三津浜・厳島神社のけんか神輿は、漁師の三津地区と百姓の古三津地区が競い合ったところから生まれたといわれています。
そうやって観ると、なるほどと思われるところがあります。
例えば、神輿をぶつけ合うためには、一度引いて体制を整えなければなりません。
そのためには、まず、乗り手とかき手が一体となる必要があります。
また、相手と戦うためには、相手を挑発し、己の力を鼓舞する演出も必要です。
乱暴かもしれませんが、ここにまちづくりのコツがあるような気がするのです。
例えば、古三津地区の場合、体制を整える間、かき手の勝負への執着心が低下すると困りますので、継続するために唄を唄いはじめます。
今回聴いたのが、「農兵節」でした。
富士の白雪ゃノーエ
白雪ゃ朝日でとける
とけて流れてノーエ
とけてサイサイ
流れて三島にそそぐ
三島女郎衆はノーエ
女郎衆は御化粧がながい
御化粧ながけりゃノーエ
御化粧サイサイ
ながけりゃ御客がおこる
御客おこればノーエ
御客おこれば石の地蔵さん
石の地蔵さんはノーエ
石のサイサイ
地蔵さんは頭が丸い
頭丸けりゃノーエ
頭サイサイ
丸けりゃからすが止る
烏とまればノーエ
からすサイサイ
とまれば娘島田
娘島田はノーエ
娘サイサイ
島田は情けでとける
なぜ、この唄だったのかはわかりませんが、きっと百姓にとっては他の地域の唄でも、その心情がピッタリと当てはまっていたのかもしれません。
祭りは、豊作や豊漁を祈願して祝うといわれていますが、日々の労働の苦しさを祭りで発散し、明日から新たに立ち向かうといった心意気があったようにも思えてなりません。
そして、この農兵節を乗り手が唄い始めると、誰ともなく自然にかき手が続きます。
その歌声はだんだん高くなり、一心同体になっていくのです。
これをまちづくりに当てはめていくと、単純明快な目標に対してリーダーと地域住民が合意し形成していきます。
そして、自分たちの地域を愛するための仕掛けが必要になります。
その方法のひとつとして、その郷土愛を高めていくための愛唱歌をつくり、さまざまな機会に歌い継ぎながら、目標に向かって鼓舞するとともにそのベクトルから外れないよう、常に軌道修正を行います。
そして、何よりも大切なのは、かき手と乗り手の新陳代謝がおこる仕組みづくりを行い、実践することが大切です。
そういえば子どもの頃、獅子舞のお囃子の太鼓を子どもたちが何人かで見ていると、
「叩きたいか?」と聞いてくれ、
子どもたちに平等に叩かせてもらえた思い出があります。
そして、その中から筋のいい子に
「坊、お前、筋がええのう」といって後継者を決めるのです。
子どもたちも、誰が一番上手いかは聴いていてわかるので、その子が選ばれても何の疑念も抱きません。
その子には、特訓が待っているのですが、好きだから続く。
大衆伝統芸能の継承は、同じようなストーリーで決まっていたような気がします。
私たちの周りには先人が残してくれた知恵がいっぱい詰まっています...