LIBERA ME
Libera me, Domine, de morte aeterna, in die illa tremenda,
Quando coeli movendi sunt et terra:
Dum veneris judicare saeculum per ignem.
Tremens factus sum ego, et timeo, dum discussio venerit atque ventura ira.
Quando coeli movendi sunt et tera.
Dies irae, dies illa, calamitatis et miseriae, dies magna et amara valde.
Dum veneris judicare saeculum per ignem.
Requiem aeternam dona eis, Domine: et lux perpetua luceat eis.
リベラ・メ
わたしを解き放ってください、主よ、恐ろしいあの日に永遠の死から。
その日には、天と地は震動する、
主がこの世界を炎によって裁きに来られるのだから。
わたしはいずれ来る裁きと神の怒りを思い、震えおののく。
その日には、天と地は震動する。
その日こそ怒りの日、禍の日、悩みの日、大いなる悲嘆の日。
主がこの世界を炎によって裁きに来られるのだから。
主よ、永遠の安息を彼らに与え、絶えざる光により彼らを照らしてください。
ミサが終わった後に柩の前で行われる赦禱式で歌われるのが“リベラ・メ(我を解き放ちたまえ)”です。赦禱式の内容は知りませんが、まあ日本で出棺のときに行われるものとあまり変わらないんじゃないかと想像しています。これは典礼外のもので厳密な意味ではレクイエムに含まれないものと言えるでしょうし、バロック以前に作曲された例は思い浮かびません。テクストの内容としては“ディエス・イラエ(怒りの日)”と似ています(そういう意味で黙示録的です)ので、フォーレがディエス・イラエの言わば代替品として作曲した理由もよくわかりますし、何と言ってもリベラ・メという詩句はとても魅力的で、私も物語を考えるときに大きくインスパイアされました。最終行がイントロイトゥス冒頭と照応しているのは言うまでもありません。
IN PARADISUM
In paradisum deducant te Angeli,
In tuo adventu suscipiant te martyres
et perducant te in civitatem sanctam Jerusalem.
Chorus Angelorum te suscipiat
et cum Lazaro quondam paupere aeternam habeas requiem.
楽園にて
天使たちがあなたを楽園に誘い、
殉教者たちがあなたを出迎え、
聖なる都エルサレムに導きますように。
天使の合唱があなたを受け止め、
あなたが貧しかったラザロとともに、永遠の安息を得られますように。
赦禱式のさらにあと、柩を墓地に運び、埋葬する際に歌われるのが“イン・パラディスム(楽園にて)”です。天国で天使と殉教者が死者を待っているという内容です。これについてもフォーレのレクイエムの美しい旋律とオルガンの印象的な伴奏で広く知られているでしょう。
最終行のラザロはヨハネによる福音書第11章に登場する人物で、死んで4日経ってからイエスが墓石を取り除けさせ、大声で「ラザロよ。出て来なさい」と叫ぶと布切れで巻かれたまま蘇ったので、ここで言及されるのにふさわしいものです。ただちょっとよけいなことを言うと、この話自体、ヨハネによる福音書にしか見られないもの(死んだ少女を蘇らせる話は最も古く成立したと言われるマルコによる福音書にもありますが)で、かつマグダラのマリヤの兄弟だとされているので、福音史家の編集意図がはっきりしているようです。このすぐ後の第12章では、マリアがイエスの足に高価な香油を塗り、髪の毛でぬぐったというこれまた強い印象を与えるエピソードが語られ、さらにイスカリオテのユダが香油を売れば貧しい人を救えたのにと言います。これは、ユダの裏切りの伏線のようでもありますが、初期キリスト教団内の精神面を重視するか、社会活動的な面を重視するかという路線対立を示唆したものとも理解できそうです。また、この辺りの話の運び自体がかなりもたもたしていて、それが福音史家の文章力によるものなのか、編集過程での様々な議論を反映したものなのか知りませんが、有名なお話なのに原典に当たってみるとイエスの行動を含め、あまり素直に読めたものではありません。