2011年のゴールデン・ウィークにふと思い立って各地の被災地に行った。
ネットで各地の様子やJRの運行状況を調べたり、ガイドブックを買ってそれなりの準備をした。
東北全体の列車の旅のガイドブックを見ると観光地や食事をする所の紹介がメインで、福島県内は会津や磐梯山辺りに集中していて、浜通りは全く載っていない。石巻や気仙沼のページを開くのも無残な気がする。
あれこれ考えてざっとしたルートを考えた。宮古まで途中下車を繰り返して行くわけだ。駅員もちょっと戸惑うような経路を使っている。
上野を6時4分の常磐線普通列車に乗ると水戸に8時ちょうどに着く。乗り継ぎの8時18分発でいわきに向かい、9時51分に着く。
この電車に乗ってうつらうつらしたり、窓外を見てもの思いにふけったりした。…
震災後感じていたのは、大本営発表と隣組による相互監視ってこんな感じだったのかなってこと。…節電なんかもう必要ないのに駅のエスカレータが止まっていたりする。膝を痛めていたりする人はずいぶん困っているだろうけど、そんな意見は聞こえてこない。
「心は一つです」「東北がんばれ」と連呼する押しつけがましい支援よりも、連休くらいテレビやインターネットから離れて、震災のことを考えない日を作ってもいいと思ったりもする。
後ろめたさや居心地の悪さはずっと感じてて、だからこそ行ってみたいのかもしれない。電車は徐行しながら茨城県最後の駅に着いた。瓦にブルーシートが掛けられた家はわりと見かけるが、倒壊したものは見えない。勿来は白河と並んで古代から奥州への関。この辺りも変わりない。火力発電所が見える。
でも、いわきに近づくにつれ落ち着かない気分になる。…
いわき駅から見る街並みは被災地に見えなかった。ミスドが半額セールをやってるので、そこで昼食にした。JCやJKがいっぱいいてにぎやかだった。
駅前で地元のレンタカーを借りたら6時間で2千円とすごく安かった。
初めての道だから慎重に運転して常磐道を福島第1原発に向かって走る。キョロキョロはできないけど、ところどころ屋根にブルーシートが掛かっているくらい。しかし、海に近い道の駅四倉は津波で破壊されて、閉鎖中だった。
ラジオで遺体の身元探しのために特徴をしゃべっている。淡々と「女性3歳前後赤いセーター。…20歳から40歳性別不明」と聞くだけで、ここに住んでいる人たちの気持ちに寄り添うなんて気楽なことは言えないと思った。
Jヴィレッジには戦車などの自衛隊や電力会社の車両が多くあって、前線基地のようだった。ここが20キロ圏ギリギリ。
この何の変哲もない交差点の向こうは立ち入り禁止になっている。左折して別の道から行こうとしても立ち入り禁止。テレビで官房長官が現時点では健康影響はないとか言ってるのとこの風景は不整合だ。
立入禁止区域から離れて適当に車を走らせた。林道に入ってしまい、Uターンもできないでそのまま行ったらほんの2、3戸の集落が見えた。道の真ん中に落石が転がったままだ。オブジェのようでもあり、何かを封じるための呪術的な趣きさえ感じる。
小野小町生誕伝説のある小野町に出た。夕方の桜はことのほか美しい。
いわきに戻り、レンタカーを返した。170キロも走っていた。駅ビルで海産物を見て、「小女子(コウナゴ)が愛知県産なのが悲しいね」って言ったら、店長は「買ってもらえないですから」と答えた。「ぼくはもういい年だし、タバコも吸ってるから、なんにも気にならないけどね」と言った。
ひと気の少ない飲み屋街をぶらぶらして、魚がおいしそうな店に入る。金頭(カナガシラ)の煮付けが付きだしで、桜鱒の刺身と目光(メヒカリ)の焼いたのと大根サラダを食べた。
目光はシシャモより小さくてずっとおいしい。水揚げしたときに目が緑に光るのが名前の由来だそうだ。
「このまちの規模に比べて看板を見てるとスナックとか、女の子がいる店が多いね。休んでるのは連休だから?」と訊くと、
「どんどん店を畳んでますよ。いろいろ工場とかありましたけど、おカネのある子は出て行って、ない子は残ってるんですよ」と言う。
