去年の6月に17、18歳頃(1773‐74年)のモーツァルトに焦点を当てて、交響曲、オペラ、室内楽、宗教曲と見ていきました。それで、最後は他のジャンルの曲を採り上げて終わろうと思ってたんですが、ずいぶん間が空いてしまいました。一つはもちろん私が怠慢なせいですけど、残っているもののかなりの分量を占めるディヴェルティメントとかセレナードのCDがあまりなくて探していたこともあります。10枚組くらいのをいろいろ見ても不十分なんですが、仕方なく妥協しました。シンフォニーやコンチェルトは全集がいっぱいあるのにディヴェルティメントやセレナーデって軽く見られてるのかなぁ。確かにBGM的なところもあってゆるいって言えばゆるいけど、いちばんモーツァルトらしいって気もするんですが。
そういうことで全部じゃないので、なんか中途半端なものになってしまいますが、まずは73年のピアノ協奏曲ニ長調K.175です。それまでに7曲ほどの作品(67年に4曲、72年に3曲)があるんですが、J.C.バッハを始めとした他の人の編曲だそうですし、内容的にも試作的な感じですね。そういう意味で、オペラと並んで彼の最も重要なジャンルであるピアノ協奏曲の実質的なスタートというわけです。彼としても自信作であったようで、78年にマンハイムで、81年にウィーンで演奏していますし、K.382のロンドを終楽章に用いたヴァージョンを85年に出版しています。編成もオーボエ、ホルンにトランペットやティンパニーも加えた華やかなものです。
堂々とした出だしとコケットリーに富んだパッセージが、ああ、モーツァルトのニ長調がここから始まるって感じです。第2楽章もまるでアリアの導入のようなロマンティックなオケに乗って、ピアノがかすかな憂いを帯びた美しい歌を歌います。……でも、機会がなかったのか、76年までピアノ協奏曲は書かれませんでした。
次は同じ83年の2つのヴァイオリンのためのコンチェルトーネ、ハ長調K.190です。コンチェルトーネってなんでしょね。小さいコンチェルトくらいの意味でしょうか。ピアノ協奏曲の場合と同じようにもう一人と競演する機会があったんでしょうが、調べていません。曲としてはヴァイオリンとオーボエが追っかけっこをするところがおもしろいんでしょうね。でも、音楽としての作りは典型的なザルツブルク時代のモーツァルトで、75年にまとめて書かれた5曲のヴァイオリン協奏曲につながるんですが、それ以降はぷっつり書こうとしなかったらしいです。その原因は76年に自分を差し置いてイタリア人をザルツブルクの宮廷音楽監督に据えられたのを屈辱に感じて、ヴァイオリンを弾くのが嫌になったせいだという説が最近読んだ本にありました。いずれにしてもヴァイオリン奏者の方は成熟したモーツァルトのコンチェルトがほしいでしょうね。
ハンカチを手の上に乗せて弾くなどといった見世物みたいなもので、神童ぶりをヨーロッパ中に披露した(父レオポルドに披露させられた?)彼としては意外なんですが、ピアノ・ソナタは74年から75年に作曲された6曲(K.279-284)が最初です。ただ62年の6歳くらいから68年までに20曲近いヴァイオリン・ソナタを書いていて、これらはヴァイオリン・パートはピアノをなぞるような簡単なものなので(レオポルドが弾いたのかな?)、実質的にはピアノ・ソナタと言うべきものです。その上に立ったピアノソナタですが、コロコロときれいなメロディがころがるヴァイオリン・ソナタから、例えばヘ長調のK.280の第2楽章などを聴くと陰影のある音楽になっているのがわかりますし、まとめて作曲されたのにもかかわらずテーマの展開の仕方が見る見る豊かになっているのはすごいなって思います。私はグールドのおよそ正統的じゃないもので聴いていますが、青年モーツァルトをからかうような、一緒にはしゃぐような演奏はそれはそれでおもしろいものです。最後に書かれたニ長調のK.284の出だしの躍動感あふれる走り出すような弾き方は、モーツァルトが発展途上のピアノの可能性を見つけたことを表わすかのようです。
さて、問題のディヴェルティメントとセレナードです。私が聴けたのはセレナードの二つともニ長調のK.185とK.203、やはりニ長調のディヴェルティメントK.205、やはりニ長調のマーチK.189です。セレナードは弦に2つずつのオーボエ(又はフルート)、ホルン、トランペットで、K.203にはファゴットも入るようです。ディヴェルティメントは弦にファゴット、2つのホルンが入り、マーチは2つずつのフルート、ホルン、トランペットが入ります。どれも結婚式とかのお祝いの音楽といった感じで、明るく快活な音楽ですが、K.205はカヴァティーナふうの序奏で始まり、メランコリックなところや不安定に感じられるところもあって、この時期の彼の心情を想像したくなるような心に残る作品です。これら以外に聴けなかったものを列挙しておきます。見落としもあると思いますが、ディヴェルティメント変ホ長調K.166、変ロ長調K.186、弦と管楽器による16のメヌエットK.176、マーチニ長調K.237です。
別に結論をつける必要もないようなとりとめのないものでしたが、一時期に絞って聴いていくといろんなことがわかっておもしろかったですし、最初に抱いた「この時期にモーツァルトの内面で何かが変わった」という直観はそんなに間違っていなかったように思います。神童は自らを耕し、比類ない天才に変貌したのです。