この絵は美術史美術館ではなく、オーストリア・ギャラリーの所蔵です。クリムトの作品はこことベルヴェデーレ宮殿、何よりベートーヴェン・フリーズなどセゼッション(分離派美術館)にあって、要はハプスブルク家の持ち物になる前に王朝が崩壊してしまったんでしょう。
1900年のこの作品は、ふつうよく知られているクリムトの絢爛豪華にして、頽廃的なイメージとは全く違っています。まず目に付くのは目線の低さです。農家が画面の上端ぎりぎりに描かれていることから、ほとんどうつむいていると言っていいでしょう。彼の他の風景画においてもこうした目線の異様な低さがしばしば見られます。次にひょろひょろとした白樺の頼りなさです。単純な話、こういう木を子どもが描いたら親や教師は心配する必要があるように思います。バウムテストはもっと厳密な指示を与えて描かせるものですし、それ自体どこまで信用の置けるものなのか疑問なしとしませんが、少なくとも女性を描いているときのクリムトが公的なペルソナをまとっていたとしたら、この絵では私的なペルソナで不安におびえる姿を示していると言えないでしょうか。
また、この画面が正方形なのも注意すべきでしょう。一体に絵の縦横の比率は、古来から言われる黄金比(1:(1+√5)/2≒1.618)前後にするのが落ち着きがいいはずなのに、クリムトは「ユーディット」のように極端に縦長の画面を使ったりしてきました。そういう意味では、掛け軸や色紙を想起していただければわかるように中国や日本の絵画の影響があるのかもしれません。「ユーディット」がそうですが、しばしば装飾的な額縁を含めて作品として成立しているのも、そういった東洋の工芸品の文脈で考えるのがいいように思います。
この絵に描かれた内容に戻ると主役は小さな花をつけた野草と白樺のように思いますが、タイトルは“Bauernhaus mit Birken”で農家に白樺が添えられている(mit、英語のwith)ことになっています。そんなにこだわる必要はないのかも知れませんが、この主客転倒もどこかゆがんだものを感じます。
こんなふうなことを考えながら、クリムトの作品を観ていくと安易な比喩だとは思いながらもマーラーのシンフォニーと相通じる世紀末ウィーンの時代精神を感じざるを得ないのです。