日曜日の朝、テレビチャンネルを押していると「日曜美術館」で手が止まった。
雰囲気的に肖像画家の話であることはわかった。
私が見始めたシーンは彼が悩み苦悩しているところからだった。
そこで、前後をつなげるためにホームページから番組紹介記事を次のように引用する。
************************
「亡くなった娘を絵画で蘇らせて欲しい」。
1人の画家に来た依頼だ。
画家は独自の写実表現で注目される諏訪敦。
諏訪は以前、舞踏家の大野一雄を1年にわたり取材し、連作を描いた。
そして7年後に100歳を迎えた大野を再び取材し描いている。
諏訪は写実的に描くだけでなく、徹底した取材を重ねて対象となる人物と向き合い、人間の内面に迫ろうとする気鋭の画家だ。
依頼したのは、2008年の5月、南米ボリビア・ウユニ塩湖で交通事故に遭(あ)い炎上死した、鹿嶋恵里子さん(当時30)の両親である。
鹿嶋恵里子さんは結婚も決まり、結納式から10日後の突然の悲劇だった。
依頼した内容は、諏訪の絵によって快活な娘を蘇(よみがえ)らせて欲しい、というものだ。
亡き人を描くために彼はわずかな手掛かりを求め、さまざまな取材・手法から彼女の特徴を探っていく。
自分の表現としての作品性と、依頼した両親の娘に対する思いをどのように1枚の絵画に描いていくのか。
諏訪が悩み、葛藤していく様を撮影した。
番組では6か月にわたり諏訪と依頼した鹿嶋さん家族を取材。
親の思い・亡き人と向き合った彼の苦悩と完成までの軌跡を追った。
************************
「私の描く絵は本当に実在した娘さんではない。
写真から似せて描くことはできても本当の娘さんではない。
そんな絵をご両親(遺族)が見たとき、かえって失望しないか」と悩み苦悩する。
そして、思い悩んだ諏訪さんはあるNPOのドアを叩く。
そのNPOは事故や突然の死でその事実と向き合えない遺族の心をケアする団体だった。
彼は、自分の思いを伝える。
相談に乗ってくれた団体の人は次のように語りかける。
「あなたが単に写真を描く人なら遺族には何も伝わらないでしょう。
でも、あなたは描くために、遺族の方とたくさんの時間、その娘さんの話を聞いて描こうとしておられる。
遺族の知らない娘さんがいたはずです。
他人が知っている娘さんがいたはずです。
だからあなたは、あなたが感じたままの娘さんを描けばいいんです。
そして、それを見られたご遺族は新しい娘さんを発見でき、とても喜ばれると思いますよ。」
諏訪さんは「お話をお伺いし気が楽になりました」と丁寧にお礼を言うと、その後、一気に肖像画を描ききります。
その出来上がった絵を持って依頼主宅を訪ねました。
箱の中から絵が出てくると、両親の目からは涙が湧いてきます。
両親に時計をプレゼントされ、笑顔が出てくる直前の瞬間の絵です。
父親は泣きながら、「この絵は現実ではありません。そして娘も今は現実ではありません。でもこの絵の娘は間違いなく私たちの娘です」
きっとご両親は、残された人生において、ことあるごとにこの絵に語りかけることでしょう。
そして、娘とともに生きた日々を思い出しながら、時に笑い、時に涙ぐむことでしょう。
それは、ある人から見れば前向きな生き方にうつらないかもしれません。
しかし、ご両親にとっては幸福な時間ではないかと思うのです。
残された人生を、思い出とともに生きる。
そして、語りかけることで生きる糧につながる、そんな人生もあっていいと思います。
そして、世の中には数十億、数百億の値がつく絵画もありますが、ご両親にとっては、この絵がそれ以上の価値の絵になったことでしょう...
雰囲気的に肖像画家の話であることはわかった。
私が見始めたシーンは彼が悩み苦悩しているところからだった。
そこで、前後をつなげるためにホームページから番組紹介記事を次のように引用する。
************************
「亡くなった娘を絵画で蘇らせて欲しい」。
1人の画家に来た依頼だ。
画家は独自の写実表現で注目される諏訪敦。
諏訪は以前、舞踏家の大野一雄を1年にわたり取材し、連作を描いた。
そして7年後に100歳を迎えた大野を再び取材し描いている。
諏訪は写実的に描くだけでなく、徹底した取材を重ねて対象となる人物と向き合い、人間の内面に迫ろうとする気鋭の画家だ。
依頼したのは、2008年の5月、南米ボリビア・ウユニ塩湖で交通事故に遭(あ)い炎上死した、鹿嶋恵里子さん(当時30)の両親である。
鹿嶋恵里子さんは結婚も決まり、結納式から10日後の突然の悲劇だった。
依頼した内容は、諏訪の絵によって快活な娘を蘇(よみがえ)らせて欲しい、というものだ。
亡き人を描くために彼はわずかな手掛かりを求め、さまざまな取材・手法から彼女の特徴を探っていく。
自分の表現としての作品性と、依頼した両親の娘に対する思いをどのように1枚の絵画に描いていくのか。
諏訪が悩み、葛藤していく様を撮影した。
番組では6か月にわたり諏訪と依頼した鹿嶋さん家族を取材。
親の思い・亡き人と向き合った彼の苦悩と完成までの軌跡を追った。
************************
「私の描く絵は本当に実在した娘さんではない。
写真から似せて描くことはできても本当の娘さんではない。
そんな絵をご両親(遺族)が見たとき、かえって失望しないか」と悩み苦悩する。
そして、思い悩んだ諏訪さんはあるNPOのドアを叩く。
そのNPOは事故や突然の死でその事実と向き合えない遺族の心をケアする団体だった。
彼は、自分の思いを伝える。
相談に乗ってくれた団体の人は次のように語りかける。
「あなたが単に写真を描く人なら遺族には何も伝わらないでしょう。
でも、あなたは描くために、遺族の方とたくさんの時間、その娘さんの話を聞いて描こうとしておられる。
遺族の知らない娘さんがいたはずです。
他人が知っている娘さんがいたはずです。
だからあなたは、あなたが感じたままの娘さんを描けばいいんです。
そして、それを見られたご遺族は新しい娘さんを発見でき、とても喜ばれると思いますよ。」
諏訪さんは「お話をお伺いし気が楽になりました」と丁寧にお礼を言うと、その後、一気に肖像画を描ききります。
その出来上がった絵を持って依頼主宅を訪ねました。
箱の中から絵が出てくると、両親の目からは涙が湧いてきます。
両親に時計をプレゼントされ、笑顔が出てくる直前の瞬間の絵です。
父親は泣きながら、「この絵は現実ではありません。そして娘も今は現実ではありません。でもこの絵の娘は間違いなく私たちの娘です」
きっとご両親は、残された人生において、ことあるごとにこの絵に語りかけることでしょう。
そして、娘とともに生きた日々を思い出しながら、時に笑い、時に涙ぐむことでしょう。
それは、ある人から見れば前向きな生き方にうつらないかもしれません。
しかし、ご両親にとっては幸福な時間ではないかと思うのです。
残された人生を、思い出とともに生きる。
そして、語りかけることで生きる糧につながる、そんな人生もあっていいと思います。
そして、世の中には数十億、数百億の値がつく絵画もありますが、ご両親にとっては、この絵がそれ以上の価値の絵になったことでしょう...