チューリヒ、そして広島

スイス・チューリヒに住んで(た時)の雑感と帰国後のスイス関連話題。2007年4月からは広島移住。タイトルも変えました。

お薦めの1冊:『アメリカ現代神学の航海図』(栗林輝夫セレクション2)

2019年01月26日 21時47分53秒 | Weblog

『アメリカ現代神学の航海図』(栗林輝夫セレクション2)

(大宮有博、西原廉太編、新教出版社、2018年12月、4900円+税)

 昨年12月は、新しい聖書翻訳「聖書協会共同訳」が出たこともあり、訳文などの検証作業に追われて年末年始が過ぎていきました。やっと先日この本を手に取ったのですが、ぱらぱらと目を通すだけでもう魅力が溢れてきます。残念ながら2015年に亡くなった栗林輝夫氏の著作選集、その第1巻『日本で神学する』は一昨年5月に出され、この欄でも紹介しました(2017年9月号)。

 第1巻は、「解放の神学」や「環境と技術の神学」といったキーワードを手がかりに、日本で神学するための課題を浮き彫りにしていますが、この第2巻は、その神学を展開していく方法を、アメリカ現代神学と向き合いながら示していこうとする、まさしく「航海図」となる1冊です。フェミニスト神学とウーマニスト神学(第1章)、北米アジア神学(とアジア系アメリカ神学、第2章)、ポストモダン神学(第3章)、ポストリベラル神学(第4章)、修正神学(第5章)、そしてプロセス神学(第6章)と、著者はアメリカの現代神学に広く目配りして、そこから何を批判的に吸収し、再構築して日本で神学する肥やしにできるかを丁寧に探っています。

 巻末には、著者の「弟子」である大宮有博氏が、栗林氏がアメリカ現代神学の総説を目指した背景、そして各論文の簡単な解説を記してくれていて、この本の「航海図」となっています。まずここから目を通すと、それぞれの論文が持つ意義がよくわかると思います。

 「セレクション」の2冊は、日本で神学するための「視座」と「方法」を提示しているペアだと言えるでしょう。「神学」することの意味、その必要性を教えてくれる貴重なこの著作選集、日本で「神学」を語る人間は――著者の考えに賛成であれ反対であれ――必ず読んで対話すべき書物です。栗林に触れない日本の神学書はまやかしだと言ってもいいくらいだと思います。


(「広島聖文舎便り」2019年2月号掲載の拙稿です)

お薦めの1冊:『福音とは何か 聖書の福音から福音主義へ』

2019年01月03日 10時55分53秒 | Weblog
『福音とは何か 聖書の福音から福音主義へ』

(佐藤司郎・吉田新編、教文館、2018年9月、3600円+税)


宗教改革500周年となった昨年2017年、東北学院大学で、福音・福音主義とは何かを考える講演会やシンポジウムが開かれました。この本は、その時に発表された成果を中心にした15編の論考をまとめたものです。

全体は、Ⅰ「〈福音〉とは何か」、Ⅱ「福音主義とは何か――〈福音〉から〈福音主義〉へ」、Ⅲ「東北学院と福音主義――福音宣教と学校教育」の3部に分けられています。第Ⅰ部では、主として新約聖書における「福音」理解が問われています。マルコ、パウロ、第二パウロ、第一ペトロ、そしてオリゲネスのパウロ解釈も取り上げられており、「福音」とはそもそも何なのかを考える上で大事な素材を提供しています。私も上記のシンポジウムに招かれて発題し、その原稿を提供しました(第三章「福音の継承?――第二パウロ書簡における〈福音〉理解」)。新約における「福音」といえば、やはりマルコとパウロに端を発するわけですが、その「福音」理解がパウロ以降の初期キリスト教にどう受け継がれたのかを考える上で、第二パウロ書簡や第一ペトロ書簡は重要な文献です。

第Ⅱ部には、「福音主義」とは何なのかという問題を、ルター、カルヴァン、スコットランドの事例、シュライアマハー、バルト、エキュメニカル運動に照らして考える論考が並んでいます。ドイツ語で「福音主義」と言えばそれはプロテスタントのことを指すわけですが、では「福音主義」の本質とは何なのでしょうか。

第Ⅲ部は、東北学院において福音や福音主義がどのように語られ、教えられてきたのかを明らかにする3本の論考から成っています。いずれの文章も、キリスト教主義学校の役割、そして今後の道を考える上で非常に得るところの多い内容です。

自分も書いているので、手前味噌ですが、キリスト教が伝えようとする「福音」とは何かを考えるために良い手引きとなる1冊だと思います。
(「広島聖文舎便り」2018年10月号掲載)

お薦めの1冊:『ヨハネ福音書入門 その象徴と孤高の思想』

2019年01月02日 17時26分50秒 | 紹介

『ヨハネ福音書入門 その象徴と孤高の思想』

(R. カイザー著、前川裕訳、教文館、2018年8月、3900円+税)


新約聖書に収められている正典4福音書の中でも、ヨハネ福音書は特別な存在です。筋立ても内容も非常によく似通っている(ゆえに「共観福音書」と呼ばれる)他の3つとは異なり、ヨハネにしか出て来ない物語があったり、同じ話でも出てくる順番が違ったり、細部の描写にこだわるかと思えば、非常に思弁的な講話があったりと、同じ「福音書」でありながら、ヨハネは異彩を放っています。だからこそ、ヨハネ福音書に惹かれる人も多いのでしょう。主たる研究対象にヨハネを選ぶ大学院生や聖書学者も少なくありません。

本書は、ヨハネ福音書に取り組むための良いガイドになると思います。いわゆる「新約聖書概論」で扱うような、共観福音書との関係、構成、史的状況といった項目が序章で取り上げられた後、ヨハネ福音書が「父」や「キリスト」をどう語っているか、ヨハネに特徴的な「ユダヤ人」とはどういう存在か、ヨハネは「信仰」や「終末」、また「聖霊」や「教会」をどう理解しているのかという問題が手際良く、しかし聖書本文に即しながらていねいに論じられています。

終章(=第5章)では、「ポストモダン」の視点からヨハネ福音書を読むことの意味について取り上げられています。聖書本文の外側にある歴史的状況、成立事情といった事柄を考慮せず、また「ただ一つの、正しい解釈」なるものは存在しないという前提のもとに本文を読むこの視点は、それまで「自然」で客観的だと思い込んでいた自分たちの読み方に偏りがあることを自覚させると共に、解釈の多様性を開き、ヨハネ福音書に関する新たな議論を導きだすという著者の説は、もはや新しいものではありませんが(原著は2007年)、日本ではまだまだ浸透しているとはいえないだけに、(賛成するにせよ反対するにせよ)広く共有され、議論の対象になってほしいと思います。

本書では、ところどころに、「読者の準備」として、まず目を通すべき聖書箇所が指示されています。この指示を守りながら読むと、理解が深まるでしょう。また聖書研究の良い準備にもなると思います。
(「広島聖文舎便り」2018年9月号掲載)