夢のもつれ

なんとなく考えたことを生の全般ともつれさせながら、書いていこうと思います。

第9シリーズ:シューベルト

2005-12-26 | music

 クリスマスが終わって、いよいよ年の瀬、第9の季節ですね。だからと言って、ここでベートーヴェンの第9シンフォニーについてうんちくを垂らしているようじゃあ(なんか汚いな)、アマノジャクの私の名がすたります。

 それで、他の大作曲家の第9シンフォニーについてちょこちょこっと書いてみたくなりました。まあクラシックファンなら常識、ふつうの人ならトリヴィア(古いか?)なんですが、ベートーヴェンがああいう偉大な3つの楽章と破天荒な第4楽章を持った曲を書いちゃってから呪いがかかって、後の作曲家は第9を書くと死んじゃうって言われてます。それを見ていきたいと思います。ですから、ベートーヴェン以前の100曲以上書いたハイドンや50曲くらい書いたモーツァルトのはここでは対象外です。

 で、時代順に最初はシューベルト(1797-1828)ですが、前に書いたやつの使い回しが多くてずっと読んでいただいてる方には申し訳ありません(あんまりいないか)。彼のシンフォニーは、1813年の第1から18年の第6までを一連の成長過程として見ることができます。まあ、演奏する場所も公のところじゃないし、演奏者もアマチュア向けのものが多いですからね。とは言え、モーツァルトやベートーヴェンの影響下でありながら、いかに彼が成長したかとか、個性がどのような形で発揮されたかとかを楽しんで聴くことができます。

 シューベルトのシンフォニーの第7以降のナンバリングはややこしいところがありますが、私が聴いたコリン・ディヴィスのシンフォニー全集の解説に従っておくと、第7は演奏不可能な草稿のみなので欠番みたいなものです。それで、22年の第8「未完成」と26年の第9をそれぞれ全く独立したものとして理解した方がいいでしょう。ところが、第8と第9は私には素直に飲み込めないものです。小説に喩えてみれば、第8はたっぷりと心理の綾を味あわせてくれるもののドラマの途中で終わってしまったものって感じです。もちろんすごく人気のある曲であるからこそ悪態をついてるんですが。

 第9の方はもうどの楽章も長い、長い。おもしろいエピソードが満載なので人気連載になって、いつ果てることもなくえんえんと引き伸ばしてしまったような感じです。暇で気だるいお正月向けですね。ちょっとくらいうつらうつらしてもまだやってますから。シューベルトってピアノ曲もそうですが、こういうクセがあって終われなくなっちゃうんですよ。たぶん作曲ができる人なら「ここでこういうコーダにすれば終われるだろ!」って突っ込みを入れたくなるでしょうね。でも、出だしからしてホント歌うようなどこか翳りのある、忘れられないメロディ満載ですから聴いたことのない方は、ぜひ聴いてみてください。

 ……それにしても形式面でこれほど欠陥のある名曲は空前絶後でしょう。しかも2曲! そこがシューベルトの魅力で、そういう意味でもこれまたずっと前に書いたことですが、お友だちになりたい作曲家No.1です。



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