はい。題名からパクリですw。知ってる人も多いと思うんですが、セカチューって、ハーラン・エリソンっていうSF作家の「世界の中心で愛を叫ぶけもの”The Beast that shouted Love at the Heart of the World”」のパクリなんですね。パクリって言うと問題ならパロディ。ただどうも直接じゃなくて、かの有名な「新世紀エヴァンゲリオン」がこのSF小説をパロって「世界の中心でアイを叫ぶ」ってサブタイトルをテレビ版の最終回につけたんですって。それを知ってたセカチューの若い編集者が作者の元々つけてたタイトルからセカチューに変更したってことらしいです。
SFもエヴァも知らない私は先日の新聞のコラムで、小説のタイトルには著作権はないっていう例としてこれが挙げられてるのを読んで、初めて知りました。セカチューなんて読む気もありませんが、題名だけはキャッチーだなって思ってたのに。……漱石の「吾輩は猫である」が100年前にヒットしたときにも、「吾輩は犬である」とか「吾輩も猫である」とかいうあやかり小説がいっぱい出たそうですが、この例はもっとタチが悪いと私は認定したいですね。だって、漱石のパクリは誰でもわかった上でのことですが、セカチューのはそうじゃなくて、私のような無知な人間をバカにしてるからw。もちろん編集者がつけろって言ったからなんて子どもみたいな弁明は私には通じません。それなら、そうと本に書いておけばいいだけです。内田百は漱石の猫の続編のようで全然違う小説を「贋作吾輩は猫である」って堂々たるタイトルを付けて出してますね。まあ、今後100年経っても残る百ともう消えかけてるセカチューの作者を比較するのはかわいそうですけど。
てなことをブログにしようかな、でもなんか物足りないなって思っていたら、夕刊にすごい人が出てて助かりましたw。上の「母子像」って絵を描いた和田義彦さんっていう画家です。パクリ元はイタリアのアルベルト・スギさんってなんだか日系みたいな名前の人の「Virgo Laurentana」です。
これだけでも十分ですが、もっといっぱいあるらしいです。で、スギさんは「やりすぎだ」wっておっしゃってるんですが、かたや和田さんはテレビのインタビューに「いっしょにデッサンとかしてたから似てるだけで、全然違うよ。それにピカソだってやってたじゃん」とかおっしゃってます。まあ、あんまり平静じゃないみたいだったからいちいち揚げ足取りは言いませんけど。……じゃあ、私も和田さんの絵をパクリじゃなかった、影響を受けて描いてみよっかな。訴えたりしないよね?
でもセカチューは驚きですっ
和田さんの絵画のニュースは私もつい興味深深で見てしまいました。
そして、、「パッパクリ!」と笑いました。
でも、この絵を描く背景に何かドラマがあったのだろうなあとか色々想像してしまう私です・・
ドラマですか、あると思いますね。ダヴィンチ・コード並みの謎が秘められていると言っていいでしょうw。