よくあることなのだが,一見単純そうな仕事ほど単純でない.
その一方,複雑そうなものも,それほど複雑でない.
後者は充実感に充ち溢れることができ,前者はドツボ.
ありえないことが結構起こるのは,ありえないと思っていること自体が希望的観測を多く含むから.
絶望的観測を持って事に当たると,予言者に祀り上げられることがたまにあるが,それって結局はうれしくない.
「なぜだ?」って叫びたいところだが,熱力学や情報理論でエントロピーまで落とし込むと,わかりにくさがわかりやすい―――ということは,そんなもんだってことか.
わかっていると救われないが,わかろうとしないと福音が聞こえる.
苦しみは喜びである.
どこまで信じ,どこから疑うのか?
これって不確定性原理?シュレディンガーの猫?
...などと,悩みを物理の世界に持ち込むと,不思議とDBが頭の中の多次元中でシンプルなオブジェクトになって浮遊し結合が太くて柔らかいゴムロープになってテーブルやクエリを繋ぐ.
考えているのか,考えていないのか,よくわからないが,考えないことを考え続けることでも福音は聞こえるのではないだろうか.
思考の複素平面上では自由が与えられていない方が不自然な気がなんとなくする.
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