夢のもつれ

なんとなく考えたことを生の全般ともつれさせながら、書いていこうと思います。

歌物語:思ひ草

2005-12-13 | tale


   野辺見れば 尾花がもとの 思ひ草
   枯れ行く冬に 成りぞしにける
               和泉式部・新古今和歌集


 月曜日に朝寝するっていまだになじめない。あわてて目を覚まし、出かける用意をしそうになってから、会社に行く必要がないんだって気づいて苦笑いしてしまう。あんなに月曜日の満員電車が嫌いだったのに、なんだか物足りないような、落ち着かないような気がする。目玉焼だって朝には食べられなかったのが、今ならゆっくりプレーンオムレツだって作れる。粉末のカップスープだったのが、生クリームを使ってクラムチャウダーを作ったりもできる。『イヌかネコでも飼ったらどうだ?』最初、彼からそう言われたときは、あたしが動物の臭いとかが苦手なの忘れたのかなって思ったけれど、こういうことを言ってたんだなってわかってきた。彼は気楽で贅沢な生活と一緒に、隙間だらけで手応えのない時間をくれた。『別に仕事をやめろとは言わないさ』あたしが会社の研究所での待遇に不満を抱えていて、かと言って転職を真剣に考えるほどの意欲もないことを見透かしてそう言った。夏のボーナスをもらった直後なんて、いいタイミングをねらったものだ。……

 10時半の京王線の駅前はラッシュとお昼休みの間で、ぽかんとしてる。2、3人の制服の女子高生がぶらぶらしている。学校にも行かないで何をしてるんだか。人のことを言えた義理でもないけど、同じようにスカートを短くして、同じように暑苦しそうな白いセーターを着てるのに限って、『自分らしく生きたいの』なんてブログにやっぱり同じようなことを書いてるんだろうなって思う。ここはつまらない街。山手線の中に住みたい、彼のように六ヒルに住みたいなんて思わないし、恵比寿から六本木に変わるなんて仕事上のプレゼンスっていうより軽薄だと思うけど、この駅前周辺で一日いると体より前に精神に脂肪がついてしまいそうな気がしてしまう。金曜日以外にも都心に出かけるべきなんだろう。

「そろそろお寿司にするかい?」
「うん、じゃあハマグリ」
「ぼくは赤貝だな」
 くすっと笑いながら、板さんに言う。酒の肴に食べていた城下がれいのお刺身にしてもハマグリのにぎりも、ううん、目の前でぐるぐる回らないお寿司なんて郊外の研究所の周りにはなくて、仕事仲間で行ったこともなかった。彼と会う金曜日の夜はお寿司か、和食。『胃にもたれちゃあ、決定力が鈍るからな』ちょっと下品な言い方が時と場合によって、女は嫌いじゃないことを知っている。パンッと板さんが赤貝を叩いて、すっと前に置く。蠢くところを見せたくて注文したのはわかっているし、止まる前に一口で放り込むのは無邪気さと貪欲さを示している。歯ごたえのあるやわらかさがあたしにも伝わってくる。
「今週はどうだった?」
「そんなに変わったことはなかったわ」
「もう慣れた? 今度のところ」
 お銚子をあたしに傾けながら、新しい住まいのことを尋ねるふうにして、愛人という生活に慣れたかと訊いている。
「だんだんにね」
 そういう話が出たときにくれたのが31までの数字が書かれた丸いケースに入ったピルだった。『自分で病院に行くのはイヤだろ?』それはそのとおりだから、うつむきながら受け取らざるを得なかったが、これはビジネスで、あたしに自分の立場を認識させる第1歩なんだということが露骨だった。……露骨なだけに効果はあったのだろう。身につけるものの選び方も変わり、お風呂に入る時間も長くなったから。

 新宿で秋物のスカートとヒールを買ってから、大きな本屋に行ってみたけれど、碌な本がない。最近のSNIPs研究の状況を概観したようなものを探したかったんだけど、全然ない。生物学のコーナーにあるのは子ども向けみたいなものか、古くて役に立たないものばかり。女性店員にからかい半分で訊いてみた。
「あのSNIPsの関係の本ってありませんか?」
「は? なんでしょうか?」
「Single Nucleotide Polymorphismsですが」
何度も訊き直すのがおかしかった。
「少々お待ちください」
中年の男性店員にひそひそ訊いているのが視線の端っこに見える。
「洋書はあちらになっております」
 そこには小説と経済書しかないのはわかってるって。あんたたちはお涙頂戴のノンフィクションのポップアップでも書くのが精々なのよね。仕方がないからとても重くて、きれいな植物図鑑を眺めることにした。『本は重さで決まる』大学の時の教授がそう言っていた。それはだいたいそのとおりで、自分の知らない分野で感心したのは千ページくらいある本ばかりだ。パラパラっと見ていると、ナンバンギセルっていう寄生植物の写真と説明に見入ってしまった。その中に万葉集の歌が引用されていた。

