新約聖書研究について少しでも専門的に学んだことのある人なら、「様式史」という単語を聞いたことが必ずあるはずです。
イエスが表した「福音」がどのような「様式」をとってどのような場所(=生活の座)で語り伝えられ、福音書という文書に収録されるに至ったのか、そのプロセスを解明するのが「様式史」(ドイツ語 Formgeschichte の訳語)という方法です。そもそも旧約聖書研究(H. グンケル)で始まったこの方法を新約聖書に当てはめたのは、K. L. シュミット (Karl Ludwig Schmidt) の教授資格論文『イエス物語の枠:最古のイエス伝承の文献批判的研究』(Der Rahmen der Geschichte Jesu. Literarkritische Untersuchungen zur ältesten Jesusüberlieferung, 1919) とこの本 (Martin Dibelius, Die Formgeschichte des Evangeliums (1919)、さらに ルドルフ・ブルトマン『共観福音書伝承史』 (Rudolf Bultmann, Geschichte der synoptischen Tradition, 1921) です。
この「様式史御三家」の内、ブルトマンのものはすでに翻訳が出ていますが(ブルトマン著作集1-2、新教出版社刊)、「様式史」(Formgeschichte) という語を広める役割を果たした、ディベリウスのこの本は久しく翻訳が待たれたまま実現していませんでした。それが今回、このような形で実現し、監訳の責任を負った者としては安堵の一言です。翻訳は最初、加山宏路先生(梅花女子大学名誉教授)が始められましたが、完成を見ないまま他界されたので、弟の加山久夫先生(明治学院大学名誉教授)が訳業を引き継ぎ、出来上がった原稿を吉田忍さん(農村伝道神学校他講師)と私が整えた次第です。
「福音書の様式史」という邦題が、翻訳書が出る以前から使われていたので、今回もその慣習に従ったタイトルにしましたが、実際には、Evangelium は「福音書」というよりも「福音」です。福音がどのような「様式」で伝承されたのかを分析した研究ですから。その点ではディベリウスもブルトマンも着眼点は同じなのですが、ディベリウスは、教会における宣教を目的とした「説教」(そこには宣教内容や教育的内容も含まれます)を、イエスに関するあらゆる伝承の「元来の座」(Ursitz) とみなし、そこから種々の「類型」(範例、ノヴェッレ、聖伝、神話等)に伝承を分類しました。他方ブルトマンは、各伝承断片を分析することで伝承の元来の形態とそこからの二次的発展の過程を追っています。イエスについての伝承をブルトマンは「言葉伝承」(アポフテグマ、主の言葉)と「物語伝承」(奇跡物語、歴史物語と聖伝)に分けています。
ディベリウスのやり方は、「説教」という「元来の座」を前提することから出発して、伝承の発展過程を再構成するので「構成的方法」と呼ばれますが、ブルトマンのそれは、伝承の分析から始めるので「分析的方法」と呼ばれています。
様式史的方法については、研究仲間と一緒に書いた『新約聖書解釈の手引き』(日本キリスト教団出版局、2016年)の60-63頁で説明していますので、よかったらご覧ください。そこに記したまとめを以下に再録しておきます。
「様式史研究がもたらした重要な認識は、イエスに関する福音書の情報は個別断片伝承に遡り、その枠となっている部分は福音書記者の二次的な設定による(したがって史実に遡らない)こと、その伝承は担い手たる集団(初期キリスト教会)によって一定の様式にしたがって発展させられており、その発展には教会の状況や思想が反映していることであった。この認識は、福音書の叙述から単純に史的イエスを再構成することを一層困難にしたが、逆に言えば、伝承に特徴的な様式や、その二次的発展を分析することによって、より史的イエスに近い、古い伝承段階へと遡る手助けともなったのである。」(63頁)
今日では、20世紀新約聖書研究史の一部であり、もはや最先端ではないものの、様式史的方法が新約聖書の分析にもたらした功績は大きく、その方法を学び知っておく必要は廃れていません。その意味でも、この研究書が日本語で読めるようになったことは重要だと思っています。値段がちょっと高いのが難ですが、個人での購入が難しい場合は、図書館などに購入申し込みを出していただければ幸いです。
マルティン・ディベリウス『福音書の様式史』(聖書学古典叢書)、辻 学(監訳)、加山宏路・加山久夫・吉田忍(訳)、日本キリスト教団出版局、2022年9月刊。定価9,000円+税
