8 さらば聖徳太子~アニュス・デイ
1981年2月にローマ教皇ヨハネ・パウロ2世が来日した時は、大騒ぎだった。ルーカス神父を始めとした教会関係者が大忙しだったのはもちろんだが、栄子もあちこち走り回っていた。この時には、日本中ににわか信者、ミーハー信者が大量に発生したのだった。もちろん宇八は、こんな一時的なブームにはそっぽを向いていた。ヴァチカンの実態も、政治的な思惑も知らないおめでたい奴らが踊らされてやがると思っていたのだった。
「あんたの曲も出来上がっていれば教皇様に献呈できたかもしれないのに。広島のアピールのときに上演ってことも……」と栄子が言うのに、
「あんな口当たりのいいアピールで、原爆で死んだ人たちが浮かばれるとでも思っているのか? 今さらなんだってもんだ」と毒付いていた。
この時期、こうした一過性の騒ぎに彼は、不愉快な思いを抱いていただけでなく、肝心の『アニュス・デイ』の作曲への意欲を失いかけていた。というのもキリスト教自体に彼としては深刻な疑問を抱いていたからだった。その理由は、昔から理解しにくかった三位一体、父と子と聖霊の意味がこの騒ぎで、なんとなくわかってしまったからだった。いつもながら論理的な話ではない。いずれにしても三位一体が理解できたなら信仰への道を歩んでもよさそうなものだが、そこがこの男の困ったところ、いっぷう変わったところである。
彼がいささか強引に考えたところによれば、“父”とはユダヤ教の神、旧約聖書に表わされたヤハウェのことであり、“子”とはもちろん新約聖書に表わされたイエス・キリスト、“聖霊”とはそれらの間に見え隠れする土着宗教の神々なのである。聖霊は一神教的な神ではなく、ドルイド教やゲルマン神話など、まあ、なんでもいいのだがそういった神々なのである。つまり、三位一体なんてのは、全然別個に誕生した“神”を無理矢理くっつけたもので、わかりにくいのは当然であり、だからこそそれらの関係が神学上の大きなテーマになるのである。まあ日本の神仏混淆と変わるところはない。カトリックの11月1日の『万聖節』や翌日のレクイエムが演奏される『万霊節』といった行事は土俗性に満ちていて、正月やお盆、お彼岸と同様のものである。言うまでもなく、日本のそうした季節の行事、お寺のかき入れ時は元々のお釈迦様の教えとは無関係である。
そんなふうにわかってしまえば、誰でも思いつきそうな簡単なことで、どうせ誰かがどこかで言っていると思うと、よけいにがっかりしてしまった。キリスト個人が言ったことはすばらしいが、それ以外のものはなじみにくいことばかりで、何も信仰など持つに及ばない。まあ、前からそうは思っていたのだが、今改めて醒めてしまったのだった。
世の中というものは皮肉にできているもので、彼がレクイエムを完成させる気がなくなりつつある、ちょうどその時、ルーカス神父によれば逆に東京において彼の作品を演奏しようという動きが進行しつつあった。神父の熱意が教団を動かし、これとマスコミに、したがってプロモーターにも顔が利く、植村美沙子の動きが連動する形になった。ロックバンドを教会に入れることに抵抗がありそうなので、オルガンのある一般のホールを使う。その方が一般のクラシックファンも集めやすいだろう。宗教曲、日本人の作品というのは、客を集めにくい、プロモーター泣かせの代物だが、テレビ局の主催でなくても、後援として、スポットCMで宣伝する、安田らも動いて役所の後援名義も取ってバックアップし、その力で動員もしてしまおうというのである。
コンサートに来る客は、みんな元を取りたいのである。行って精神的な満腹感を得たいのである。それには、みんなよく知っているありきたりの曲がいい。そう、音楽室に肖像画が飾ってあるような作曲家の作品が無難である。欧米人の指揮者、欧米のオーケストラで、日本人が大好きな本場物を聴かせてやるのがいちばん間違いがないのである。そんなわけで、せめて指揮者は外国人でどうかということで話が進んでいた。『ジャパン・レクイエム』なのに。……そうだ、歌詞がまだできていない。しかし、誰もそんなことは気付かない、宇八がスコアにラテン語を書き入れていたから。それにその方がありがたみがあるかもしれない。それでは看板に偽りありだが、まあ日本人が作曲したのだからかまわないだろう。……
話が動き始めるとトントンと進む。こうした一連の話をルーカス神父から(もちろん神父はこんなひどい説明はしない。彼が筋の通りにくい話をたどたどしく説明するのを宇八がそう理解したということだ)聞いても、宇八は別に反発もしないし、異議を唱えることもしない。作曲してしまったものは、ある意味自分のものではない。みなさんでご自由におやりくださいと素直に思っている。……ただその関係で引っ張り回されたり、書きたくもない『アニュス・デイ』を書けと言われるのはいやだった。後者は免れた、それがなくても誰も困らないから。前者は的中した、興行上必要だったから。前回の上京の折の彼の印象を植村たちが2年半前のことをちゃんと憶えてくれていれば、そうしたことにはならなかったのだが。
まあ、話を始める前から繰り言めいたことを言うのはやめよう。ルーカス神父の勧めもあり、栄子も「名誉なことじゃないの」と何回も言うので、植村たちに会うのは気が進まないものの渋々東京に行くことになった。ただあいにく神父は教会の方が手が離せず、栄子も高血圧だかで体調が優れないといったことで、同行できない。それでひょんなことから月子が同行することになった。ぐずぐず言っているといったことを栄子が月子に電話でしゃべっているうちに、東京に知り合いがいて、前から一度来いと言われているので、一緒に行ってもいいということになった。夫一人よりしっかりした姪に付き添ってもらった方が栄子も安心だ。