今日の新聞の死亡欄のところに滝平二郎(たきだいら・じろう)さんの死亡記事が載っていた。
滝平さんを知ったのは学生時代、多分「望郷編」とかいった切り絵画集で知ったのがきっかけだったような気がする。
私はその頃、版画家・棟方志功が大好きで、滝平さんの切り絵の主人公の目が棟方志功の作品の人物の目に似ていたので好きになったのを覚えています。
改めてその経歴を調べると次のようなものでした。
1921年、茨城県に生まれる。
1940年ごろから木版画をはじめ、1942年、造形版画協会第6回展に初出品。
戦後、日本美術会に参加して日本アンデパンダン展に出品。
1968年、第6回国際版画ビエンナーレ展に招待出品。
1970年から朝日新聞日曜版に、独自のきり絵を掲載して好評を博している。
現在、日本美術会委員、児童出版美術連盟会員。絵本の代表作には『八郎』『三コ』
(いずれも斎藤隆介作、福音館)、『花さき山』(岩崎書店)がある。
2009年5月16日、癌で死去。88歳。
そうか滝平さんは、もともとは木版画家だったのだ。
彼の作品は、見ようによっては怖くうつるかもしれない。
でも、よく見ていると温かいものを感じてきます。
だからこそ、多くの絵本を世に送り出し、それが評価されてきたのだと思う。
私が始めてみた画集には、さまざまな童謡の歌詞が記され、滝平さんのコメントが短く付け加えられていた。
今も覚えているのは、「五木の子守唄」の歌詞に、「これほど悲しい子守唄はない」と書かれていたような気がする。
彼の作品から何かが湧き出てくるのは、何よりも滝平さんがやさしい人だったからにちがいない。
冥福をお祈り申し上げます。
滝平さんを知ったのは学生時代、多分「望郷編」とかいった切り絵画集で知ったのがきっかけだったような気がする。
私はその頃、版画家・棟方志功が大好きで、滝平さんの切り絵の主人公の目が棟方志功の作品の人物の目に似ていたので好きになったのを覚えています。
改めてその経歴を調べると次のようなものでした。
1921年、茨城県に生まれる。
1940年ごろから木版画をはじめ、1942年、造形版画協会第6回展に初出品。
戦後、日本美術会に参加して日本アンデパンダン展に出品。
1968年、第6回国際版画ビエンナーレ展に招待出品。
1970年から朝日新聞日曜版に、独自のきり絵を掲載して好評を博している。
現在、日本美術会委員、児童出版美術連盟会員。絵本の代表作には『八郎』『三コ』
(いずれも斎藤隆介作、福音館)、『花さき山』(岩崎書店)がある。
2009年5月16日、癌で死去。88歳。
そうか滝平さんは、もともとは木版画家だったのだ。
彼の作品は、見ようによっては怖くうつるかもしれない。
でも、よく見ていると温かいものを感じてきます。
だからこそ、多くの絵本を世に送り出し、それが評価されてきたのだと思う。
私が始めてみた画集には、さまざまな童謡の歌詞が記され、滝平さんのコメントが短く付け加えられていた。
今も覚えているのは、「五木の子守唄」の歌詞に、「これほど悲しい子守唄はない」と書かれていたような気がする。
彼の作品から何かが湧き出てくるのは、何よりも滝平さんがやさしい人だったからにちがいない。
冥福をお祈り申し上げます。