トーネードの無職生活

無職生活で日常どのように過ごしいてるのか?
ウォーシミュレイションゲーム
日ごろ思ったことを書いていきます。

デイケアに通い始めることになる

2019-05-30 04:00:24 | 日記
 以前、今通っている精神科の病院でB型の作業所のことなどを先生と相談して区役所の担当者とも面談を行い、デイケアに通うのが良いのではないかということとなっていました。今通っている病院にはデイケアがありまして、特に毎週水曜日の午後にはアルコール依存の方が集まってのプログラムが組まれています。そんなことで先週の水曜日にそのデイケアを見学してきました。参加されている方の雰囲気がとても和気あいあいしていて、変に癖のある人ばかりいるという感じではなくてとても良い雰囲気だったので、自分も参加できそうだなと感じたのでした。

 そこで日付的には昨日になりますが、精神科の診察があったので、デイケアに通ってみたいと先生にお話ししました。先生からデイケアの担当の方にご連絡いただき、診察後にデイケアのご担当と面談を行いました。

 まず水曜日のアルコール依存のデイケアに来週の水曜日から通うことになりました。一般のデイケアは毎日行われているのですが、これまで会社を退職してからというかその前から休職と復職を繰り返してきたわけで、その間、休んでいる間はとにかく独りで過ごしてきたわけで、特に生活保護を受けてからは人と会話をするということがほとんどない状態なのと、生活するうえで誰からも制約を受けることがなかったわけで好き勝手な生活をしてきました。そのような人間が急に毎日のようにデイケアといえども決められた時間に決められた場所に通うというのはちときついかなと思いました。

 そこで、まず最初は水曜日のアルコール依存のデイケアのみに通って、それに慣れてきたら普通のデイケアに週二回ぐらいから、それも時間的には3時間というシュートのデイケアに通うようにして慣らしていこうかなと思っています。

 いままでの毎日はネットの記事を読み、ゲームをし、CATCに録画した番組を見、読書をするという生活でした。そして近くに親類縁者もいませんので人と接することもほとんどない生活でした。このような生活を別に苦痛に感じていませんでしたし快適に過ごしていました。これからはその時間をちょっとけずって人と接する時間を増やしていこうということです。新しい刺激を受けることとなりますが、ストレスにならない範囲でデイケアに通っていこうと思っています。



「軍艦エムデン死闘の記録」を読む

2019-05-28 16:34:04 | 日記
 「軍艦エムデン死闘の記録」を読みました。エムデンとは第一次世界大戦時のドイツの軽巡洋艦で、当時ドイツが清から租借していた青島のドイツ極東艦隊に所属していました。大戦が勃発し日本がイギリス側について参戦することになりそうだということからドイツ極東艦隊は青島を出港しました。エムデンは通商破壊作戦のため本体から離れてインド洋を目指しました。

 エムデンはフォン・ミュラー館長のもとインド洋で神出鬼没な通商破壊戦を行いました。イギリス海軍の有力な艦隊がいなかったこともありますが、戦果は次々とあがり、ペナン島などのイギリスの基地も攻撃したりしました。イギリスはエムデンがどこにいるのかまったくつかめず、インド方面との通商は大混乱に陥りました。

 エムデン艦長のフォン・ミュラーはイギリスの輸送船を沈めるとき乗組員が完全に下船してから輸送船を沈め犠牲者を出しませんでした。そして引き連れている船に乗組員を収容し、一定の時期に収容した乗組員たちの乗った船を解放しました。その紳士的な態度はイギリスからも評価されました。

 エムデンの最後は、ココス島にあるイギリスの通信施設を破壊しようとして島に接近し、部隊を派遣して通信ケーブルの切断などを行っていたとき、たまたまその時イギリスの輸送船団がココス島を目指して進んでおりごく近くまで来ていました。護衛していた重巡洋艦シドニーはココス島の不自然な無線からココス島に急行しました。エムデンはイギリス軍艦の接近を知って出港、迎え撃ちますが軽巡洋艦では重巡洋艦には砲撃ではかないません。シドニーの砲撃を浴びてエムデンは辛くも座礁して沈没をまぬがれ、乗組員はイギリス軍の捕虜となりました。

