チューリヒ、そして広島

スイス・チューリヒに住んで(た時)の雑感と帰国後のスイス関連話題。2007年4月からは広島移住。タイトルも変えました。

シュヴァイツァー先生訪問記

2004年12月10日 06時28分22秒 | キリスト教
今日の話題は、キリスト教関係者向きです。

一昨日の午後、エドゥアルト・シュヴァイツァー先生のお宅を訪問しました。シュヴァイツァーと言えば、密林の聖者……それはアルベルト・シュヴァイツァーですが(綴りもちょっと違う)、それほどではないにせよ、キリスト教関係では非常な有名人です。とくに、何ほどか新約聖書の研究に手を染めた人間で、エドゥアルト・シュヴァイツァーの名前を知らなければモグリってなほどです。90歳を超えた今でもお元気です。

長年、チューリヒ大学神学部の新約聖書学教授を務め、著書も数え切れないほど(ご本人は実際、思い出せないとのこと)、和訳されたものもあります。育てた弟子も数知れず、その中には、日本から留学してお世話になった新約学者も少なくありません。

その一人である我が恩師のY先生に、チューリヒに行ったらぜひシュヴァイツァー先生を訪問してくれるようにと仰せつかり、その宿題をついに果たすことができました。

とはいえ、シュヴァイツァー先生は有名でも、僕は別に弟子でもなければ、知り合いでもありません(先生の本を1冊訳してはいますが)。いきなり電話して、というのはさすがに気が引けたので、まずは手紙を書いて、自分の素性を説明し、日を置いてから電話するという二段構えの作戦に出ました。

それでも、知らない家にドイツ語で電話することにはずっと躊躇していたのですが、やっと思い切ってかけた電話には奥様が。「以前にお手紙させていただいた日本の……」と言いかけると、「ああ! はいはい、ぜひいらっしゃい!」と言っていただいて、ひと安心。ついに訪問を実現する運びとなりました。

事前に購入しておいた日本茶と湯飲みセットを持ち、Y先生から預かった手紙も一緒にして、いざシュヴァイツァー家へ。ご夫妻は現在、長年住み慣れたお宅を離れ、郊外の老人ホームに入っておられました。

老人ホームといっても、大きな棟が4つつながった、それは大きくて綺麗な建物です(写真。肖像権に配慮して、先生ご夫妻の写真は控えておきます)。入り口で、どこをどう行ったらよいのか迷っていると、中からガラスの壁をコンコンと叩くご老人が……。なんと、シュヴァイツァー先生自ら、玄関までお出迎え下さっていたのです。恐縮しきり。

お部屋にお邪魔して、お土産や手紙を渡した後は、コーヒーとお菓子をいただきながらしばし談笑。先生の、90歳を超えているとは思えない元気な話しっぷりにも驚きましたが、奥様(先生より少しお若い)はまだまだ衰えなど感じさせない、とてもしっかりした聡明な方でした。先生のお話の中に誤りを見つけるとすかさず訂正し、同じ話を二度すると、それさっきも言ったわよ、と指摘し、という具合です。それにしても、お二人の仲の良いこと。夫婦はこうありたい、このように齢を重ねていきたいと心から思うような姿でした。

お二人にとっては、20世紀後半の話は「最近」に属するらしく(それはそうでしょう)、話題はもっぱら20世紀前半のことへ。カール・バルト、エミル・ブルンナー、ルドルフ・ブルトマンといった(当時人気のあった3人の「B」だそうです)の話から始まって、戦前の若かりし頃の思い出、戦争のときの苦労話、戦後の大学の話などうかがっているうち、あっという間に1時間半ほど経ってしまいました。日本から来た初対面の人間を暖かく迎え入れてくださり、もてなしてくださった親切に心が暖まる思いでした。それにしても、バルトやブルンナーのことを思い出として語る人に会えるとは。歴史を感じるひとときでもありました。

最後はまたシュヴァイツァー先生に玄関までお見送りいただいて、感謝のうちにホームを後にしました。帰国までにもう一度、今度はご夫妻でいらっしゃい、とのお言葉をいただいて。