その店を出て、しめに焼きビーフンを食べて常磐道沿いのネカフェに泊まった。
ネットで各地の様子やJRの運行状況を調べたり、ガイドブックを買ってそれなりの準備をした。
東北全体の列車の旅のガイドブックを見ると観光地や食事をする所の紹介がメインで、福島県内は会津や磐梯山辺りに集中していて、浜通りは全く載っていない。石巻や気仙沼のページを開くのも無残な気がする。
あれこれ考えてざっとしたルートを考えた。宮古まで途中下車を繰り返して行くわけだ。駅員もちょっと戸惑うような経路を使っている。
上野を6時4分の常磐線普通列車に乗ると水戸に8時ちょうどに着く。乗り継ぎの8時18分発でいわきに向かい、9時51分に着く。
この電車に乗ってうつらうつらしたり、窓外を見てもの思いにふけったりした。…
震災後感じていたのは、大本営発表と隣組による相互監視ってこんな感じだったのかなってこと。…節電なんかもう必要ないのに駅のエスカレータが止まっていたりする。膝を痛めていたりする人はずいぶん困っているだろうけど、そんな意見は聞こえてこない。
「心は一つです」「東北がんばれ」と連呼する押しつけがましい支援よりも、連休くらいテレビやインターネットから離れて、震災のことを考えない日を作ってもいいと思ったりもする。
後ろめたさや居心地の悪さはずっと感じてて、だからこそ行ってみたいのかもしれない。電車は徐行しながら茨城県最後の駅に着いた。瓦にブルーシートが掛けられた家はわりと見かけるが、倒壊したものは見えない。勿来は白河と並んで古代から奥州への関。この辺りも変わりない。火力発電所が見える。
でも、いわきに近づくにつれ落ち着かない気分になる。…
いわき駅から見る街並みは被災地に見えなかった。ミスドが半額セールをやってるので、そこで昼食にした。JCやJKがいっぱいいてにぎやかだった。
駅前で地元のレンタカーを借りたら6時間で2千円とすごく安かった。
初めての道だから慎重に運転して常磐道を福島第1原発に向かって走る。キョロキョロはできないけど、ところどころ屋根にブルーシートが掛かっているくらい。しかし、海に近い道の駅四倉は津波で破壊されて、閉鎖中だった。
ラジオで遺体の身元探しのために特徴をしゃべっている。淡々と「女性3歳前後赤いセーター。…20歳から40歳性別不明」と聞くだけで、ここに住んでいる人たちの気持ちに寄り添うなんて気楽なことは言えないと思った。
Jヴィレッジには戦車などの自衛隊や電力会社の車両が多くあって、前線基地のようだった。ここが20キロ圏ギリギリ。
この何の変哲もない交差点の向こうは立ち入り禁止になっている。左折して別の道から行こうとしても立ち入り禁止。テレビで官房長官が現時点では健康影響はないとか言ってるのとこの風景は不整合だ。
立入禁止区域から離れて適当に車を走らせた。林道に入ってしまい、Uターンもできないでそのまま行ったらほんの2、3戸の集落が見えた。道の真ん中に落石が転がったままだ。オブジェのようでもあり、何かを封じるための呪術的な趣きさえ感じる。
小野小町生誕伝説のある小野町に出た。夕方の桜はことのほか美しい。
いわきに戻り、レンタカーを返した。170キロも走っていた。駅ビルで海産物を見て、「小女子(コウナゴ)が愛知県産なのが悲しいね」って言ったら、店長は「買ってもらえないですから」と答えた。「ぼくはもういい年だし、タバコも吸ってるから、なんにも気にならないけどね」と言った。
ひと気の少ない飲み屋街をぶらぶらして、魚がおいしそうな店に入る。金頭(カナガシラ)の煮付けが付きだしで、桜鱒の刺身と目光(メヒカリ)の焼いたのと大根サラダを食べた。
目光はシシャモより小さくてずっとおいしい。水揚げしたときに目が緑に光るのが名前の由来だそうだ。
「このまちの規模に比べて看板を見てるとスナックとか、女の子がいる店が多いね。休んでるのは連休だから?」と訊くと、
「どんどん店を畳んでますよ。いろいろ工場とかありましたけど、おカネのある子は出て行って、ない子は残ってるんですよ」と言う。
その店を出て、しめに焼きビーフンを食べて常磐道沿いのネカフェに泊まった。