この本の主張は明確です。音楽室にはバッハ、ヘンデル、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、シューマンといった大作曲家の肖像が飾ってありました(今でもそうかな)が、それはドイツの美学者たちが作り出したドイツ音楽中心の音楽史に沿ったものにすぎず、実際にはイタリアが音楽の中心、先進国であり、音楽の都などと言われるウィーンにしても実は後進地域で、サリエリのようなイタリア人が重用されていてモーツァルトなどが入り込むことができなかったというものです。さらに、そうしたドイツ音楽の中心に据えられたベートーヴェンが得意としたシンフォニー、弦楽四重奏曲、ピアノ・ソナタ――つまり器楽によるソナタ形式の音楽が結局は人々からクラシック音楽を遠ざけ、現在の衰退につながったという主張です。
まず、モーツァルトの少し前から、17~18世紀に活躍したイタリア人作曲家の名前を挙げると、A.スカルラッティ、アルビノーニ、ヴィヴァルディ、マルチェッロ、D.スカルラッティ、ジェミニアーニ、ヴェラチーニ、タルティーニ、ロカテッリ、ペルゴレージ、ナルディーニ、パイジェッロ、ボッケリーニ、チマローザ、サリエリ、クレメンティ、ヴィオッティ、ケルビーニと18人にのぼっているのに対し、ドイツ人音楽家としてはバッハ、ヘンデル、ハイドン、モーツァルトの4人とテレマン、グルック、C.P.E.バッハ、J.C.バッハ(ともに大バッハの息子)、ミヒャエル・ハイドン(ヨーゼフ・ハイドンの弟)、シュターミツの10人に過ぎません。しかもこのリストは音楽之友社の作成した「主要作曲家年表」ですから、著者はドイツ流の史観に基づいたもので、国際的に名声を博していたのはほぼヘンデルとJ.C.バッハだけだと著者は言うのです。
それはなぜか。簡単に言えばイタリアで生まれたオペラとそこで活躍する声楽家、何よりもカストラート(去勢によりソプラノ音域まで出せる歌手)とが熱狂的な人気を博したことによるということです。例えばマンゾーリというカストラートは年収が2万グルデンであるのに対し、サリエリが就いていたウィーンの楽長職は3千、モーツァルトの父親のレオポルドが就いたザルツブルクの副楽長職はわずか350だったそうです。こうしたカストラートの高収入には王侯貴族のオンナで、相当な収入があったプリマ・ドンナもかなわなかったそうです。音楽の授業の延長で考えると異常のような気がしますが、ポップスの分野で考えればよくわかります。男の高音は人気があります(名前を挙げる気がしませんけど)し、先日もaikoの武道館コンサートのDVDを見てたんですが、あれをいっぱいにするのはひとえにaikoの人気であってバックバンドなんか誰でもいいですからね。こうしたポップスターに楽曲を提供している作曲家への関心は歌手の何分の一に過ぎないでしょう。
そういう意味では、著者の意見にあまり反対はないんですが、二つほど言っておきましょう。一つは上に挙げような作曲家のオペラを見るチャンスは(モーツァルトを除くと)ヨーロッパにおいても少ないということ、もう一つは当時の有名作曲家が今でも聴くに値する作品を作ったかどうかです。前者についてはもっとバロック・オペラをCDだけじゃなく、DVDで見る機会が増えればいいなっていうだけですが、後者については私が聴いていないイタリア人作曲家も多いのですが、ヴィヴァルディの曲をバッハのようにたくさん聴こうって気にはなりませんし、サリエリに至ってはモーツァルトはおろか、シュターミツにだってはるかに劣ります。著者は人気があったとか、宮廷で席巻していたといったことばかり挙げますが、音楽の価値そのものは無視しているように思えます。
まあ、音楽の価値なんて言い出すと、ソナタ形式を振り回してシンフォニーや弦楽四重奏曲やピアノ・ソナタを至上のものとし、オペラやディヴェルティメントを低いものとしたドイツの美学者と同じになっちゃうからでしょうけど。……「セビリアの理髪師」の序曲は3回目の使いまわしなのにロッシーニはウィーンですごく人気があり、それに対しベートーヴェンは「フィデリオ」のために3つも序曲を作ったけれど、ぜんぜん当たらなかったそうです。音楽の価値としてはベートーヴェンの方が上かも知れませんが、確かに「セビリアの理髪師」はおもしろいし、「フィデリオ」はつまらないですね。この本の副題が「さらばベートーヴェン」となっている理由もこの辺にあって、著者によると第9シンフォニーの最後に出てくるシラーの詩「歓喜に寄せる」はすさまじいアジテーションであり、まかり間違えばただの大言壮語だそうです。そして、崇高と滑稽は紙一重というドイツ語の諺を引いて、第9の終楽章もしばしば滑稽に見えても仕方がないと言います。私は臆病者ですし、何が滑稽だと?!なんて怒る(それこそ滑稽な)人を相手にするのも面倒なので、崇高だと言っておきますが。
