夢のもつれ

なんとなく考えたことを生の全般ともつれさせながら、書いていこうと思います。

縮小・拡大・変形のトランスクリプション

2006-06-27 | music

 編曲って言ってもいいんですが、それだとポップスのアレンジと同じようなものだと思われそうなんで、ちょっとむずかしめのトランスクリプションって言葉を使います。やさしい日本語で言えば書き換えってことです。ポップスのアレンジは、私は商品化だと思っています。たぶんギターやピアノのコード伴奏くらいしかないデモテープにベースやドラムスやシンセなどなどをつけて、世の中で売れるようパッケージングする作業じゃないかと。……この出来不出来にはかなり差があって、例えばアニメの声優さんの歌だとしばしば伴奏はシンセだけのチープでトホホな代物だったりします。

 それはともかくクラシックではトランスクリプションっていっぱいあって、大ざっぱに楽器編成の縮小か、拡大に分けられるような気がします。オーケストラの曲をピアノで弾けるようにしたのなんかが縮小で、例えばリストはベートーヴェンのシンフォニーを編曲しています。これはピアノの腕前を誇示するためのものなんだろうと思いますが、CDなどがない時代に家庭とかで、オーケストラ曲を楽しむために盛んに編曲されていました。今でも合唱やオペラの練習ではピアノ伴奏でやりますし、声楽用のヴォーカル・スコアは伴奏はピアノ用の2段のものがふつうでしょう。

 拡大の方の例としては、ムソルグスキーのピアノ曲「展覧会の絵」をラヴェルがオーケストレーションしたのが有名で、原曲よりよほどポピュラーです。シャブリエの狂詩曲「スペイン」も元はピアノ曲だったのを作曲家自身がオケ用に編曲したんじゃなかったかなって思います。4手のピアノ、つまり連弾だとたいていのオケ曲はまあ弾けるんですが、ブラームスのハンガリー舞曲もドヴォルザークのスラヴ舞曲も連弾曲を作曲家自身が編曲したものです。

 体系的な解説をするつもりはないんで、一般的な話はこれくらいにして、縮小と拡大の例を一つずつ挙げましょう。まずはアール・ワイルドっていう1915年生まれのアメリカのピアニストの演奏です。この人は81年にカーネギーホールで全部トランスクリプションのプログラムのコンサートを行っていて、主な曲目は、グルック「オルフェオのメロディ」、バッハ「トッカータとフーガ、ニ短調」、ヴァーグナー「イゾルデの愛の死」、リムスキー・コルサコフ「くまんばちの飛行」、クライスラー「愛の悲しみ」、ヨハン・シュトラウス「美しき青きドナウ」で、その他にショパンの歌曲「ポーランドの6つの歌」、ロッシーニやドニゼッティのオペラのアリアからの編曲などです。

 大編成のオーケストラ曲なんかを縮小して、ピアノだけで弾いてしまう技巧はすごいし、コンサートで聴けば拍手喝采しちゃいますが、正直言って一体なんのためにやってるのかなって思いました。いくら上手に弾いたってバッハのオルガン曲をピアノでやる意味はわかりませんし、クライスラーのヴァイオリン曲を編曲したラフマニノフやショパンの数少ない歌曲を編曲したリストの気がしれません。

 で、ライナーノーツを読むとワイルドはトランスクリプションが多くの自由を与えてくれて、自分の解釈ができるから好きなんだそうで、愉快で、おもしろく、多彩で、豊かな響きをあやつれるし、様々な音色が出せると言っています。これは確かに演奏に表われていて、超絶技巧的なところよりも細やかな音の表情の変化の方が魅力的で、単に指が回るとかそういう人ではありません。……考えてみればベートーヴェンやリストやショパンやドビュッシーといった基本的なレパートリーは、多くの巨匠(多すぎるかもしれませんw)がたいていのことをやってしまっています。だから彼は、「あ、ここは誰々のと同じね」って感じで、弾く方も聴く方も自由が奪われてしまっていると言いたいように思えました。……

