我々は先日、渋谷のBunkamuraのミレイの展覧会へ行って来た。
「『オフィーリア』に会いに行ったわけね」
「うん。とても久しぶりだね。」
「どうだった?昔のあこがれの人に再会した気分は」
「あれ?こんなに小さかったのかなって感じ。76cm×112cmだから小さい絵じゃないけど、テート美術館で見たときは目の前に広がるような」
「そういうことってあるね。入り込んだ心の面積の問題?」
「画面の上がアーチ型になってるのも覚えていなかったね。記憶とズレがあって落ち着かなかったな」
「『マリアナ』はミレイの特徴であるストーリー性が読み取りやすいものね。テニスンの『私の人生は侘しい。あの人は来ないもの』という詩を描いたわけだけど」
「ステンドグラスの受胎告知、テーブルの上の木の葉、後ろの祭壇の銀器、そうしたものはすべて主人公のちょっとドキッとするようなポーズの文脈を明らかにしてるんだね」
「覗き見的な感じすらあるでしょ?欲求不満の女って男は好きだから」
「ありそうでないもの、ある意味ウソ臭いものを文学と結びつけて成立させてるところがあるね」
「『北西航路』のような政治的な作品になると解説を聞いて、『あー、そうなの?』という反応しかできないね」
「この絵が北極海を通る航路の探検隊の派遣を支持する世論を醸成したって言われてもね。老いた船乗りを娘が慰めているようにしか見えない」
「小道具の意味を読み解くのも面倒なような」
「この『ハートは切り札』はおもしろいわね。ウォルター・アームストロングっていう実業家がミレイの絵を気に入って自分の3人の娘を描かせたものだけど、たぶん見合い写真的な意味もあったんでしょ」
「向かって右のメアリーが誘うような目で、ハートが集まった手札を見せてる」
「左のエリザベスの髪型がいいわね。内気そうだけど、しっかり計略をめぐらせてるっていうか」
「真ん中のダイアナはあまり魅力的じゃあないね。ぼんやり顔色をうかがっているような」
「でも、1872年にこの作品が描かれたすぐ後にウォルターは詐欺に遭って破産して、美術品も売らざるを得なくなったんだけど、結婚していたダイアナの夫がこの絵を引き取ったのよね」
「ミレイのストーリー性の成せる業かな」
「『初めての説教』は当時流行ったファンシー・ピクチャーって呼ばれるものの一つだけど、女の子の表情はやっぱりうまいわね」
「教会で初めて聞くお説教に固くなってる様子がよくわかるね。で、それが『二度目の説教』では……」
「2枚組にして事の前後を描くってよくあったらしいけど、思わず微笑しちゃうわね」
「この『両親の家のキリスト』が気になったの?」
「うん。幼いキリストが父ヨゼフの仕事を手伝って手のひらにケガをした、そこに寄り添いいたわる聖母マリアが不吉な予感を覚えた。向こう側にいるのは祖母のアンナで、おずおずと水を持って来るのは洗礼者ヨハネとすぐにわかるでしょ?」
「聖書にはこんな場面はないけど、イエスの頭上の鳩や屋外の羊やその他の小道具にもいろいろ聖書の図象学的伝統に則った意味があって、わかりやすいね」
「6人の登場人物の頭部を結ぶとアーチの真ん中に聖母子がいるようでもあるし、2つの三角形が触れ合っているように見えて、三位一体を表しているのかな。それも中世以来の宗教画の伝統を感じさせるわ。そこまではいいんだけど」
「でも?」
「向かって左の背中をかがめて様子をうかがっているヨゼフの助手らしい若い男が何を、あるいは誰を表象しているのかがよくわからないのよ」
「そう言えばそうだ。腰に巻いた布の模様も気になるね」
「他の人物には模様なんかない。……じゃあ、現代人の視点?」
「ああ、そうかも」
「この絵は神々しさを欠いたマリアの表情が当時非難の対象になったそうだけど」
「1850年でも宗教がらみだと感情的になる人が多かったんだね」
「何か言いたくなるような生々しさがあるのよ。装飾的じゃないし。ミレイらしくないから目立つのかしら」
「『オフィーリア』に会いに行ったわけね」
「うん。とても久しぶりだね。」
「どうだった?昔のあこがれの人に再会した気分は」
