上野は遠いし、どうせ混んでるに決まってるしで気が進まなかったんですが、平日の朝一番、寒くて雨も降りそうな日だから一縷の望みを託してダ・ヴィンチの「受胎告知」を見に行きました。入るまでに10分ほど掛かったけれど、まだいい方だったんでしょうね。帰りには行列は何倍にもなっていましたから。のっけから文句ばかり言いますが、肝心の絵の前に何重にも人垣ができて押し合いへし合いしたり、「きれいねえ」とか「上手ねえ」とかいう声が聞こえるのは日本で展覧会に行くという一大決心wを立てた以上、修行とでも思うしかありません。コンサートで「ウィーンフィルの演奏の方がよかった」とか「サントリーホールで聴きたかったな」といった声が聞こえても殺意を覚えてはいけないのと同じですw。
でも、あの暗い電灯の下でなんで見なきゃいかんのだという気はしました。絵画は自然光の下で見るものです。ウフィツィ美術館側がそう要求したのかなって思いますが、あれではなんだかだまされたような気分です。とは言え、最新デジタル技術による何十万円もする複製画にはマティエールが全くなかったんで、かえって本物を見てよかったと浅ましく思いました。
絵画作品としては「受胎告知」しかありません。これまたイタリアではない以上、致し方ありません。その代わりいろんな素描を元にしたかなりの分量の展示がありました。人間を中心とした自然のメカニズムを研究し続けたダ・ヴィンチの仕事をたどるといった趣きで、なかなかおもしろいものでした。力学的に飛行不能の飛行機の実物大の模型や戦争によって中断を余儀なくされた巨大なブロンズの「スフォルツァ騎馬像」の鋳造方法の工夫や何より鏡文字で書かれた膨大なスケッチを見ていると、思索中心の哲学から実験結果を数学的に記述する科学に変わっていく過渡期の技術と芸術、つまりアートの人なのかなっていう印象でした。彼は万能の天才と言われたりしますが、そういうことより何にでも関心があって、自己流にいろいろ手を動かして考えるのが好きな人だったんだなって思いました。
私はダ・ヴィンチの絵画はよくわかりません。「モナ・リザ」や「最後の晩餐」については現在でもいろんな“解釈”があって議論が尽きないようで、確かに隠された意味があるように見えます。ただそれが明らかにできるようなものなのかと言うとあまりそんな気はしません。彼自身が自分の作品を謎めかして描いているように思うからです。なんらかの“解釈”でダ・ヴィンチをつかまえようとしてもするりと脱け出てしまうようなところがあるんじゃないかと。……
そんなことを「受胎告知」を見ながら思いました。例えばこの絵の中央奥、一点透視法の消失点には青い山が空気遠近法で描かれていますが、この山はイエスを暗示したものだと言われます。また、この絵にはまだ20歳くらいだったダ・ヴィンチの稚拙さが現れていて、天使ガブリエルの奇妙に長い体やイザヤ書(なぜイザヤ書が出てくるのかは私のサイトの「聖母マリアは処女だったのか?」を見てください)を置いた書見台が手前すぎるといったことは、この絵が横に長いことと合わせ、右斜めから鑑賞されることを計算したものだと言われます。こういったことは間違ってはいないのでしょうが、だからといってこの聖母マリアの謎めいた表情を明らかにしてくるとも思いません。
さっき挙げた私のサイトにはフラ・アンジェリコの絵を掲げてあります。その聖母が告知を身をかがめるようにして受け入れる敬虔さと突然子を持つことになった不安の表情が少女っぽい顔に浮かんでいるところに素直に共感できたからです。どんな画家による「受胎告知」であってもおそらくこの「敬虔さ」、「不安」、「初々しさ」といった言葉で括ることができるでしょう。ダ・ヴィンチを除いて。
聖母マリアの左手は告知を受けた驚きを表わしていると言いますが、全然そんな感じはしません。天使が指で示したものを悠然と受け止めているように見えます。いや、悠然と言うよりは無表情に近いとすら感じます。彼は感情表現が不得意だったのでしょうか?……困ってしまった私は彼が弟子入りしたヴェロッキオの作品をぐぐってみました。
この聖母子と洗礼者ヨハネと聖ドナトゥスを描いた絵も表情が乏しい点では近いかもしれませんが、緊迫感や謎めいた雰囲気はありません。カーペットの細密な描写は大したものですが、そうしたものをいくら積み上げてもダ・ヴィンチの絵のようにはならないことがわかるでしょう。では、いっそのことこれはどうでしょう。
このデッサンが実は検索した結果で、いちばんいい絵だなと思ったものですが、これじゃあダ・ヴィンチっぽすぎます。しかし、例えばダ・ヴィンチだとこうです。
同じような雰囲気でありながら、先生よりずっと先に行っていることは明らかでしょう。ヴェロッキオは彫像の方が優れたものが多いようで、それはこのサイトを見ていただくとわかると思うんですが、それにしてもダ・ヴィンチの技量のすごさを確認しただけのようです。……なんでもかんでも研究し、分析した彼は自分の絵だけは分析しきれない謎のままに残したような気がします。
でも、あの暗い電灯の下でなんで見なきゃいかんのだという気はしました。絵画は自然光の下で見るものです。ウフィツィ美術館側がそう要求したのかなって思いますが、あれではなんだかだまされたような気分です。とは言え、最新デジタル技術による何十万円もする複製画にはマティエールが全くなかったんで、かえって本物を見てよかったと浅ましく思いました。
