月に1度開かれる広島西分区の牧師会、今月は竹原教会が会場でした。
会の終了後、お昼ご飯を食べようということで、竹原の町並保存地区へ皆で出かけました。お目当ては、「竹の茶屋いっぷく」の鬼瓦そば。熱した瓦の上に茶そばが載っているという話です。
お店の前。
中はこんな具合です。
ところが、昼を少し過ぎていた時間が悪かったのか、そばを用意するのにえらく時間がかかるとのこと。午後からの予定が入っていた先生もおられたので、そばは断念。せっかく来たので、駐車場に戻る道を散策することにしました。
竹原は元来、京都の下鴨神社の荘園地として開かれたそうですが、塩田とお酒で発展しました。竹原の日本酒は有名で、我が家でも以前は定期的に注文して取り寄せていました。
せんべい本舗黒田。明治末期から続いているお店だそうです。ここの手焼きせんべいがおいしいとのことですが、買い損ねてしまいました。
頼山陽の祖父、頼惟清が紺屋を営んでいた旧宅。
中に入ると、雛人形が飾ってありました。竹原は今、「町並み雛めぐり」というイベントを開催中で、その一環のようです。冒頭の写真も頼惟清宅のものです。
竹原市歴史民俗資料館。元々は、江戸中期に竹原にいた頼春水の師・塩谷道碩(1703~1764)と云うお医者さんのお宅だったのが町立図書館となり、さらに歴史民俗資料館として用いられるようになったとのこと。
竹原郵便局の初代局舎。このポストは今も現役です。
お腹の空いていた我々はさっさと竹原を離れ、山陽道に戻ってサービスエリアで昼食をとることにしましたが、竹原の綺麗な町並みは、たとえばこちらのサイトでご覧戴けます。
会の終了後、お昼ご飯を食べようということで、竹原の町並保存地区へ皆で出かけました。お目当ては、「竹の茶屋いっぷく」の鬼瓦そば。熱した瓦の上に茶そばが載っているという話です。
お店の前。
中はこんな具合です。
ところが、昼を少し過ぎていた時間が悪かったのか、そばを用意するのにえらく時間がかかるとのこと。午後からの予定が入っていた先生もおられたので、そばは断念。せっかく来たので、駐車場に戻る道を散策することにしました。
竹原は元来、京都の下鴨神社の荘園地として開かれたそうですが、塩田とお酒で発展しました。竹原の日本酒は有名で、我が家でも以前は定期的に注文して取り寄せていました。
せんべい本舗黒田。明治末期から続いているお店だそうです。ここの手焼きせんべいがおいしいとのことですが、買い損ねてしまいました。
頼山陽の祖父、頼惟清が紺屋を営んでいた旧宅。
中に入ると、雛人形が飾ってありました。竹原は今、「町並み雛めぐり」というイベントを開催中で、その一環のようです。冒頭の写真も頼惟清宅のものです。
竹原市歴史民俗資料館。元々は、江戸中期に竹原にいた頼春水の師・塩谷道碩(1703~1764)と云うお医者さんのお宅だったのが町立図書館となり、さらに歴史民俗資料館として用いられるようになったとのこと。
竹原郵便局の初代局舎。このポストは今も現役です。
お腹の空いていた我々はさっさと竹原を離れ、山陽道に戻ってサービスエリアで昼食をとることにしましたが、竹原の綺麗な町並みは、たとえばこちらのサイトでご覧戴けます。