夢のもつれ

なんとなく考えたことを生の全般ともつれさせながら、書いていこうと思います。

ジャパン・レクイエム:Requiem Japonica(50)

2005-11-18 | tale


 10 生者のためのレクイエム~LIBERA ME


 8月17日に栄子が死んで、翌日が通夜(カトリックでは本来行わないものであるが、日本の風習に従い、前夜祭と称して行われている)、その次の日が教会での葬式と手際よく決まっていった。真夏の不幸である。勢ぞろいした栄子の兄妹たちは大汗をかいていた。達子や光子などはもうとっくに夏の喪服を用意していた。甥や姪の中でも比較的都合のつきやすい、稔、攻治、菫、高保、保伸らが葬儀に参列した。童や月子は来たい気持ちがあったが、東京にいたのでかなわなかった(童は一年留年して、東京で就職活動中だった)。宇八の親類縁者は両親を亡くして以来、全く付き合いを断っていたので、誰も来なかった。ヴェールを付けた多くの信者仲間と蝉時雨が狭い教会での葬儀を一層暑く感じさせた。もちろん宇八が作曲したレクイエムを演奏するなどといった余裕もないし、彼自身もそんなことは考えていなかった。

 宇八は不謹慎なほどさっぱりした様子で、葬式が終わると、「まあまあこんな暑い中をご苦労さんで」と周りに笑顔をふりまいていた。これは明るく振舞うよう努めているとか、悲しみのあまり変になったというものではなく、正直ほっとしていたのであった。あんまり彼が明るいので、正一から「あんた、葬式の音楽なんか作ったりするから、嫁さんが早く死ぬんだろ」といつものように悪気のない冗談を言われたりした。宇八は平気だったが、そのやり取りを聞いていた達子や光子はいやな気がした。
 欽二が通夜にも葬式にも来て、「力になるからいつでも連絡してくれ」と言ってくれたのに、「まあ、平気だよ」と気をそらすような返事をした。
 そんなふうにはしゃいでいるとさえ見えるほど明るかった宇八だが、納棺の際、カモノハシとレクイエムのスコアを入れて、栄子の頬を撫でた時には、悲しみと老いを周囲に感じさせる表情になった。カモノハシもスコアも、栄子とともにこの世から消えてなくなったのである。いや、スコアはルーカス神父がまだ持っているとすると遠い国に残ってはいるが。……我々としては、彼は自分の作品を必要とする人間は自分を含めてもういないと考えていたのだろうと考える。栄子は自分が死んだらその事実だけをルーカス神父にハガキで連絡してほしい、それまでは決して知らせてはならないと輪子に頼んでいた。輪子はそれを忠実に守った。葬儀後一週間ほどして、レクイエムの冒頭の一行だけ、あまり上手とはいえない日本語で書いたカードが送られてきた。

 火葬場での骨上げもさっさと済ませ、じゃあこれでといったようなあいさつぶりに達子や光子は、後であの態度はなんだ、薄情者と怒りをぶちまけていた。もう追悼式(仏式の49日の代わりと理解されていた)が終われば、いやそれだって場合によっては行かない、絶交だとの剣幕に、なんとか仲を取り持とうと純子は、宇八にそうした雰囲気を伝えようとしたが、意に介するふうはなかった。
 どこまで行っても宇八は、上川一族の人間ではない。だから、一度関係を断ってしまうともう修復されないかもしれない。ただ輪子は血がつながっている。あの娘がかわいそうだという純子が言い出した理由に、頭に血が上っていた叔母たちも納得し、追悼式には出ることになった。
 カトリックでは、死後、3日目、7日目、30日目に追悼ミサを行うが、葬儀が終われば信者でもない宇八は、もう教会と付き合うつもりはなかった。とは言え納骨するための区切りということで、無宗教で9月15日、栄子の57回目の誕生日に追悼式を行うことにしたのだ。連絡を受けた親類たちは、早すぎると思ったが、誕生日でもあり、祝日でもあるので、反対はなかった。しかし、出席したい奴だけくればいい、本当は追悼式もせずに納骨してしまいたいという宇八の気持ちは何となく伝わっていたから、妻の妹たちの憤懣には変わりがなかった。

 実際に葬式のごたごた(葬式というものは雑事のかたまりである)が落ち着くと、すぐに栄子の遺品の整理をし始めた。整理と言っても輪子にほしいかどうか訊いて、ほしいと言わなければ捨てるというものであった。輪子も近々東京に行こうと思っているから、三面鏡やミシンなど使いそうもないものまで引き取れない。かといってそうしたものにも母の思い出が染み込んでいるのである。何度も、もう少し経てばあたしが整理するからと言ったが、父親はあまり聴くふうもなかった。娘は出て行こうとする自分への当てつけではないのだろうがと思った。上川保の遺品のメガネも出てきた。捨てる物の段ボール箱へ放り込まれる。ロザリオ、小さな燭台、木の十字架、教皇の写真。どんどん投げ込んでいく。輪子はもう見ていられなくなる。……


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