モーツァルトのレクイエムは映画「アマデウス」以降、宗教曲としては異例の人気を誇っているように思います。曲の内容のすばらしさだけでなく、謎の人物からの作曲依頼といった伝説が夭折した天才の最期を飾るのにふさわしいと考えれられたのでしょう。
私としては彼の最高傑作は「フィガロの結婚」か「ドン・ジョヴァンニ」、ジュピターなどだろうと思いますが、この曲もザルツブルク時代に多く書いた宗教曲の土台の上にウィーン時代に飛躍的に進歩したオペラで培ったきめ細かな表現力が実った、彼の音楽の総決算を目指したものといいでしょう。……これが未完成に終わったのはいかにしても残念です。
フランツ・フォン・ヴァルゼックという伯爵が亡くなった妻のために自作として演奏しようと匿名で依頼したことがわかっていて、おかしいのは1793年にウィーンで開かれたモーツァルトの追悼演奏会で初演された後なのに、この伯爵がウィーン近郊で自作として演奏しています。……モーツァルトが亡くなった時には「怒りの日」のうちの「涙の日」の8小節までと、奉献唱(オフェルトリウム)の最後から2行目までの分についての声楽しかできておらず、オーケストレーションはもっと未完成でした。かなりの作曲料の半額を手付けとして受け取っていた妻のコンスタンツェとしては何としても完成させたかったわけです。
これを当初、友人のアイブラー(画像の人です)が依頼を受けたのですが、少し手をつけただけで放棄してしまいました。アイブラー自身、1803年にレクイエムを作曲していて大変優れた作品なので彼が完成していてくれればという気になりますが、実力があるだけに躊躇を感じたのでしょう。でも、モーツァルトのレクイエムを理解する上で、ミヒャエル・ハイドンのものとともにぜひ聴いていただきたいです。
それで次に弟子のジュスマイヤーに委ねられ、現在通常聴かれるようなものになりました。こうした経緯から本来のモーツァルトの作品を復元しようという試みやアイブラーの補筆版などもあるようです。しかしながら、物語(8/13)で書いたように私は保守的な立場で、その理由はそこで書いたような感傷的な理由と才能としては劣るジュスマイヤーにしてもモーツァルトのそばにいたわけですし、また宗教曲の伝統の中にいたのですから、現在の学者や音楽家の分析的なアプローチによって簡単に否定されてよいのだろうかと思うからです。何より「アマデウス」で鳴っていたレクイエムはジュスマイヤーが補筆した部分が少なくなかったんですが、そんなにおかしくなかったでしょう?
いくら伯爵でも盗作みたいなことしていいのかな、なんて思いますが、後世にちゃんと伝えられているからよかったなあと思います。
弟子が書いたわりにはさほど違和感なく、妻の苦労も報われたのではないかなと思います。ナマで聴いてみて、弦や声楽がとても美しく響いてきました。このレクイエムは大好きです。
コンスタンツェはふつうがめつくもうけるためにレクイエムの完成に奔走したって言われてますが、彼女の本当の動機なんてわからないですし、モーツァルト自身は喜んでいたでしょうから、悪く言うことはないって思いますね。