絵画作品としては「受胎告知」しかありません。これまたイタリアではない以上、致し方ありません。その代わりいろんな素描を元にしたかなりの分量の展示がありました。人間を中心とした自然のメカニズムを研究し続けたダ・ヴィンチの仕事をたどるといった趣きで、なかなかおもしろいものでした。力学的に飛行不能の飛行機の実物大の模型や戦争によって中断を余儀なくされた巨大なブロンズの「スフォルツァ騎馬像」の鋳造方法の工夫や何より鏡文字で書かれた膨大なスケッチを見ていると、思索中心の哲学から実験結果を数学的に記述する科学に変わっていく過渡期の技術と芸術、つまりアートの人なのかなっていう印象でした。彼は万能の天才と言われたりしますが、そういうことより何にでも関心があって、自己流にいろいろ手を動かして考えるのが好きな人だったんだなって思いました。
私はダ・ヴィンチの絵画はよくわかりません。「モナ・リザ」や「最後の晩餐」については現在でもいろんな“解釈”があって議論が尽きないようで、確かに隠された意味があるように見えます。ただそれが明らかにできるようなものなのかと言うとあまりそんな気はしません。彼自身が自分の作品を謎めかして描いているように思うからです。なんらかの“解釈”でダ・ヴィンチをつかまえようとしてもするりと脱け出てしまうようなところがあるんじゃないかと。……
そんなことを「受胎告知」を見ながら思いました。例えばこの絵の中央奥、一点透視法の消失点には青い山が空気遠近法で描かれていますが、この山はイエスを暗示したものだと言われます。また、この絵にはまだ20歳くらいだったダ・ヴィンチの稚拙さが現れていて、天使ガブリエルの奇妙に長い体やイザヤ書(なぜイザヤ書が出てくるのかは私のサイトの「聖母マリアは処女だったのか?」を見てください)を置いた書見台が手前すぎるといったことは、この絵が横に長いことと合わせ、右斜めから鑑賞されることを計算したものだと言われます。こういったことは間違ってはいないのでしょうが、だからといってこの聖母マリアの謎めいた表情を明らかにしてくるとも思いません。
さっき挙げた私のサイトにはフラ・アンジェリコの絵を掲げてあります。その聖母が告知を身をかがめるようにして受け入れる敬虔さと突然子を持つことになった不安の表情が少女っぽい顔に浮かんでいるところに素直に共感できたからです。どんな画家による「受胎告知」であってもおそらくこの「敬虔さ」、「不安」、「初々しさ」といった言葉で括ることができるでしょう。ダ・ヴィンチを除いて。
聖母マリアの左手は告知を受けた驚きを表わしていると言いますが、全然そんな感じはしません。天使が指で示したものを悠然と受け止めているように見えます。いや、悠然と言うよりは無表情に近いとすら感じます。彼は感情表現が不得意だったのでしょうか?……困ってしまった私は彼が弟子入りしたヴェロッキオの作品をぐぐってみました。
この聖母子と洗礼者ヨハネと聖ドナトゥスを描いた絵も表情が乏しい点では近いかもしれませんが、緊迫感や謎めいた雰囲気はありません。カーペットの細密な描写は大したものですが、そうしたものをいくら積み上げてもダ・ヴィンチの絵のようにはならないことがわかるでしょう。では、いっそのことこれはどうでしょう。
このデッサンが実は検索した結果で、いちばんいい絵だなと思ったものですが、これじゃあダ・ヴィンチっぽすぎます。しかし、例えばダ・ヴィンチだとこうです。
同じような雰囲気でありながら、先生よりずっと先に行っていることは明らかでしょう。ヴェロッキオは彫像の方が優れたものが多いようで、それはこのサイトを見ていただくとわかると思うんですが、それにしてもダ・ヴィンチの技量のすごさを確認しただけのようです。……なんでもかんでも研究し、分析した彼は自分の絵だけは分析しきれない謎のままに残したような気がします。
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↓アンケートやってます↓
なんかいろんなものがあるサイトです。
確かに受胎告知は不思議な絵だと思います。
ガブリエルさんが意味深な目で睨んで、何か決めつけているようなのもかなりこわいし、それを動じず受け止めているマリアもただものではない感じです。
両者の手を見たら、まるで静かな気合いの勝負のようですね。
…チケットプレゼントには、はずれたようなので本物はまだ見れていない私なのですが…
二人の間に激しい気の応酬があった。ガブちゃんが「うりゃあぁ!」と気を放つとマリちゃんが「効かぬわ」と悠然と受け止める。と、どうしたことかガブちゃんがくりと膝を折る。……
てな感じです。困りますね。こんなこと書かせちゃw。
まあ、自腹で行かれるなら相当の覚悟でいかないと大変です。
お邪魔します。。
ダ・ヴィンチ展、いいですね。
私も行ってみたいです。
なぜ、ダ・ヴィンチは、聖母マリアの表情をなくしたのでしょうね。
人間心底驚いた時、無表情になるからでしょうか。
絵画は、いつも謎解きみたいですね。
文書と同じで、作った方のメッセージがあって、「読む」のが楽しいです。
心底驚いたときは無表情になる……うーん。深いですね。とてもいい解釈だと思います。透明な湖を覗き込むような。。
絵画でも文章でもどう「読む」かはその人自身が試されているんだなって思います。
夢のもつれさんこそ、お元気されていますか。
いい解釈とのコメント、どうもありがとうございます。ただふと思ったことなので、お恥ずかしい限りです。
そうですね。どう読むか。
なんだか、作者の意思のこめられた挑戦状みたいですね(笑)
挑戦状……そんな感じもしますね。カリナさんらしさも感じます。とてもさわやかな感じが。