(ヘルシンキの街を走るトラム)
ルンドからの帰路は、まず国境を超えてデンマークのコペンハーゲン空港まで列車で約45分。そこからフィンランドのヘルシンキへ飛び、飛行機を乗り換えて大阪まで、という旅順です。その途中、ヘルシンキで乗換えの待ち時間が長かったので、バスでヘルシンキの街に出てみました。教会見学が主たる目的です。が、その他にも色々と面白いものが。2回に分けて紹介したいと思います。
まずはヘルシンキ中央駅前通りの風景。

駅横にある中央郵便局の裏手に大きな銅像がありました。

カール・グスタフ・エミール・マンネルヘイム(1867~1951、フィンランドの陸軍元帥、軍最高司令官、1944年から46年までは大統領)。第二次世界大戦という一番危機的な状況で大統領を務めた、フィンライドの歴史的人物です。

ヘルシンキ中央駅。空港と駅を結ぶフィンエアーのシャトルバスは、中央駅のすぐ横にあるロータリー発着です。

駅のすぐ東隣にある駅前広場に面して立っているのが、国立劇場。

広場の南側にはアテネウム美術館。フィンランド最大規模だそうです。1750年代から1960年代までのフィンランド美術を展示しているとのこと(中に入っていないので、孫引き)。

そんな立派な美術館のすぐ裏の路地に野菜や果物を売る露店が出ているというあたりが、いかにもヨーロッパらしい感じです。
最初のお目当ては、テンペリアウキオ教会(Temppeliaukionkirkko)。駅から西に10分少し歩いたところにあるこのルター派教会は、大変変わった風貌をしています。

入口に近づくと

岩を上からくり抜いたような形になっており、その上に丸天井を載せ、天上と壁面(=岩)の間を180枚のガラスでつないで採光している、実に風変わりな教会です。1969年の完成。
中に入ると、


剥き出しの岩が壁面になっています。
礼拝堂はこういった雰囲気。


パイプオルガンは礼拝堂左側に設置されていました。

音響効果を狙って、このような造りになっているそうですが、聞こえてくるのは観光客のお喋りの声ばかり。「お静かに」という注意書きなど目に入らないようです。
驚いたのは、日本人観光客が次から次へとやってくることで、何台ものバスが教会前に止まり、そこから日本人(一部中国人もいましたが)がまとまって吐き出されてくるのです。スイスでは、日本人観光客よりも中国人観光客の方が多くなったと(5年前にチューリヒで)感じましたが、北欧では日本人観光客、まだまだ健在のようです。かくいう自分も観光客ではありましたが。
僕が行く少し前に、結婚式が行われていたようで、教会前に花嫁さんや親戚・友人がまだ集まっていました。が、おかまいなしに観光客はどんどん礼拝堂に入っていきます。僕もその中に紛れて行きました。

内部に設置されていた、教会の表札(?)ですが、フィンランド語とスウェーデン語で記されています。かつての、長く続いたスウェーデン支配による影響でしょう。
通りの名前を示す標識も、2言語で記されていました。

次回は、大聖堂へ行ってみます。(続)
ルンドからの帰路は、まず国境を超えてデンマークのコペンハーゲン空港まで列車で約45分。そこからフィンランドのヘルシンキへ飛び、飛行機を乗り換えて大阪まで、という旅順です。その途中、ヘルシンキで乗換えの待ち時間が長かったので、バスでヘルシンキの街に出てみました。教会見学が主たる目的です。が、その他にも色々と面白いものが。2回に分けて紹介したいと思います。
まずはヘルシンキ中央駅前通りの風景。

駅横にある中央郵便局の裏手に大きな銅像がありました。

カール・グスタフ・エミール・マンネルヘイム(1867~1951、フィンランドの陸軍元帥、軍最高司令官、1944年から46年までは大統領)。第二次世界大戦という一番危機的な状況で大統領を務めた、フィンライドの歴史的人物です。

ヘルシンキ中央駅。空港と駅を結ぶフィンエアーのシャトルバスは、中央駅のすぐ横にあるロータリー発着です。

駅のすぐ東隣にある駅前広場に面して立っているのが、国立劇場。

広場の南側にはアテネウム美術館。フィンランド最大規模だそうです。1750年代から1960年代までのフィンランド美術を展示しているとのこと(中に入っていないので、孫引き)。

そんな立派な美術館のすぐ裏の路地に野菜や果物を売る露店が出ているというあたりが、いかにもヨーロッパらしい感じです。
最初のお目当ては、テンペリアウキオ教会(Temppeliaukionkirkko)。駅から西に10分少し歩いたところにあるこのルター派教会は、大変変わった風貌をしています。

入口に近づくと

岩を上からくり抜いたような形になっており、その上に丸天井を載せ、天上と壁面(=岩)の間を180枚のガラスでつないで採光している、実に風変わりな教会です。1969年の完成。
中に入ると、


剥き出しの岩が壁面になっています。
礼拝堂はこういった雰囲気。


パイプオルガンは礼拝堂左側に設置されていました。

音響効果を狙って、このような造りになっているそうですが、聞こえてくるのは観光客のお喋りの声ばかり。「お静かに」という注意書きなど目に入らないようです。
驚いたのは、日本人観光客が次から次へとやってくることで、何台ものバスが教会前に止まり、そこから日本人(一部中国人もいましたが)がまとまって吐き出されてくるのです。スイスでは、日本人観光客よりも中国人観光客の方が多くなったと(5年前にチューリヒで)感じましたが、北欧では日本人観光客、まだまだ健在のようです。かくいう自分も観光客ではありましたが。
僕が行く少し前に、結婚式が行われていたようで、教会前に花嫁さんや親戚・友人がまだ集まっていました。が、おかまいなしに観光客はどんどん礼拝堂に入っていきます。僕もその中に紛れて行きました。

内部に設置されていた、教会の表札(?)ですが、フィンランド語とスウェーデン語で記されています。かつての、長く続いたスウェーデン支配による影響でしょう。
通りの名前を示す標識も、2言語で記されていました。

次回は、大聖堂へ行ってみます。(続)