10/20にサントリーホールで行われた読売日響の定期演奏会に我々は行った。プログラムは下野竜也指揮でヒンデミットのシンフォニア・セレーナと「前庭に最後のライラックが咲いたとき~愛する人々へのレクイエム」であった。
「さて、どうだった?」
「全然ダメ。最初は指揮者の知性のなさに腹が立ったけど、『最後のライラック』を聴いてるうちに作曲家の無神経ぶりに苛立ってきちゃった」
「手厳しいね」
「だってそうじゃない。あの曲って何よ。リンカーン大統領が暗殺されたのを悼んでホイットマンが作った詩に、ドイツから亡命してアメリカの市民権を得たヒンデミットがルーズベルト大統領の死を悼んで1946年に作曲したものでしょ?」
「そうらしいね」
「それを現在の日本で演奏するってどういう意味があるの?」
「……君はアクチュアリティというか、政治性のことを言ってるの?」
「もちろん。宗教曲ってそういうもんじゃない?」
「全部が全部そうなのかは疑問だけど、少なくともこの曲についてはそうだね。歌詞の中に戦死者のことが出て来るから南北戦争とリンカーン、第2次大戦とルーズベルトを題材としているのは確かだし。……とすると、9.11とブッシュ?」
「うん。で、そうじゃないって言うんだったら、どういうつもりなのか答えられないとダメでしょ?」
「ええっと。ブッシュは死んでない。それに今や共和党候補ですらあの戦争とブッシュを称えていない。ブッシュなんかもうおしまい、知らないとか」
「あはは。それで?」
「だから、政治性はない、かな」
「だから、知性もない、でしょ?」
「まあ、下野は『画家マティス』以外はあまり知られていないヒンデミットを日本に紹介したかったんじゃないの?」
「教養主義?欧米の本を翻訳すれば学者面できるみたいな?そんな感じのぬるい演奏だったわね。そんなんじゃヒンデミットの批判もできないでしょ」
「指揮者は批評家である必要はないんじゃないかなぁ」
「だから日本人指揮者はダメなの。外国人指揮者はちゃんと批評してるから、聴いてておもしろいの。スクロヴァチェフスキとか」
「そうなのかなぁ」
「だいたい演奏評からして日本はダメね。あそこでチェロにアクセントをつけたといったベタな耳自慢と壮大かつ華麗な演奏といった空虚な印象論しか語らないでしょ。だから指揮者は成長しないの。違う?」
「まあ、書いてる人に知性や音楽以外の教養を感じることは少ないね」
「音楽の教養なんてないの。音楽の知性って言葉がナンセンスなのと同じ。あるとすればペダントリィだけ」
「……で、ヒンデミット批判って?」
「あなたあの曲聴いて『レクイエム』だって思った?」
「え? だって別にミサの典礼文や定旋律を使わなくても『レクイエム』って名乗ってるのはいっぱいあるじゃない。ブラームスとかブリテンとか」
「じゃあ、宗教曲だと思った?」
「うーん。そう言われるとわかんない。宗教っぽさがないとは思ったけど、それってかえっていいことのような」
「宗教っぽいってどういうのよ」
「おごそかな感じかな。賛美歌みたいな」
「賛美歌って何を賛美するの?」
「そりゃあ、神?」
「あの曲は神を賛美してた?」
「ちょっと歌詞を見てみるね。……うーむ。これは賛美してるとしても神じゃなく、死だね」
「そう。この詩は『死の賛歌』なの。ライラックやつぐみが出て来るからって甘ったるい詩だと思ってると第9部で『Come lovely and soothing death』って死に引きずり込まれるの」
「そこまで言っていいのかなぁ」
「いいのよ。でも、そっちは後で見てみることにして、先にヒンデミット批判の方を片付けると、まず『Requiem for those we love』という原詩にはないよけいな副題をつけたのが間違い。次にその詩の読み方の浅さが中途半端な音楽につながってるの」
「中途半端?」
「この曲を聴いて、戦争を憎む気になる?それとも賛美する気になる?」
「えっと……」
「そうでしょ?戦争のことなんかべっつにぃって感じでしょ?ブリテンみたいなアクチュアリティもなければましてやショスタコーヴィッチみたいな両義性もない」
「第10部の歌詞には『They(the dead soldiers) themselves were fully at rest, they suffer'd not, The living remain'd and suffer'd, the mother suffer'd』とあるね。戦死者たちは安らかだ、苦しんでないって言うんだから、少なくとも戦争批判じゃあないな」
「その個所もマーチと消灯ラッパみたいなのが鳴るだけで、中途半端でしょ。鈍いのよ」
「鈍い?」
「テクストに音楽がどう反応するのかを聴くのが声楽曲の楽しみじゃない。名作曲家はすべて鋭敏に反応してるわよ。元々あたしがおかしいなって思ったのは、第
3部にオルガンとか鐘って言葉が出てくるのにオルガンも鐘も沈黙してたからなの」
「あー、確かにぼくもあれ?って思った」
「鳴らさないなら鳴らさないだけの意味や仕掛けがなきゃダメでしょ。そういう芸当ができなきゃ伝統に従っておとなしく鳴らしてればいいの。まあ、折角配ってくれた歌詞も見ないで音楽を『鑑賞』する人は多いけどね」
