときめきがなくなるのです。不思議なものです。
それは、きっと神輿をぶつけたときに来る衝撃やかき手の一体感、かき手を煽(あお)る観客の声等など、自分が祭の華でなくなったことへの焦燥感見たいなものでしょうか。
そして、今日、書き手の少なくなった神輿が町内に回ったときのことです。
二人の外国人の姿を発見しました。
神輿も国際化してきているなあと、何か不思議な気持ちになりました。
松山は、気候温暖で、人柄も温和な人が多いと言われます。
でも、お祭だけは別です。
旧松山市では、神輿(みこし)同士を鉢合わせする「喧嘩(けんか)神輿」が中心です。
また、旧北条市では、神輿を壊れるまで神社の階段から落とすというあらぽっいのもあります。(正確には、「おしょうね」という神輿の中にある御神体を取り出すまで奪い合うというもの)
私も若い頃には、この喧嘩神輿をかくのが好きで、お祭が近づくとドキドキし始めたものです。
でもいつしか、神輿をかく側からお世話する側に回ると、そのときめきがなくなるのです。不思議なものです。
それは、きっと神輿をぶつけたときに来る衝撃やかき手の一体感、かき手を煽(あお)る観客の声等など、自分が祭の華でなくなったことへの焦燥感見たいなものでしょうか。
そして、今日、書き手の少なくなった神輿が町内に回ったときのことです。
二人の外国人の姿を発見しました。
神輿も国際化してきているなあと、何か不思議な気持ちになりました。