図書館

2004年11月13日 06時17分50秒 | キリスト教
研究休暇でスイスに来ている身としては、図書館の使い勝手は重要な問題です。

チューリヒでは、プレディガー教会に入っている中央図書館と、神学部の中にある図書館の二つを主として利利用しています。神学部は、グロスミュンスター教会(写真)の中にあるので、教会に「住んでいる」二つの図書館にお世話になっているわけです。

チューリヒの中央図書館は、古い資料や研究文献も多数所蔵していて、その充実度では、以前に留学していたベルンの図書館を上回るように思います。ベルンにいた頃、チューリヒから本や雑誌論文のコピーを何度も取り寄せたものでした。それでも、チューリヒにはない本がバーゼルにはある、というような場合にも時々出くわします。(フランス語圏では、フリブールの図書館が充実しているように思います。)

自分が勤めている関西学院大学の図書館と比べて不便に思うのは、全面開架でないという点です。とくに、今回見る機会が多くなるであろう古い文献は、ほとんどが書庫の中にしまいこまれているので、いちいち頼んで出してもらわないといけません。しかし、ほとんどの蔵書は、インターネットで検索・借出し申し込みが出来るので、自宅で手続きを済ませておいてから取りに行けば、余計な時間を使うこともありません。

(ベルンにいた頃、ほとんどの蔵書が閉架になっているベルン市中央図書館のカウンターで貸出し申し込みをし、数十分カウンターの前で待ちぼうけ、ということがよくありました。いざ本がカウンターに届くと、「ヘル・フラウ、チュイ?」とのお呼び出し。男性か女性かもわからないし、苗字を何と発音するかもわからないので、こんな呼び方になったに違いありません。)

館内にはコピー機もあるのですが、1枚25ラッペン(20円強)もするのが、どうも時代遅れな感じです(コピーを依頼すれば、その倍以上します)。それとも、日本のコピー代が安すぎるのでしょうか?

神学部の図書館については、10月19日の項に少し書きました(写真もあります)。こちらはほぼ全面開架なので、実物を手にとって確かめることもできます。1989年以降の出版物はネットで検索できるのですが、それ以前のものは、文献カードをペラペラ繰りながら調べないといけません。ちょっと時代遅れな感じではありますが、日本でもほとんどやらなくなっていた作業だけに、なにかとても懐かしい気がします。お目当ての本を見つけた時の悦びは、ネットでちょこちょこっと検索するよりも、カードを1枚1枚めくって探す時のほうが大きいように思えるのは、アナログ時代を過ごした感傷のようなものでしょうか。

さて、中央図書館も神学部の図書館も、利用者を大学関係に限っているわけではありません。中央図書館の方はそのことがはっきりホームページにも書かれています。16歳以上であれば誰にでも本を貸してくれます。スイス在住でない人間ですら、保証金と引き換えに利用者登録を認めてくれるのです。神学部の図書館は、その性格上、神学部の関係者が主として利用しているのでしょうが、それでも、利用規則には、大学内部の人間しかダメというようなことは書かれていません。

スイスの大学は、連邦工科大学(ETH)などの例外を除けば、基本的に州立大学です。したがって、その大部分は税金で賄われているわけで、となれば、一般の人間だって利用してよいというのは、当然の理屈に思えます。市の図書館を大学関係者も利用している、という感じでしょうか。

日本の場合はどうでしょう。よくは知りませんが、国公立大学の図書館は広く開放されているのでしょうか? 私学といえども、国から助成金をもらっているのであれば、同じ種類の義務が生じるはずです(関西学院大学の図書館の場合、人数や利用条件を極めて限定した形ではありますが、一般利用も受け入れています)。

資料収集をしていていつも思うこと。どうしてスイスのコピー用紙はこんなに分厚いのでしょうか? 製紙技術が劣っているのか、それとも別に何か理由があるのか、いずれにしても、ファイルがすぐ一杯になってしまって困ります。日本のコピー用紙を持って来たいと思いました。