対話はまだ続く。
「さて、どうだった?」
「全然ダメ。最初は指揮者の知性のなさに腹が立ったけど、『最後のライラック』を聴いてるうちに作曲家の無神経ぶりに苛立ってきちゃった」
「手厳しいね」
「だってそうじゃない。あの曲って何よ。リンカーン大統領が暗殺されたのを悼んでホイットマンが作った詩に、ドイツから亡命してアメリカの市民権を得たヒンデミットがルーズベルト大統領の死を悼んで1946年に作曲したものでしょ?」
「そうらしいね」
「それを現在の日本で演奏するってどういう意味があるの?」
「……君はアクチュアリティというか、政治性のことを言ってるの?」
「もちろん。宗教曲ってそういうもんじゃない?」
「全部が全部そうなのかは疑問だけど、少なくともこの曲についてはそうだね。歌詞の中に戦死者のことが出て来るから南北戦争とリンカーン、第2次大戦とルーズベルトを題材としているのは確かだし。……とすると、9.11とブッシュ?」
「うん。で、そうじゃないって言うんだったら、どういうつもりなのか答えられないとダメでしょ?」
「ええっと。ブッシュは死んでない。それに今や共和党候補ですらあの戦争とブッシュを称えていない。ブッシュなんかもうおしまい、知らないとか」
「あはは。それで?」
「だから、政治性はない、かな」
「だから、知性もない、でしょ?」
「まあ、下野は『画家マティス』以外はあまり知られていないヒンデミットを日本に紹介したかったんじゃないの?」
「教養主義?欧米の本を翻訳すれば学者面できるみたいな?そんな感じのぬるい演奏だったわね。そんなんじゃヒンデミットの批判もできないでしょ」
「指揮者は批評家である必要はないんじゃないかなぁ」
「だから日本人指揮者はダメなの。外国人指揮者はちゃんと批評してるから、聴いてておもしろいの。スクロヴァチェフスキとか」
「そうなのかなぁ」
「だいたい演奏評からして日本はダメね。あそこでチェロにアクセントをつけたといったベタな耳自慢と壮大かつ華麗な演奏といった空虚な印象論しか語らないでしょ。だから指揮者は成長しないの。違う?」
「まあ、書いてる人に知性や音楽以外の教養を感じることは少ないね」
「音楽の教養なんてないの。音楽の知性って言葉がナンセンスなのと同じ。あるとすればペダントリィだけ」
「……で、ヒンデミット批判って?」
「あなたあの曲聴いて『レクイエム』だって思った?」
「え? だって別にミサの典礼文や定旋律を使わなくても『レクイエム』って名乗ってるのはいっぱいあるじゃない。ブラームスとかブリテンとか」
「じゃあ、宗教曲だと思った?」
「うーん。そう言われるとわかんない。宗教っぽさがないとは思ったけど、それってかえっていいことのような」
「宗教っぽいってどういうのよ」
「おごそかな感じかな。賛美歌みたいな」
「賛美歌って何を賛美するの?」
「そりゃあ、神?」
「あの曲は神を賛美してた?」
「ちょっと歌詞を見てみるね。……うーむ。これは賛美してるとしても神じゃなく、死だね」
「そう。この詩は『死の賛歌』なの。ライラックやつぐみが出て来るからって甘ったるい詩だと思ってると第9部で『Come lovely and soothing death』って死に引きずり込まれるの」
「そこまで言っていいのかなぁ」
「いいのよ。でも、そっちは後で見てみることにして、先にヒンデミット批判の方を片付けると、まず『Requiem for those we love』という原詩にはないよけいな副題をつけたのが間違い。次にその詩の読み方の浅さが中途半端な音楽につながってるの」
「中途半端?」
「この曲を聴いて、戦争を憎む気になる?それとも賛美する気になる?」
「えっと……」
「そうでしょ?戦争のことなんかべっつにぃって感じでしょ?ブリテンみたいなアクチュアリティもなければましてやショスタコーヴィッチみたいな両義性もない」
「第10部の歌詞には『They(the dead soldiers) themselves were fully at rest, they suffer'd not, The living remain'd and suffer'd, the mother suffer'd』とあるね。戦死者たちは安らかだ、苦しんでないって言うんだから、少なくとも戦争批判じゃあないな」
「その個所もマーチと消灯ラッパみたいなのが鳴るだけで、中途半端でしょ。鈍いのよ」
「鈍い?」
「テクストに音楽がどう反応するのかを聴くのが声楽曲の楽しみじゃない。名作曲家はすべて鋭敏に反応してるわよ。元々あたしがおかしいなって思ったのは、第
3部にオルガンとか鐘って言葉が出てくるのにオルガンも鐘も沈黙してたからなの」
「あー、確かにぼくもあれ?って思った」
「鳴らさないなら鳴らさないだけの意味や仕掛けがなきゃダメでしょ。そういう芸当ができなきゃ伝統に従っておとなしく鳴らしてればいいの。まあ、折角配ってくれた歌詞も見ないで音楽を『鑑賞』する人は多いけどね」
対話はまだ続く。
という歌がありますが、
いっぱいしゃべりたくなる、突っ込みどころ満載な演奏会だったってことですね。
演奏中の心のいらだちが目に見えるようですw