イエスが表した「福音」がどのような「様式」をとってどのような場所(=生活の座)で語り伝えられ、福音書という文書に収録されるに至ったのか、そのプロセスを解明するのが「様式史」(ドイツ語 Formgeschichte の訳語)という方法です。そもそも旧約聖書研究(H. グンケル)で始まったこの方法を新約聖書に当てはめたのは、K. L. シュミット (Karl Ludwig Schmidt) の教授資格論文『イエス物語の枠:最古のイエス伝承の文献批判的研究』(Der Rahmen der Geschichte Jesu. Literarkritische Untersuchungen zur ältesten Jesusüberlieferung, 1919) とこの本 (Martin Dibelius, Die Formgeschichte des Evangeliums (1919)、さらに ルドルフ・ブルトマン『共観福音書伝承史』 (Rudolf Bultmann, Geschichte der synoptischen Tradition, 1921) です。
この「様式史御三家」の内、ブルトマンのものはすでに翻訳が出ていますが(ブルトマン著作集1-2、新教出版社刊)、「様式史」(Formgeschichte) という語を広める役割を果たした、ディベリウスのこの本は久しく翻訳が待たれたまま実現していませんでした。それが今回、このような形で実現し、監訳の責任を負った者としては安堵の一言です。翻訳は最初、加山宏路先生(梅花女子大学名誉教授)が始められましたが、完成を見ないまま他界されたので、弟の加山久夫先生(明治学院大学名誉教授)が訳業を引き継ぎ、出来上がった原稿を吉田忍さん(農村伝道神学校他講師)と私が整えた次第です。
「福音書の様式史」という邦題が、翻訳書が出る以前から使われていたので、今回もその慣習に従ったタイトルにしましたが、実際には、Evangelium は「福音書」というよりも「福音」です。福音がどのような「様式」で伝承されたのかを分析した研究ですから。その点ではディベリウスもブルトマンも着眼点は同じなのですが、ディベリウスは、教会における宣教を目的とした「説教」(そこには宣教内容や教育的内容も含まれます)を、イエスに関するあらゆる伝承の「元来の座」(Ursitz) とみなし、そこから種々の「類型」(範例、ノヴェッレ、聖伝、神話等)に伝承を分類しました。他方ブルトマンは、各伝承断片を分析することで伝承の元来の形態とそこからの二次的発展の過程を追っています。イエスについての伝承をブルトマンは「言葉伝承」(アポフテグマ、主の言葉)と「物語伝承」(奇跡物語、歴史物語と聖伝)に分けています。
ディベリウスのやり方は、「説教」という「元来の座」を前提することから出発して、伝承の発展過程を再構成するので「構成的方法」と呼ばれますが、ブルトマンのそれは、伝承の分析から始めるので「分析的方法」と呼ばれています。
様式史的方法については、研究仲間と一緒に書いた『新約聖書解釈の手引き』(日本キリスト教団出版局、2016年)の60-63頁で説明していますので、よかったらご覧ください。そこに記したまとめを以下に再録しておきます。
「様式史研究がもたらした重要な認識は、イエスに関する福音書の情報は個別断片伝承に遡り、その枠となっている部分は福音書記者の二次的な設定による(したがって史実に遡らない)こと、その伝承は担い手たる集団(初期キリスト教会)によって一定の様式にしたがって発展させられており、その発展には教会の状況や思想が反映していることであった。この認識は、福音書の叙述から単純に史的イエスを再構成することを一層困難にしたが、逆に言えば、伝承に特徴的な様式や、その二次的発展を分析することによって、より史的イエスに近い、古い伝承段階へと遡る手助けともなったのである。」(63頁)
今日では、20世紀新約聖書研究史の一部であり、もはや最先端ではないものの、様式史的方法が新約聖書の分析にもたらした功績は大きく、その方法を学び知っておく必要は廃れていません。その意味でも、この研究書が日本語で読めるようになったことは重要だと思っています。値段がちょっと高いのが難ですが、個人での購入が難しい場合は、図書館などに購入申し込みを出していただければ幸いです。
マルティン・ディベリウス『福音書の様式史』(聖書学古典叢書)、辻 学(監訳)、加山宏路・加山久夫・吉田忍(訳)、日本キリスト教団出版局、2022年9月刊。定価9,000円+税