夢のもつれ

なんとなく考えたことを生の全般ともつれさせながら、書いていこうと思います。

3.11直後の被災地旅行6:北上、気仙沼

2014-12-25 | diary
盛岡で東北本線に乗り換えて北上に行く。ネットカフェがあるみたいだからというのと平泉や気仙沼に行きやすいから。
満席で立ってる人もけっこういる。たぶんすぐに空いていくだろうと思ったは大間違いで、花巻までで空いてきたのがまた乗って来て、ほぼ満席。
ローカル線は本数が少ないのに混むことが多い。将来、東京の人口が減れば混雑が緩和されると言っている人がいるが、本数が減るだけだ。地方のことも経営というものも知らないのだろう。

北上で繁華街を自力で探して大衆酒場ってレトロな店で、イカの一夜干しと牡蠣フライとカンパチの刺身を食べる。イカがおいしい。

飲み直しでレトロな感じのスナックに入る。ママが1人で、客も1人で震災の話とかをした。
ネットカフェで3時頃に目が覚める。なんだか時差ぼけのような状態になっている。ブログの記事を書いた。使い慣れたパソコンと違うし、イスの具合もよくないからなかなかはかどらなかった。



タクシーに「駅の近くのコンビニで停めて」って言ったら5分以上駅から離れたところだったから驚いた。神社を横目に早朝のアーケードを歩く。





北上から40分で一ノ関に向かう。ワンマンカーの2両編成。





一ノ関で26分の待ち合わせで気仙沼に向かう。待ち時間に駅前を見ると東横インとかサンルートとか見慣れたホテルがある。



片道1110円の切符を買う。地震の影響で徐行しているので、10分近く遅れている。





駅が被災していないから運行している。そういうことだと納得できるようになってきた。





駅から1キロあまり、市役所の辺りから被災している。



魚市場の近くは飲み屋街だったのだろう。スナックの看板が損壊した建物に残っている。



街並みを離れ海岸に向かう。



静かな海。



船乗り場が静かに沈んでいる。



「気仙沼市小さな国際交流サロン」、「大島架橋の早期実現を」という横断幕が無残だ。



森進一の「港町ブルース」に宮古も気仙沼も出て来るとは気づかなかった。



本当に静かな海だ。









趣きのある街並みだったのだろう。





下水管が陥没したのだろうか。赤ちゃんの遊具がこんなふうに使われている。



銭湯だったのだろう。下駄箱と木の鍵が散乱している。







なまなかな現代アートではこの苦いアイロニーに太刀打ちできないだろう。





既に更地になっている所も所々にある。釜石も宮古も気仙沼も車が多く通る。







昨夜のスナックのママとの会話を思い出す。
「陸前高田にいとこがいるんで、震災2日後に行ったのよ」
「車は通れたんだ?」
「うん…まだ規制もちゃんとできてないくらい混乱してて。…こっちはそれほどでもないからちょっと安易だったんだけど」
黙ってうなずく。
「そしたら、がれきから遺体の脚が出てるような状態でね。ひどかった…」











被災した病院が別のところで診療しているとベニヤ板に貼り紙があった。献身という言葉が浮かぶ。



昔懐かしいオーディオ・ブランド名が並んでいる。











完全にがれきになった家屋、無残に生活の名残を晒した店舗、見慣れた風景になってしまった。







ここも2階くらいまで津波が押し寄せたのだろう。





マネキンにどきっとするものがあった。





電柱を立て直している。



土蔵はじょうぶなのだろう。剥がれた部分が津波の高さを示しているのかもしれない。









ここの市役所は少し高いところにあるから被災していないように見える。



市役所近くの商工会議所前の臨時販売所で桜餅を買った。テレビカメラがいたから、復興キャンペーンか何かだろう。



駅前で時間もあるから食べてしまった。
駅にはけっこう人がいて、改札が始まるまで待合室はいっぱいだった。



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