 ココス島に上陸して通信ケーブルの切断を行っていた部隊はエムデンが破壊されたことを知ると、島にあった帆船を奪ってバタビアに向けて出港、なんとかたどりつきその後、冒険小説が一冊かけるほどの困難に陥りましたがそこから脱出して同盟国のトルコに入り、ドイツへと帰国したのでした。

 エムデンの活躍には艦長のフォン・ミュラーの洞察力というか先を見通す力が大きく影響していると思います。このように行動すれば、敵はこのように思ってこうするだろう。であるからその逆のここの海域で商船狩りをしようというように、自分のいる位置を敵に知られることなく先手をうって意表をついた海域に移動して戦果を挙げる。そこがとてもすごいところです。

 それから当時の船は石炭炊きですから石炭を積んだ別の船を確保しておくことが必要でした。これもたまたま捕らえた商船が良質な石炭を満載した船だったりしたラッキーなところはありましたが、常に石炭を確保していたことは大きな力となりました。

 いまでも通商破壊戦といえばエムデンが真っ先にあがる船となったのでした。


ダスライヒに関する番組を見る

2019-05-27 15:23:15 | 日記
 NHKのBSで放送されて録画しておいたダスライヒに関する番組を見ました。ダスライヒとは第二次世界大戦のナチスドイツの武装親衛隊の第2SS装甲師団ダスライヒのことです。武装親衛隊とは何かというと国防軍の陸軍とは別に親衛隊のヒトラーの護衛から発展した部隊で、ヒトラーに忠誠を誓ったヒトラーの私兵ともいえる部隊です。当初は小規模な部隊でしたが、徐々に発展して武装親衛隊の装甲師団は陸軍の装甲師団よりも戦力が充実して、強力な部隊となりました。

 親衛隊というとアーリア人至上主義の権化のような印象ですが、武装親衛隊に限ってはそれが当てはまらなくて、占領した地域に住むドイツ系の人たちを兵力に加えることや、北欧などのアーリア人の義勇兵を部隊化するのはまだ理解できます。ところが、極端な例ではボスニアのイスラム教徒の武装親衛隊の師団を作ったりしていて、これで親衛隊といえるのかというような師団まであったりします。

 番組ではダスライヒがフランスに駐屯して戦力を回復中に連合軍がノルマンディーに上陸してきてからの動きを中心に、当時のフィルムをカラー化して放映されています。そして駐屯していた地域からノルマンディー方面に進むときにマキなどの反ドイツの武装勢力などを攻撃して、住人なども虐殺していたことを明らかにしています。それはダスライヒが東部戦線の独ソ戦で行ってきたことを西部戦線のフランスでも行ったということでした。

 ただ、放映されたフィルムを見て感じたのはすべてのフィルムがダスライヒなのかなという疑問でした。これだけの量のフィルムをダスライヒだけで撮影したとは思われない感じもします。直接的に関係ない場面では他部隊を撮影したフイルムを使ったりしているような気がします。あと、どうみても空軍の降下猟兵の部隊が写っていたりして、ちょっと放映されたフィルム全部を信ずることはできない感じもしました。

 武装親衛隊については陸軍と同様に戦った部隊で軍隊であると主張をする人もあり、また今回の放送のように虐殺に手をそめていたと主張する人もありということで意見が分かれるところです。では陸軍の部隊ではそのようなことはなかったのかというと、それもまた絶対にとは言えないところがあったりするわけです。ただ、放送の中では戦後、虐殺の戦犯としてダスライヒの師団長がフランスに引き渡されて裁判にかけられたかというと、引き渡し要求にドイツが応ぜず師団長は天寿を全うしたとのことです。

 今回の番組はフィルムにちょっと疑問がある場面があったりしましたが、ダスライヒという武装親衛隊のエリート部隊をとりあげてその実態を明らかにするという意味では良い番組だったなと感じたところです。


ハンドボールのクロアチア対ポーランド戦を見る

2019-05-26 01:42:09 | 日記
 前回書きこんだのと同様にブルーレイレコーダーのハードディスクの肥やしになっていた、リオデシャネイロオリンピックのハンドボールの準々決勝クロアチア対ポーランド戦を見ました。クロアチアがA組の一位、ポーランドがB組の四位です。クロアチアは以前見たスロベニア対ポーランド戦のスロベニアと同じく旧ユーゴスラビアなのでなかなかの強国だと思いますし、A組を一位で通過したしたということからも以前見たポーランドよりも有利であろうとの思いで見ていました。