 私が上で「なんのためにやっているのか」って言ったのも、そうした巨匠のありがたい演奏には何かためになるものがあるという幻想に取り付かれているせいなのかもしれません。スポーツやサーカスと同じように人をびっくりさせればそれでいいんだっていう考えもあるでしょうし、リストやラフマニノフがそういう面を持っていたのは事実でしょう。内容のある演奏とか精神性を感じる演奏と言っても、それが技術の修得より困難だという保証はどこにもありません。

 次はベリオ(1925‐2003)の作品をシャイーの指揮で、ミラノ・ジュゼッペ・ヴェルディ交響楽団が演奏した“Orchestral Transcriptions”というCDです。ベリオはマーラーの第2シンフォニーをフィーチャー(便利な言葉ですねw)した「シンフォニア」が有名ですが、このCDには原曲の時代順に次のような作品のトランスクリプションが集められています。パーセル「妖精の女王」の導入組曲から「ホーンパイプ」(69年初演)、バッハ「フーガの技法」からコントラプンクトゥスⅩⅨ(01年)、ボッケリーニ「マドリッドの夜の夜営ラッパ」の4つのヴァージョン(75年)、モーツァルトのためのディヴェルティメント「恋人か女房がこのパパゲーノに」の12のアスペクト(56年)、シューベルトの交響曲スケッチに基づく「レンダリング」(90年)、ブラームス「クラリネットソナタ第1番ヘ短調」のオーケストラ編曲(86年)。

 このうち最もふつうの意味での編曲、さっき言った拡大に近いのがブラームスで、その反対に原曲の面影を留めていないのがモーツァルトです。ブラームスは第4シンフォニーの味わいと共通するもので、室内楽的(当たり前ですがw)で濃厚な情念がとてもよく出ています。モーツァルトは「魔笛」のアリアが元だとはちょっとわからないバリバリの現代曲ですが、それでもモーツァルトの時代の音楽のイメージはちゃんと漂っています。この曲は、現代曲専門のドナウエッシンゲン音楽祭が半世紀前のモーツァルトの生誕200年を記念して、ヘンツェ、アイネムなどとともに委嘱したものだそうです。

 シューベルトのスケッチによる「レンダリング」(翻訳とか解釈といった意味です)は、シューベルトが完成させればこうなっただろうと思わせる見事な音楽がチェレスタの先導する雲のような靄のような音楽に呑み込まれるという不思議な代物で、シューベルトの持っていた病んだ精神がチェレスタの能天気な音色によって、かえって伝わってきます。バッハのコントラプンクトゥスⅩⅨは「フーガの技法」の終曲で、ベリオはあまり手を加えることなくリアライゼーションを手堅く進めていきますが、最後に例のBACHの音型が現われると音楽は静かに崩れ落ちていきます。

 ベリオの作品は編曲とか変奏曲とは違ったものだという気がします。楽器編成に合うように音を足したり、引いたりする編曲も、テーマを使って自分の音楽を展開していく変奏曲も素材となった音楽からすれば外側にあるように思いますが、彼の場合はその内側に入って自分の音楽に変形させているような。……私が原曲を知らないパーセルやボッケリーニを含めて、シャイーの選曲のセンスでしょうか、現代の視点から書き換えられた音楽史を聴くような趣があってとてもおもしろかったですねw。



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12 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ベリオのって (ぽけっと)
2006-06-28 09:56:26
おもしろそうですね。

モーツァルトの現代曲、てどんなでしょうと思いますがなんかわかるような気もします。

多少お料理しても「らしさ」を失くさない種類のものと、あまり手を加えられないものとあるでしょうね。

モーツァルトをたとえばストラビンスキー風に、ていうのはありそうだけど、その逆はちょっと不可能なんじゃないかと。

ブラームスは和声をくずすとブラームスじゃなくなっちゃうだろうし、とかいろいろ考えるとおもしろいですが、とにかくそれ聴いてみたいなあ…

てなところで長文化を避けるため、ここらへんで縮小版コメということにします。

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聴いてみてください (夢のもつれ)
2006-06-28 13:00:56
そして、素人玄人ブログをやりましょう