「あれ?こんなに小さかったのかなって感じ。76cm×112cmだから小さい絵じゃないけど、テート美術館で見たときは目の前に広がるような」
「そういうことってあるね。入り込んだ心の面積の問題?」
「画面の上がアーチ型になってるのも覚えていなかったね。記憶とズレがあって落ち着かなかったな」
「『マリアナ』はミレイの特徴であるストーリー性が読み取りやすいものね。テニスンの『私の人生は侘しい。あの人は来ないもの』という詩を描いたわけだけど」
「ステンドグラスの受胎告知、テーブルの上の木の葉、後ろの祭壇の銀器、そうしたものはすべて主人公のちょっとドキッとするようなポーズの文脈を明らかにしてるんだね」
「覗き見的な感じすらあるでしょ?欲求不満の女って男は好きだから」
「ありそうでないもの、ある意味ウソ臭いものを文学と結びつけて成立させてるところがあるね」
「『北西航路』のような政治的な作品になると解説を聞いて、『あー、そうなの?』という反応しかできないね」
「この絵が北極海を通る航路の探検隊の派遣を支持する世論を醸成したって言われてもね。老いた船乗りを娘が慰めているようにしか見えない」
「小道具の意味を読み解くのも面倒なような」
「この『ハートは切り札』はおもしろいわね。ウォルター・アームストロングっていう実業家がミレイの絵を気に入って自分の3人の娘を描かせたものだけど、たぶん見合い写真的な意味もあったんでしょ」
「向かって右のメアリーが誘うような目で、ハートが集まった手札を見せてる」
「左のエリザベスの髪型がいいわね。内気そうだけど、しっかり計略をめぐらせてるっていうか」
「真ん中のダイアナはあまり魅力的じゃあないね。ぼんやり顔色をうかがっているような」
「でも、1872年にこの作品が描かれたすぐ後にウォルターは詐欺に遭って破産して、美術品も売らざるを得なくなったんだけど、結婚していたダイアナの夫がこの絵を引き取ったのよね」
「ミレイのストーリー性の成せる業かな」
「『初めての説教』は当時流行ったファンシー・ピクチャーって呼ばれるものの一つだけど、女の子の表情はやっぱりうまいわね」
「教会で初めて聞くお説教に固くなってる様子がよくわかるね。で、それが『二度目の説教』では……」
「2枚組にして事の前後を描くってよくあったらしいけど、思わず微笑しちゃうわね」
「この『両親の家のキリスト』が気になったの?」
「うん。幼いキリストが父ヨゼフの仕事を手伝って手のひらにケガをした、そこに寄り添いいたわる聖母マリアが不吉な予感を覚えた。向こう側にいるのは祖母のアンナで、おずおずと水を持って来るのは洗礼者ヨハネとすぐにわかるでしょ?」
「聖書にはこんな場面はないけど、イエスの頭上の鳩や屋外の羊やその他の小道具にもいろいろ聖書の図象学的伝統に則った意味があって、わかりやすいね」
「6人の登場人物の頭部を結ぶとアーチの真ん中に聖母子がいるようでもあるし、2つの三角形が触れ合っているように見えて、三位一体を表しているのかな。それも中世以来の宗教画の伝統を感じさせるわ。そこまではいいんだけど」
「でも?」
「向かって左の背中をかがめて様子をうかがっているヨゼフの助手らしい若い男が何を、あるいは誰を表象しているのかがよくわからないのよ」
「そう言えばそうだ。腰に巻いた布の模様も気になるね」
「他の人物には模様なんかない。……じゃあ、現代人の視点?」
「ああ、そうかも」
「この絵は神々しさを欠いたマリアの表情が当時非難の対象になったそうだけど」
「1850年でも宗教がらみだと感情的になる人が多かったんだね」
「何か言いたくなるような生々しさがあるのよ。装飾的じゃないし。ミレイらしくないから目立つのかしら」
どれも表情がいいですね。
キリストの両親って本当はこんな人たちだったかのかもって気もするし、左端の男性は暗くて表情がよくわからないところが、確かに黒子っぽくて当事者らしくないかも。
幼いキリストに目力ない感じなのがちょっと気に入りませんがw
神々しくなくてもいいけど、どの人物にも強さが欠けてますね。