 前半はクロアチア、ポーランドとも互角の戦いで一進一退の戦いでなかなか見ごたえがありました。どちらかというとポーランドが善戦しているという感じを受けました。後半になりますと、ゲームの主導権は徐々にポーランドが握ったという感じでした。クロアチアが点差を詰めようとしてもポーランドが2点差以上をキープして詰めさせない。特にポーランドのキーパーの守りが光っていました。クロアチアのシュートをかなり止めていたのでクロアチアが点差を詰めることができない状況を作り出しました。

 最終的にポーランドがクロアチアに勝利して準決勝に進みデンマークと対戦することとなります。もう一方の山の準決勝はドイツ対フランスというこれまたとても面白そうな試合で、もれなくハンドポールの試合は録画したはずなのでドイツ対フランス戦を見ることができるはず。これは見逃せない試合です。

 ということで、ヨーロッパのチームの試合はやっぱり面白いなあと感じたところです。どこかCSのスポーツ放送をしている曲がヨーロツパのリーグ戦の中継をやってくれないかなあと切に感じているところです。


ハンドボールのカタール対フランス戦を見る

2019-05-19 01:20:08 | 日記
 長らくブルーレイプレイヤーのハードディスクの肥やしになっていた、リオデジャネイロオリンピックのハンドボールのカタール対フランス戦を見ました。フランスはこれまでオリンピック二連覇中でリオデジャネイロオリンピックで優勝すれば三連覇になるとのことです。カタールはアジアからの唯一の出場チヘムのようなのですが、中心選手はヨーロッパ出身でカタールに帰化した選手が中心とのこと。2015の世界選手権では決勝をカタールとフランスが戦いフランスが勝利したとのことで、カタールもなかなか強いチームのようです。

 前半戦の序盤にはカタールの選手がロングシュートを次々と決めました。通常ゴールから9mのラインに点線が引かれているのですが、その点線のあたりでジャンプしてシュートを打ちます。ところがカタールの選手はほぼ10mぐらいの距離からジャンプしてシュートを決めていました。ディフェンスもそこまでは詰められないのでフリーにシュートを打たれることになるのですが、普通だとその距離からだとなかなかシュートを決めるのは難しいのですが、決められてしまうと対策をとらねばならなくなります。

 フランスはバランスの良い攻撃をしていました。ロングシュート、ポスト、サイドシュート、カットインと多彩な攻撃で得点を重ねますが、とにかく身体能力が高いのとパワーがものすごいのに驚きました。カットインではディフェンス2人に挟まれながらもパワーでシュートをゴールにねじ込んでしまいます。このものすごいパワーはこれまで見たことがありません。

 前半戦はフランスが3点リードして折り返しとなりましたがほぼ互角の戦いといえると思いました。ところが後半戦が始まるとパタリとカタールの得点が止まりました。たぶんフランスのディフェンスが前に詰めるようになってきて、カタールの選手の球回しが窮屈になってロングシュートが打てなくなったのが要因かなと思います。苦し紛れに打ったシュートはフランスのキーパーが確実に止めてフランスの攻撃に移るので、徐々に点差が開いてきました。そして後半は完全にフランスがペースを握って、ほぼ好きなようにプレイして得点を重ねて大差でフランスの勝利となりました。

 試合には関係ないのですが、試合の映像の中で選手がボールをつかんでいるシーンが大写しになった時がありました。いやまあボールの半分を手のひらでつかんでいるって感じです。それを見てとてもうらやましく感じました。私は手が小さくてほとんどボールをつかめません。普通の男の手のひらの大きさと比較すると指のひと関節分小さい感じです。ほとんど女性の手と同じ大きさです。ですから、ボールをつかんでふりまわすようなプレーができなかったんですよね。ですから手が大きいことにあこがれます。

 まだ数試合リオデシャネイロオリンピックのハンドボールの試合の録画があるので、おいおい見ていこうと思います。