  道の辺の 尾花がもとの 思ひ草
  今さらになど ものか思はむ

 ナンバンギセルって言うから渡来種かと思ったら、万葉時代からあって、その首をかしげたような花の様子から、思ひ草って呼ばれていたんだ。ススキに寄生して光合成すらしない、ただ花を咲かせるだけ。だから、今さらどうしてものなど思うのだろう。そんな意味らしい。ちょっと胸を突かれてしまった。囲われてるからこそもの思いに耽ってしまうのよって言いたい。でも、そんなのは生活の不安のない者の贅沢なんだろう。おとなしくきれいにして、愛されてればいいのよ。そう、たぶんそれがいちばんのはず。……

 12月に入って、ピルを飲むのも単なる習慣になり、その意味も気にしなくなった頃、水曜日なのに突然かにすきに誘われた。かには手元が忙しいから、沈黙が下りやすい別れ話をするのにいいんだって聞いたことがあるけれど、そのとおりだったので、ホントにわかりやすい人だと思った。でも、手をかにだらけにしながら彼はよくしゃべった。あたしがあまり新聞やテレビのニュースを見ないので、よけいここのところ自分の会社に起こったことを解説するのがおもしろいらしい。
「……そんなこんなで今の事業は八方ふさがりの状況ってわけさ。……だからいったん会社は畳んで、おれはしばらくセイシェルでも行ってのんびりする。君のマンションは今の会社名義なんで、悪いがまた引っ越してくれないか」
「ご家族はどうするんですか?」
 ショックではあったが、それだけに関係のないことを訊いて様子を見た方がいいと思った。
「うちのやつはハワイに行くって言ってる。日本みたいなとこじゃないと不安なんだろう」「マスコミに追いかけ回されたりするの?」
「連中は海外までそうそう出張できないし、どうせ一時的なものだろう」
「サングラス買わなくていい?」
「ふふ。年末まで今のところにぐずぐずしてたら要るかな。……ああ、セイシェルに遊びに来てもいいよ」
 なるほど。やはり一度は関係を切ろうということなんだってわかった。あたしも今の会社の関連資産みたいなものなんだろう。
「……君の口座に引越費用と取りあえずの生活費を振り込んでおくから、また落ち着いたら連絡するよ」
 めずらしく、いやあたしが記憶する限り初めて同じことを2回言った。あたしはそれを彼の未練と言うよりは、おみず上がりなら新聞やテレビをチェックするのが習慣なのにそれもしない素人っぽいあたしへの同情だと思った。

 さて、どうしよっか。電車に乗って座って、かにすきの後の雑炊っておいしいなあって、あったかい幸せな気分で今後のことを考える。まあ、薬剤師の資格を生かして調剤薬局で働くっていう最終手段があるから気楽と言えば気楽。大学時代の友だちによると単調で退屈なくせに、って言うかそうだからこそ人間関係とかが面倒くさいらしいけど。それにさっきの彼の口振りだと数百万、ひょっとすると1千万くらい振り込んでくれるかもしれない。どうせ銀行とかに取られちゃうくらいならってね。だから年明けまでどこかのリゾートに行くのも悪くない。セイシェルとハワイ以外の。……
 ここは女性専用車両なのに中年男が座って、初台を過ぎたところからもう首を垂れて眠っている。疲れているのね。会社に、家族に、自分に。希望もないのに希望があるようなフリをするのに。思ひ草。みんな寄生したり、寄生されたりして、考えても仕方ないことを考えて、冬が来れば枯れてしまう。それがもの思いってことなんだろう。……でも、考えたりしなくていいくらい愛して。冷たい窓ガラスにおでこをくっつけてそうつぶやいた。




最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
やっぱり面白い (しろ)
2005-12-15 22:57:45
もつれさんの文章って、とっても腹ごなしになります。途中で城下がれいが出てきたところなぞ、もつれさんのお味に対する鋭さもかいまみえました。途中で愛人の話ってわかりましたわ。じゅるじゅる



返信する
ありがとうございます (夢のもつれ)
2005-12-16 00:04:50
なんせ食いしん坊なもんで、我ながら食べ物はよく登場するなぁって思ってます。



愛人には生ものが似合うなって。。生物学も出てくるしw。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。