夢のもつれ

なんとなく考えたことを生の全般ともつれさせながら、書いていこうと思います。

ジャパン・レクイエム:Requiem Japonica(20)

2005-08-03 | tale

 それからほど経ない日曜日、久々に宇八は家族共々ミサに参列した。終了後、宇八は自らルーカス神父に近づき、言葉を交わしていたが、いつになく低い声であったので、我々が聴き取ることができなかったのは遺憾である。ただ、神父が福音書(4つのうちのどれかはよくわからないのだが)の一節を早口で引用したところだけ、はっきりと聞こえた。

「主は、マグダラのマリアをお赦しになり、盗人の願いをもお聴き届けになられたのです。このように主は、我々にとって尽きせぬ希望を与えられるのです」

 その間、宇八は興味深そうに聞いていたが、一個所ひっかかるような表情をして、神父の口元を見つめた。他方、この神父の言葉は、夫が失礼なことを言い出しやしないかと心配顔でそばにいた、栄子にも強い印象を与えた。ある程度聖書の言葉を聞きなじみ、この一節についても自ら読んだことがあったために、過去の出来事を記憶の奥から呼び覚まされることになったのである。教会の小さな窓は建付けが悪く、澄みきった青空が吹き渡る風のために震えるように見えるのだった。……

 話は6年前の1971年の夏、この物語で言えば羽部一家が夜逃げして鳥海家に身を寄せる1年前のことである。その年の暮れ近く相次いで起こった2つの爆弾テロと同じようなショックに片山家と鳥海家は見舞われていた。当時16歳の片山攻治が近所の家に盗みに入った容疑で、その数日後に同い年の鳥海菫が売春をした容疑で、相次いで警察の事情聴取を受けたのであった。

 攻治は、警察にも家族にも恥ずかしがって、顔を真っ赤にして口を閉ざし、動機などは何も言わないのだが、近所の20歳過ぎの女に関心をもったためらしく、寝室の前や浴室の辺りをうろうろしていたところを見つかってしまったというもので、カネを盗るためではなかったようだった。菫の方は、本人の弁によると、「服を脱いだところで怖くなって泣き出した」ために騒ぎになってしまったので、相手の商店主は、「指一本触れさせてもらってないのに」と警察でぼやいていたそうである。

 したがって、これらの事件は、それ自体としては大したものではなかった。ただ、警察が交友関係などについて、かなり執拗に事情聴取を重ねたのは、2人ともシンナー遊びをしていたからだった。任意の家宅捜索(どちらの両親も少しでも警察の心証を良くしようと揉み手せんばかりに迎え入れた)で、攻治の乱雑を極めた部屋からは多くのビニール袋やシンナーの瓶が発見された。菫の部屋はベッドの下にたくさんの服や雑誌が押し込められていたが、やはりシンナーの臭いのするビニール袋が何枚か見つかった。親たちは青ざめ、言葉を失い、あるいは誰彼かまわず名を挙げて、『悪い友だち』のせいにしたがった。友人も事情聴取を受けたが、当然のことながら逆に彼らが友人やその親たちから石を投げつけられる破目に陥った。

 シンナー遊びの取り締まりは翌年の夏からだったので、幸か不幸か二人はこの関係でも立件に至らなかったが、職務に忠実なだけにうんざりしてもいる少年課の取調官から厳しい説示を両親共々受け、嘆願書だか、誓書を入れさせられ、ようやく帰宅を許された。家に帰ると両家とも、まるで示し合わせたかのように「罪を犯すなんてそんな息子(娘)に育てた覚えはない」と嘆き、警察に呼ばれたことの恥辱や不安をそのままに「世間体が悪い、おれたちや姉(弟)の迷惑を考えろ」と怒鳴りつけ、自分たちの言葉に興奮して手を上げた。