ストラヴィンスキーってホントにカメレオンだから、モーツァルトふうの音楽を書いてても不思議はないように思いますね

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だーかーらー (ぽけっと)
2006-06-28 18:43:37
ストラビンスキーがモーツァルト風に書いても(そりゃ書くだろうさ)聴いた人がストランビンスキーに聴こえなきゃ、おもしろくないでしょうが。

なーんてバトルするつもりは全くないけど実際とても興味あるのでCD注文しました。

ありがとねー

届くの楽しみだわ~
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だーーかーーらーーw (夢のもつれ)
2006-06-28 21:01:53
プルチネルラと詩篇交響曲と兵士の物語のどれがいちばんストちゃんに聴こえるんでしょうか?



って、バトルはなしで



注文したんですね。。なーんやこれって言われたら、どうしよ
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うっ…! (ぽけっと)
2006-06-28 21:35:00
言いたいことはわかりました…

でーもー

モーツァルトかと思ったら春サイのメロディーじゃない?これ!てなったらこの場合成功なのっ(あれってメロディーあるのか?)

ストちゃんをなにげなく例にあげた私がうかつだった…

だったら、えっと、えっとベルクとかどお?



どうしよー、挑発にのってるかも…
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はいはいw (夢のもつれ)
2006-06-28 22:34:49
まあ、ハルサイの話だとは思ってましたけどw。グールドの弾いたモーツァルトのピアノソナタはかなりデフォルメしてましたが、変拍子は使ってなかったような



ベルクがモーツァルトふうになったら、そりゃ美しいからシェーンベルクでんがな





<実はベルクはあんまり知らないのでした
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しつコメ失礼 (ぽけっと)
2006-06-28 23:28:23
そーかー

ベルクの方が美しいと思うけど、名前はシェーンベルクの方が美しいかあ

なんかむちゃくちゃ感心しちゃったわ
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いえいえ (夢のもつれ)
2006-06-29 16:21:48
苦しまぎれのシャレも言ってみるもんだなって思いました
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聴きましたよ~ (ぽけっと)
2006-07-08 14:35:55
シューベルト(ていうかベリオ)、やってくれてますねえ、見事ですう!

lontano(ライナーノーツによると)の部分のバランスがいろんな意味で絶妙ですね、折角盛り上がったのに、またこれが出て来たよ、て思わせるでもなく、ふたたび混沌(うふふ)から抜け出て来るメロディーがたぶんこのlontanoがあるが故にさらに涙出そうにきれいなのですね。



モーツァルトは確かに原曲の形はありませんね。

解体して云々ということなのでピカソが絵を描くような手法なのかなと勝手にイメージしてますが、で、原曲どんなだったかな、と思い浮かべて見ると音程が2度(もしくは7度、足して9になる音程は兄弟です)と4度しか使われていない曲だったんだ、ということに気づきました。

このシンプルさに目をつけたのかもね。

弦でしつこく繰り返される短いフレーズが単純な音程ではないけれど2度と4度を基本にしてるように聴こえました。

な~んてはったりよ。



バッハの最後も、そうか、て感じです。

BACHの音というのは一度に和音として鳴らすと半音のクラスター(かたまり)になってBACHの様式だとあり得ない和音だと思うけど、それを最後にやって現代の作曲家である証を宣言してるのかな?



はい、また長くなっちゃってすみませんでした。

大変いいものを紹介していただけましたです。



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さすが、さすが (夢のもつれ)
2006-07-08 19:20:00
やっぱり専門家が分析的に書くと決まりますね。2度と4度なんて逆立ちしても書けません。逆立ちできないしw。



バッハのは私も同感ですね。ベリオのクラスターの使い方ってセンスがいいなあ。……1度の和音?って一瞬思ったのが情けないですが
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