トーネードの無職生活

無職生活で日常どのように過ごしいてるのか?
ウォーシミュレイションゲーム
日ごろ思ったことを書いていきます。

機体とエンジン

2016-02-23 09:57:14 | 日記
 第二次世界大戦での名戦闘機は機体設計とエンジンが絶妙に高度なバランスをとったとき、名戦闘機が生まれています。

 日本のゼロ戦と栄。ドイツのメッサーシュミットBf109とDB601。イギリスのスピットファイアーとマーリン。アメリカのコルセアやヘルキャットとダブルワスプ。そしてムスタングとマーリン。どれも優れた機体設計と優れたエンジンがバランスしている名機です。

 アメリカ、イギリス、ドイツともエンジンについては大戦初期には1000馬力級でしたが、次々と改良を加えて2000馬力級まで発展させました。ところが、日本の場合は1000馬力級の栄は安定したエンジンでしたが、その次になる1500馬力級のエンジンがなかなか開発できず、開発に挑戦したのは十四気筒の栄を十八気筒化した誉エンジンで2000馬力を狙いました。

 もし平時に時間をかけエンジンひとつづつを熟練した職人が作っていたら、安定して2000馬力を発揮するエンジンとなったかもしれません。しかし、残念ながら戦時そして不利な情勢となり材料、燃料などに制限が加わってきて、造る人も勤労動員の学生となってくると安定した性能を発揮するエンジンとはなりませんでした。

 海軍は戦争末期、ほとんどの機体に誉を搭載しました。ひとつのエンジンに絞って集中して生産する方が効率も良いといえますが、残念ながら造られたエンジンの性能はカタログ値に達せず、ゼロ戦の後継機の烈風にも誉が搭載されましたが、馬力がちゃんと出ておらず烈風は性能を発揮することができませんでした。その後三菱製の馬力の強いエンジンに換装したところ所定の性能を発揮したとのことです。

 同じようなことは陸軍の三式戦飛燕にも言えます。搭載したドイツのDB601をライセンス生産したハ40は日本の工業力では手にあまるエンジンで、エンジンが快調ならば飛燕は能力を発揮しましたが、パイロットはいつエンジンにトラブルが出るかと不安を抱えながら飛んでいたようです。そして、ハ40の性能向上型ハ140を搭載しようとしましたが、ハ140を生産するだけの力は日本にはありませんでした。機体はできたけれどもエンジンが届かないため首なしの機体が工場に並ぶことになりました。

 そこで陸軍ではハ140の液冷エンジンをあきらめて1500馬力級の空冷エンジンのハ112に換装しました。そうしたらスピードこそ遅くなったものの操縦性ではアメリカの戦闘機に対しても十分に対抗できるものになり、エンジンに対する不安もなくなり五式戦として正式採用されたのでした。

 ということで、名機は機体とエンジンの絶妙なバランスのうえに成り立つものでした。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