 両家の親たちの言動はこのようにほとんど同じだったが、姉弟の反応は少し違った。攻治の姉の暁子は短大の1年生、葉子は高校3年生で短大の受験を控えていた。暁子は親の尻馬に乗って、「あたしの就職だって、あんたが警察に捕まったってわかったら、おしまいなんだから」と怒り、葉子も「女の下着が好きなら、あたしの上げようか?」と嘲った。ところが童は、姉の事件を聞いて自分がやったように居心地が悪く感じ、姉とも目を合わせず、しばらく話もしなかった。菫に対して嫌悪感を抱いたということもあるが、それ以上になんだか自分がいちばん隠しておきたいことがあからさまになったように感じていたのである。……

 さて、こうした両家に出来した不祥事は親戚にも、と言うか三姉妹間でこそお互い秘密にしておくべきことであった。しかしながら、それだけにどこかに一つだけ穴を開けておきたくなるのが人の常であるわけで、栄子に妹たちから長電話が相次いで入り、師走の忙しい頃なのに電話口の両方で、感情が高ぶってわあわあ大声で泣き出すという愁嘆場が繰り返され、おまけに達子に厳重に口止めされていたにもかかわらず、栄子は、『光子を励ますため』との自分への言い訳をしながら、攻治のことも鳥海家に聞いたこと以上に想像と脚色を交えて伝えてしまい、交換に菫のことも片山家に伝えられ、この2つの事件は三姉妹の共有物となった。

 栄子は菫が実の娘の輪子なんかよりよほど自分と外見もちゃきちゃきした性格も似ているため、ことのほかかわいがっていたので、「ご飯より好きな鯛焼きをご近所からいただいても食べる気がしない」と言うほど胸を痛めていた(一つ食べたものの胸が焼けたのかもしれないが)し、主観的には攻治についても同様の気持ちを持っていたのだった。一般的に言うと、この三姉妹は客観的には単なる覗き趣味のような好奇心を発揮している場合であっても、「あんたのことを夜も眠れないほど心配しているのに、その言い方は何よ」と他人を責め立てられる、羨むべき鈍感さを持ち合わせていたのであった。……彼女たちに幸いあれ! 最期の日まで、彼女たちは自らを振り返って見てしまうことで、精神の安定を損なうようなことはないであろう。

 それはともかく、当時、宇八は栄子が両家に訪れた最大の悲劇を身振り、手振りで語るのを鼻毛を引き抜きながら聞いていた。

「はしかにかかったのを何を騒いでいるんだ? あれくらいの時分は頭も腰ももやもやしてるもんだ。哺乳類なんだから発情期はあるさ。何もない方が心配だ。……それより黒豆が焦げてるんじゃないのか?」

 そんな調子だから、その後で鳥海家にころがり込んだ時も、まだなんとなくみんなが菫を腫れ物でも触るように接しているのも気にせず、「どうだ、伯父さんがパトロンになってやろうか?」などとあまり感心しないような際どい冗談を言っていた。菫は菫で、「伯父さん、お金ないでしょ」とけろっとして、父親や弟の居心地を悪くさせるような受け答えをしていたのであるが。……そう、親たちがいつまでも世間に対してひけ目に感じているほど、子どもたちは次から次へと楽しいことや悩むことがあるから気にしてはいられないのである。


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2 コメント

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おっしゃるとおり… (hippocampim)
2005-08-04 21:44:46
残念なことに、一般的には女性は噂好き、秋の空のようにコロコロと感情に流され、口が軽く、そしてしたたかです。



若気のいたり、「頭も腰ももやもや」って吹き出してしまいました(笑)。
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そうなんですか?w (夢のもつれ)
2005-08-04 22:15:52
この三姉妹が噂好きで、お互いを心配してるんだか、おもしろがってるんだかわからないのは事実ですが、だからと言って女性一般がそうだなんて、自爆テロみたいなことは決して言いませんよw。



もやもやの方はわりと一般化できるかなとは思っていますが、そうでなきゃ命がけの恋愛もできないでしょう。ねぇ?
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