「パート1よりもパート2の方がいいと言われる数少ない作品の一つ」だとこの間言ったシリーズの第3作ですが、「映画のパート3はオケのコンサートのアンコールのようなものだ」と言えばいいでしょうか。すなわち、「芸術的には余分なものを与えられて得をした気分になる人たちのために専ら興行的理由によって作られるもの」ということです。
そこまでこの映画を酷評するのはちょっと気の毒かもしれません。ドラマの中の時間(20年間)とほぼ同じ時間(16年間)を経て制作され、マイケル・コルレオーネ(アル・パチーノ)を始めとした第1作からの出演者が年老いた姿で登場し、ヨハネ・パウロ1世の謎の死が重要なエピソードとして挿入され、最後の「カヴァレリア・ルスティカーナ」の舞台とシンクロしながら二重の暗殺劇が進行するといった点はかなり高く評価できるでしょう。
でも、アル・パチーノのメイクはわざとらしく、タリア・シャイア演じるコニーがキャラの一貫性もなくゴッド・マザーになり、従兄のヴィンセント(アンディ・ガルシア)にメアリー(ソフィア・コッポラ )はコロッと惚れてしまう。‥‥つまりはドラマとしての粗雑さ、人物造形の浅薄さが目立つわけで、そうした例はまだまだ挙げることができます。それがエピソードや演出が十分に埋め込まれずに浮き上がって、結局前2作をなぞったようなところばかり目立ってしまいます。
それ以上にこの映画を好意的に評価できない最大の理由は(孤児から養子になった)義兄弟のトム(ロバート・デュヴァル)が登場しないことです。パートⅢは当然、彼とマイケルの確執が中心になるだろうと思っていた私としては唖然とするほかありませんでした。彼が出演しないことになった時点でこの作品はモメンタムを失って、緊張感もなくいくらでも続けられるシリーズものと同じようなものになってしまったと思います。
そこまでこの映画を酷評するのはちょっと気の毒かもしれません。ドラマの中の時間(20年間)とほぼ同じ時間(16年間)を経て制作され、マイケル・コルレオーネ(アル・パチーノ)を始めとした第1作からの出演者が年老いた姿で登場し、ヨハネ・パウロ1世の謎の死が重要なエピソードとして挿入され、最後の「カヴァレリア・ルスティカーナ」の舞台とシンクロしながら二重の暗殺劇が進行するといった点はかなり高く評価できるでしょう。
でも、アル・パチーノのメイクはわざとらしく、タリア・シャイア演じるコニーがキャラの一貫性もなくゴッド・マザーになり、従兄のヴィンセント(アンディ・ガルシア)にメアリー(ソフィア・コッポラ )はコロッと惚れてしまう。‥‥つまりはドラマとしての粗雑さ、人物造形の浅薄さが目立つわけで、そうした例はまだまだ挙げることができます。それがエピソードや演出が十分に埋め込まれずに浮き上がって、結局前2作をなぞったようなところばかり目立ってしまいます。
それ以上にこの映画を好意的に評価できない最大の理由は(孤児から養子になった)義兄弟のトム(ロバート・デュヴァル)が登場しないことです。パートⅢは当然、彼とマイケルの確執が中心になるだろうと思っていた私としては唖然とするほかありませんでした。彼が出演しないことになった時点でこの作品はモメンタムを失って、緊張感もなくいくらでも続けられるシリーズものと同じようなものになってしまったと思います。