前回、いろいろ買ったレクイエムをようやく全部聴いたので、簡単にご報告したと思います。
スッペ(1855年):イントロイトゥス、セクエンティア(ディエス・イラエ)、オッフェルトリウム、サンクトゥスについて作曲しています。うーん、どこかヴェルディの小型版のように感じてしまうのは、オペレッタ作曲家だと思ってるゆえの偏見ですかね。
グノー(1893年):イントロイトゥス、キリエ、セクエンティア(ディエス・イラエ)、サンクトゥス、ベネディクトゥス、ピエ・イエス、アニュス・デイからなります。なんだっけ、もう忘れてしまうような音楽でした。
シュニトケ(1975年):イントロイトゥス、キリエ、セクエンティア(ディエス・イラエ)、サンクトゥス、ベネディクトゥス、アニュス・デイ、クレド、コンムニオ(ただし、歌詞はイントロイトゥスと同じです)からなります。クレドは、本来レクイエムには含まれないものです。良かれ悪しかれ現代音楽って感じ、今の私の趣味からはあんまり共感できませんでした。
ロイド・ウェッバー(1984年):イントロイトゥス、キリエ、セクエンティア(ディエス・イラエ)、オッフェルトリウム、サンクトゥス、ピエ・イエス、アニュス・デイ、コンムニオ、リベラ・メからなります(ただし、歌詞に入り繰りがあります)。シュニトケについて辛くなった原因は、先にこっちを聴いたせいかも知れません。これも良かれ悪しかれミュージカルの作曲家の作品っていう感じが強いのですが、構成から見てわかるように恣意的な工夫ならいくらでもできたでしょうに、ミサ典礼曲の伝統をちゃんと踏まえ、正面から取り組んでいます。それでいて聴いておもしろく、親しみやすいですし、彼なりの死に対する考えも伝わってきます。私は、大抵の現代音楽がつまらないのは専門的だからでも何でもなく、才能のある人間が少ないからにすぎないと思い始めているのですが、それを裏づけしてくれるような気がしました。市場原理として、もうからないクラシックの作曲家よりも、もうかるミュージカルの作曲家に才能が集まるのも当然だと思いますし。
ミヒャエル・ハイドン(1771年):イントロイトゥス、キリエ、セクエンティア(ディエス・イラエ)、オッフェルトリウム、サンクトゥス、アニュス・デイ、コンムニオからなります。ザルツブルクの大司教で彼やモーツァルトを暖かく見守ってくれたシュラッテンバッハの死を悼んで作曲されたもので、モーツァルトのレクイエムに大きな影響を与えたと言われる曲です。確かに一聴しただけでも、似た旋律はありますし、注意して聴かないとモーツァルトの作品と思ってしまいそうです。やや感覚が鈍いかなという気はしますが。
フックス(1720年):イントロイトゥス、キリエ、セクエンティア(ディエス・イラエ)、サンクトゥス、アニュス・デイ、コンムニオからなります。この人は、ウィーンの教会音楽の基礎を築くともに、対位法の権威として、“Gradus ad Parnassum”という教科書を書きました。この本の題名はクレメンティがピアノ教則本に使っていて、それをさらにパロディ化してドビュッシーが子どもの領分で使っていますね。以前(3/24)に紹介したゼレンカが彼に学んだということです。
ヴァーツラフ・ミフナ(1654年):イントロイトゥス、キリエ、トラクトゥス、セクエンティア(ディエス・イラエ)、オッフェルトリウム、サンクトゥス、アニュス・デイ、コンムニオからなります。トラクトゥスを含む珍しい作品です。ミフナはゼレンカが生まれた頃に死んだ人で、ボヘミアの音楽の創始者のようなものでしょう。
フックスもミフナも圧倒的な魅力があるわけではないのですが、通勤の途上の雑踏の中で聴くには、ロマン派以降の個性的であろうとしてかえってありきたりなものになっている凡百の作曲家の作品よりも、静謐さと客観性があって好ましく感じられます。
ハイドンってファーストネームはミヒャエルだったのですね。ミヒャエル=マイケル…?そういえば、マタイ受難曲のマタイがマシュー(Matthew)だったのを美術展で知り、気が抜けました。全然関係ない話題ですみません。。。
ミヒャエルはヨーゼフ・ハイドンの弟です。偉大な兄とモーツァルトの陰に隠れてましたが、最近は再評価されつつあるようです。
ジョン・レノンとポール・マッカートニーというポップス界の天才はヨハネとパウロなんですよねw。
ヨハネ.パウロ氏はローマ法皇でしたか。言われてみればジョン・ポール。こう呼ぶと高尚な方が妙~に俗っぽく聞こえてしまいますね。
詳細は知らないのですが、ローマ教皇は名前にいろいろと自分の目指す政策理念を込めるようですね。
昔のフォークグループにピーター・ポール&マリー(PPM)っていうのがありましたが、マリア始め聖人だらけで、キリスト教徒ならピンとくるのでしょう。
バッハのヨハネ受難曲は、アメリカのFMなんかでは「バックのジョン・パッション」って言ってるので、確かに俗っぽく聞こえてしまいますね。