夢のもつれ

なんとなく考えたことを生の全般ともつれさせながら、書いていこうと思います。

ジャパン・レクイエム(2)

2005-05-28 | tale

 羽部輪子は、子どもたちが田植えをしているのを見ている。最近はこうした体験学習が盛んで、初夏の田植えと秋の稲刈りを子どもにさせて、親子で自然に触れさせようということらしい。参加者はけっこう多く、父親も参加している家族もあって、子どもと一緒になって田植えだか、泥遊びだかわからないが、誰かが尻餅をついたりするたびに歓声が挙がる。
 輪子は田んぼには入らない。午前中ももっぱら昼食のおにぎりを握る役をしていた。昔は体験学習なんかじゃなくて、家の仕事の手伝いでやらされたという親がけっこういるのに驚いた。彼女は農作業どころか、田んぼや畑もあまり見た覚えがない。小学生の低学年の頃まで住んでいた公営住宅の周りに、田んぼが広がっていたのをわずかに覚えているくらいだ。春先にれんげのネックレスを作ったり、秋に麦わらの山にランドセルを背負ったまま体を預けて友だちと話をしたことが、その時のにおいとともに自分のどこかにしまわれていたのを今日ここに来て思い出した。……
 しかし、水を張った泥田に入るなんてとてもできそうもない。蛙とか虫は見るのも嫌で、自分の子が服が汚れるのも頓着せずに探しているのを見て、「自然に触れていない」程度は自分以上なのにどういうことだろうと思う。子どもは親に似ないものなのかも知れない。自分だって一人っ子だったのが嫌で、4人も産んでしまった。そのうち今日は、小学生の3人を連れて来た。
 でも、育児にしても、食事や掃除や洗濯(今日は大変だ)にしても母親よりは手間をかけてきたと思う。意地を張っていたのかも知れない。そんなことをしても誰も誉めてくれないのに。父親に至っては、自分のことを考えたことさえあったのかどうか。
 ……付き添いの教師が子どもたちを集める声が響く。それに応じて親たちも我が子の名を呼ぶ。強い陽射しの中に田植えの済んだ田んぼを残して、輪子が育ち、今も住む都市にもうすぐ帰らなければならなかった。

 仲林欽二は、デイケア・センターの座敷の広間に寝転んで、うつらうつらしている。筋力トレーニングや水中ウォーキングをして寝たきり防止を心がけている老人が多くなってきているのに、欽二はヘルパーや他の老人に、早く駄目になって死にたいと軍隊仕込みのドラ声でしょっちゅう言うものだから、嫌われていた。それも彼としては本望で、こんな役立たずの老人を長生きさせるような建物(と彼は毒づいていた)にいたくはなかったのだが、お節介なホーム・ヘルパーがあんまりうるさいので、仕方なく来ているのだった。
 しかし、毎日2時間は散歩するし、食欲も旺盛で、80半ばになっても健康そのものだった。量こそ減ったものの毎日欠かさず、晩酌もしていた。妻が10年前に死んでからは、相手をしてくれるのはテレビだけだったが。くだらない、何も考えてないだろとテレビとそれを見ている連中に悪態を吐きながら何時間もチャンネルを渡り歩き、10時54分という変な時間から始まるニュースが終わって、若者向けの深夜番組ばかりでもだらだらと見続ける。しまいには、そのまま通年出してあるこたつの中で眠ってしまったりするので、テレビは絶え間なくついているのだった。
 あいつならもっと辛辣なことを言うんだろうな、ひどいことを言う奴だと思ったけど、おまえの言いたかったことが今なら少しはわかるよ。何で俺たちは最後の最後になってあんなことになってしまったんだろう。俺はおまえのことがわからなかったし、おまえはわかってもらいたくなかったのか。……そんなことを長すぎる夕暮れのような日々の中で、時折つぶやいていたりしていた。

 彼らもいずれは帰るべきところに帰るだろう。彼らの親族や友人がこれから我々の語る、1972年の6月から10年間ほどの物語においてそうだったように。そうなってしまえば我々の物語の登場人物など元々いなかったのと同じことになってしまうだろう。しかし、物語が言葉だけで伝えられるものであるとすれば、逆に我々の言葉がある限りは、彼らもまたこの舞台において生きていると言えるのかもしれない。

  Ο κοσμοζ σκηνη,ο βιοζ παροδοζ ηλθεζ,ειδεζ,απηλθεζ.
  (この世は舞台、人生は花道。君来たり、見たり、去りぬ)

 古人の言うとおりなのだろう。――では、始めよう。

  INTROITUS
 Requiem aeternam dona eis, Domine: et lux perpetua luceat eis.
 Te decet hymnus Deus in Sion,
 et tibi reddetur votum in Jerusarem:
 exaudi orationem meam
 ad te omnis caro veniet.

  入祭唱
 主よ、永遠の安息を彼らに与え、絶えざる光により彼らを照らしてください。
 神への賛歌はシオンでこそふさわしく歌われ、
 主への誓いはエルサレムで果たされるでしょう。
 主よ、わたしの祈りを聞き入れてください、
 死すべきものすべては、主に帰っていきます。


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