夢のもつれ

なんとなく考えたことを生の全般ともつれさせながら、書いていこうと思います。

「すべてがデータになる前に」を書き終えて

2005-05-16 | tale

 このブログを始めた動機は、この物語がなかなか完成できず、かと言って他のものに手をつける気にもなれずという状態が続いていて、自分でいやになっていたからでした。具体的に言うと、前半まではほぼアップした内容で書き上がっていましたが、後半は全くできておらず、何回か書き始めては、だめだぁって具合でした。後半がこんなに長くなるとは予想してなくてせいぜい2、3回で終えるつもりだったので、全体の構成自体ができていなかったわけです。どなたかが(たとえコメントがなくても)、読んでいただいているというのは、大きな力を与えてくれました。心から感謝いたします。

 そういう意味では、この物語以外の記事は副次的なものにすぎなかったわけですが、今ではそちらが中心になってしまっているようで、読んでいただいている皆さんも、音楽とか絵画とかのブログと思っておられるでしょう。それはそれで、何の問題もありませんし、私も副次的なものだから「てぬき」しているつもりは、少なくとも内容については……いや、その、気持ちとしてはありません。たぶんw。それに物語の内容と最後の方は、「もつれ」させるような記事が書けてきたように思います。

 この物語は、書いた本人が言うのもどうかと思いますが、読みやすい、読者に親切なものではありません。音楽で言うとメロディーのない「無調」のものですし、説明的・解説的な部分はほとんどありません。「無調」だと言うのは、バルザックの記事で触れたような、今よく読まれているしっかりしたストーリーのある「近代小説」レアリスム小説の行き方を否定しているといったくらいの意味です。しかし、他方いわゆる「現代小説」を目指したものでもありません。そういう2項対立を離れて好きなことを、好きなように書かせていただいたわがままなものです。どちらの小説でもないという意味で、(日本では平安時代以来の伝統のある)物語 taleと自称しているのです。

 ある程度は読んでいただくための工夫もし、完全な「無調」ではなく、初めの方は特にそうなっていますが、あまり成功したようには思えません。イメージを相互に繋ぎ合わせながら書いていくといった方法論みたいなものはあったのですが、実践は想像以上に困難です。

 そんな物語がそれなり多くの人数の方に目を通していただけたとしたら、ブログというコミュニケーション・ツールは大変なものだと思います。だって、源氏物語だって紫式部が生きているうちに読んだ人の数は、多くても数百人だったろうと思うからです。もちろんその読む質は、筆写とか朗読によるものですから極めて高いものがあったわけですが。

 さて、次からはもうちょっと「調性のある」物語を載せていきたいと思います。とは言え、今すぐ新たなものを書き下ろすだけの準備も構想もないので、以前に一応完成させたものをできるだけ読みやすく、親しめるふつうの小説に近づけるよう、加筆修正しながらということですが、何分書き手がこんな人間ですから、あまり期待しないでくださいw。さらに他の記事との関連を強くしたものになると思いますが、現時点で新聞の折り込み広告みたいに内容の宣伝をしてもしようがないので、「ジャパン・レクイエム」というタイトルだけお知らせしておきます。……何調かですって? バッハはレクイエムは作曲していませんし、恐れ多いもいいとこですが、やはりロ短調 h-mollと言いたいところです、意気込みとしては。

 余談ですが、折角書き上げたので、冒頭から読みやすいようにHPを作ろうと思いましたが、やったことがないので、うまくいきません(と言うか、いってませんw)。欲張って、どうせ作るなら、語句の間でジャンプできるようにならないかなと思っています。例えば最後の部分で「行き止まりの鉄の扉ががたん、ガシャンとすさまじい音を立てながらゆっくりと開く」なんて変な表現をしていますが、「がたん」をクリックすると前半の最後の「がたんとゴンドラが大きく揺れて止まった」に、「ガシャン」だと冒頭の「遠くからガシャン、ガシャンという音が聞こえてきて」にジャンプするというふうにできないかなぁと思っています。どなたかご教示いただければ幸いです。

 当然のことですが、この物語を書くのには個人的な経験がいろいろと反映しています。それを言うつもりはないのですが、ただジャン・コクトォ美術館から見た山はセザンヌの描いたサント・ヴィクトワールとそっくりで、深く感動しました。今日の画像はそれを言いたくて掲出しています。


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