夢のもつれ

なんとなく考えたことを生の全般ともつれさせながら、書いていこうと思います。

3.11直後の被災地旅行7:平泉、仙台、郡山

2014-12-26 | diary


一ノ関で平泉に行くのを待つ。この駅は何度も利用させてもらったので、ぶらぶらしてみる。



芭蕉が元禄2年(1689年)5月12日に一ノ関に泊まった。合羽も通るような雨で、翌日天気が回復した巳の刻に平泉に行き、また一ノ関に泊まってから南に向かったと書いてある。たぶん松島とともに平泉が念願の地で、それより先には行きたいところはなかったのだろう。



やはりここも閑散としている。ラーメンが食べたくなって、よせばいいのに地震で壊れたのか、ベニヤ板を打ちつけた店に入った。



中はレトロで小汚くてこあがりになっている。客がめずらしいのか、気を使ってファンヒーターを点けてくれるけど、暑いから消してもらう。しかし、塩ラーメンはシャキシャキ野菜がたっぷりで、とてもおいしい。

平泉は予定していた最後の目的地で、一ノ関から2駅盛岡に戻る。時間を有効に使うために先に気仙沼にしたわけ。
目の前の席に紺のブレザーの中学生が2人座ってる。1人は自家製のおにぎりを食べてて、もう1人は問題集をやってる。2人ともかわいくはないが、色白ですべすべの肌だ。



タクシーで中尊寺の金色堂近くまで登る。真っ赤な桃がいい香り。
釈迦三尊像などを納める讃衡蔵の脇に牛乳瓶の自販機があったから思わず腰に手を当てて飲む。



覆堂の中の金色堂は思ったより小さくて、仏像も讃衡蔵の三尊のミニチュアかなと思ったほどだった。



「五月雨の降り残してや光堂」という句碑が立っている。横の木の碑がないととても読めない。



藤原秀衡の供養塔が立っている。





かつては多くの伽藍が並んでいたのだろう。





参道を下って行くと北上川だろうか、川が光って見える。





毛越寺まで歩く。広々とした芝生と池が心地よい。手前の旧観自在王院跡の池が美しい。イメージと違って、この寺や中尊寺を頼朝は保護したそうだ。
平安貴族の屋敷を模したのだろうと眺めていると、ふと京を再現したのではないかと思い当たった。山と山に挟まれて川が流れる。なだらかな稜線を借景にした庭園は北山や東山とよく似ている。





毛越寺は池や曲水を配した御所のようなものだったろう。



中尊寺と比べると人が少ないところも好ましい。見飽きない気分でたたずむ。
平泉駅に戻る。高館義経堂に行けなかったのは残念だが、ゆっくり2つの寺跡を見ることができた。



今日3回めの一ノ関から小牛田で乗り継いで仙台へ向かう。帰り旅は好きじゃないが、仕方ない。
仙台駅の居酒屋で飲む。やっぱり仙台って人が多いと思うのはだいぶ岩手になじんだからだろう。
仙台のネットカフェで寝る。

さあ、そろそろ最終日の開始だと自分に気合を入れて起きる。歯を磨いて、顔も何枚もウェットティッシュで拭いてさっぱりした。朝はずっとサンドイッチとヨーグルトだったけど、さすがに飽きたんでおにぎりとゆで玉子を駅の売店で買い、時間もあったし、お腹空いたからホームのベンチで食べる。
仙台駅から5分ほどで完成間近い仮設住宅が見える。

福島でしばらく停車して郡山まで同じ電車で行く。連休なのに制服の学生が多い。震災で授業が遅れたのを取り戻しているのかもしれない。

郡山に戻って来た。9時過ぎまで黒磯行きの待ち合わせ。駅の近くを歩いてみる。





時間が早いせいか、人っ子一人いない古い商店街には何軒も風俗店があって、案内所まである。
白河を過ぎる。古来から奥州への入口だったのは有名だ。たぶんそれは南側に山々が連なっているからだろう。東北からの敵を迎え討つのに山を背にするのが有利だろう。



地図にたどった道をお絵かきしてみた。日ごとに色を変えるとなかなか楽しい。
東北ともお別れだ。お世話になりました。



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