それ以上におもしろいのは、ベートーヴェンが30歳過ぎまでは穏当な上流階級の向けの作品を作っていたのが、例えば中期のピアノソナタの代表作、ヴァルトシュタインやアパッショナータに至ってフランス革命・ナポレオン時代以降の勃興した庶民を代表して、自分のための作品を書くようになったと言います。芸術家様の誕生ですね。……これらの作品はおよそD.スカルラッティやモーツァルトの作品のように貴婦人が弾けるようなレヴェルのものではなく、転調やリズムもそれまでには考えられないようなものになり、聴衆の気分を故意に高揚させるようなものになったことを指摘します。その典型例が第5シンフォニーの第3楽章から第4楽章への運びであるとし、こういうものは音楽の自然な流れを無視した催眠術のような人工的なレールに過ぎず、ゲーテは「騒々しいだけのコケ脅し」だと言ったそうですが、私もベートーヴェンのわざとらしさは感じないでもないので、あまり異論はありません。ただ著者がひいきするロッシーニやヴェルディあたりのイタリアオペラだって、あざとさにおいてはそう変わらないだろうと思いますけどね。
まあ、こういうベートーヴェンを楽聖として持ち上げ、ソナタ形式を至高のものとし、器楽を声楽より高いものに位置づけ、標題のない「純粋」な音楽を高級だとした淵源はシューマンなんだそうです。文筆家としてのシューマンはそうだったのかもしれませんが、そういう「ドイツ音楽」の基準からは、シューマンの音楽はあまり評価できないだろうというのは歴史の皮肉でしょう。
著者は要はそうした基準に従い、無調とかわけのわかんないものになってしまった「クラシック音楽」は一般の人気を得られず、学校教育の中で命脈を保っているに過ぎず、ふつうの人が愛好しているのはオペラの流れを汲むミュージカルだったり、貧しい黒人が始めたジャズ(とその派生としてのロックなど)だと言います。クラシックがほんの一握りの人の趣味になってしまっている(たぶんインディーズ以下でしょう)ことはタワレコの混雑具合を見れば明らかですが、ミュージカルはともかく、ジャズはクラシックと同じような道をたどって生命力を失っているように思います。あんまり知らないし、興味もないんですけど。
この本にはいろいろ教えられるところが多かったんですが、全体のストーリーっていうか、構造自体について疑問に思う点を挙げて終わりにしましょう。話を簡単にするために著者が全く名前を挙げていない作曲家を指摘すれば、この本の射程の限界もわかるでしょう。まず、バロック以前の作曲家は出てきません。イタリアが音楽の中心であったというのはバロックにおいてのことであって、それ以前のスペインのヴィクトリアやドイツのシュッツを抜きにして「反音楽史」と言われても、それこそバッハとヘンデルから音楽が始まったような学校の教え方と大同小異です。
同じような意味で、チャイコフスキーやムソルグスキーやドヴォルザークも出てきません。これらの人たちもオペラを書いたのに。イタリア対ドイツの構図だから仕方ありませんが、フランス音楽についてはわりと触れているのに「辺境」は無視してるんでしょうか。おもしろいのはリヒャルト・シュトラウスも出てこないことです。ドイツ人にしては融通無碍で、ヴァーグナーと違って受けねらいのオペラや管弦楽曲を得意にした彼を採り上げると論旨が濁っちゃうからでしょうね。
20世紀の音楽においては、ショスタコーヴィッチとアイヴズとシベリウスといった調性を比較的守った作曲家を挙げていないのは決定的な問題です。アイヴズはアメリカの民衆音楽と前衛的な音楽を無理やりくっつけたところが私は大好きで、著者がひどく持ち上げるガーシュインなんかより言葉本来の意味でユニークで、優れた作曲家だと思いますけど。……こういう著者のスタンスは、ストラヴィンスキーやバルトークをも耳が変になる多調の作曲家と切り捨てているのと同じで、「20世紀の音楽ってみなさんわかんないですよね? あんなのええかっこしいだけが聴くもんですよね?」と一般の人に媚びているように思えます。しかしながら、音楽を理解するには(民謡やラップであっても)最初はそのイディオムに慣れる必要があります。慣れた上でわかるとかわからないとか、良し悪しが始まるので、そういう意味では私が挙げたような作曲家は慣れさえすれば、すごくわかりやすいし、おもしろい音楽だと思います。
そーゆー感じだと音楽=学問になってしまうのでしょうな。ちなみにあたくしは音楽=遊びだと思ってます。でも日本の音楽の先生方の多くは音楽=学問のご意見が多い。だから全然つまらん。
禁欲的なのはあたしは嫌いなんで。
まあ、音楽に限らず日本の先生は狭く深くがいいって思ってますからね。一般的には。。越境すると領海侵犯で攻撃されちゃうのかな?w
音楽は遊びですよ。全身全霊をかけた。作曲家も演奏家も、本物はみんなそうじゃないですか。モーツァルトもクライバーも。分析して、解体したものなんて、ホルマリンの臭いがして食べられません。
これからもよろしくです♪