スーパーで卵を買いました(写真)。
卵を買うときに気をつけないといけないのは、値段ではなく日付です。卵の値段は全般に高い(国産だと1個50円くらいする)のですが、それは仕方ないとして、むちゃくちゃ古い卵にお目にかかるからです。3週間前の日付のものが普通に売られています。買うときは、まず日付の一番新しいものを選び、パックを空けて、割れている卵がないかどうかをチェックし、そしてはじめて買物カゴに入れることが許されるわけです。
ときどき、卵かけご飯が食べたくなります。そんなときは、市(マルクト)に行って卵を買い求めるのが安全です。あるいは、農家に出かけていって直接買えばさらに安心でしょう。(やったことはありませんが。)
こっちの人は、古いものでも平気なのか、胃腸が特に丈夫なのか、古いものでも気にせず買うのでしょう(売られているわけだから)。底の部分が茶色くなりはじめたレタス、熟し過ぎと思えるバナナ、裏がこげ茶色になっているマッシュルーム。パンも、新しいとは思えないものが陳列棚に並んでいます(焼きたてもありますが)。
そんなものと並んで、"frisch"(新鮮ですよ!)と書かれたものが置かれたりしていますが、茶色くなり始めたバナナと並べられると、どこまで信用してよいのかわからなくなるわけです。どうも、日本語の「新鮮」とドイツ語の "frisch" は同じ概念ではないような気がします。(ドイツでもそうなのかどうかはわかりません。)
チューリヒでも、デパートの食料品売り場に寿司コーナーがあり、にぎり寿司が売られています。もちろん生魚もあります。が、本当に大丈夫なのか……。スイス人にはきっと大丈夫なんでしょう。しかし自分が食べても大丈夫なのかと不安になるのは事実です(日本人の職人さんがにぎっているから大丈夫だとは思うのだけど)。ということで、寿司は日本料理の店で食べることにしています(したがって高くつくので、滅多に食べることはありません。もっと経済的なのは、日本食の食材を売っている店で魚を買うことで、これならさほど高価にはなりません。チューリヒ湖の魚を買って食べるのとあまり大きく違わない)。
スイス人(に限らないでしょう、凡そ白人全般、とくにアングロ・サクソン系)は、胃腸も大きくて丈夫そうです。料理一人前だって、日本人には多すぎることがしばしばだし、お菓子類も大きいし、酒はたくさん飲んでも酔っ払ったりしないし、対等に飲み食いしようとすること自体が正しくないのかも。この人たちにとっての許容範囲は、我々のそれとは違うということを時々思い出す必要があります。良い言い方をすれば、我々の方が繊細にできている、ということにもなるでしょうか。
悪口のように聞こえるといけないので補足すれば、乳製品は、本当に「新鮮」でおいしいものがたくさん、安く手に入ります。それがなぜ卵や魚には当てはまらないのかが少々不思議に思えるわけです。
frisch をただちに「新鮮」と訳すと、痛い目に遭うことがある(かもしれない)。とすると、ドイツ語の Gott をただちに「神」と訳すのも考え物かも、と神学的考察もしてみました。
卵を買うときに気をつけないといけないのは、値段ではなく日付です。卵の値段は全般に高い(国産だと1個50円くらいする)のですが、それは仕方ないとして、むちゃくちゃ古い卵にお目にかかるからです。3週間前の日付のものが普通に売られています。買うときは、まず日付の一番新しいものを選び、パックを空けて、割れている卵がないかどうかをチェックし、そしてはじめて買物カゴに入れることが許されるわけです。
ときどき、卵かけご飯が食べたくなります。そんなときは、市(マルクト)に行って卵を買い求めるのが安全です。あるいは、農家に出かけていって直接買えばさらに安心でしょう。(やったことはありませんが。)
こっちの人は、古いものでも平気なのか、胃腸が特に丈夫なのか、古いものでも気にせず買うのでしょう(売られているわけだから)。底の部分が茶色くなりはじめたレタス、熟し過ぎと思えるバナナ、裏がこげ茶色になっているマッシュルーム。パンも、新しいとは思えないものが陳列棚に並んでいます(焼きたてもありますが)。
そんなものと並んで、"frisch"(新鮮ですよ!)と書かれたものが置かれたりしていますが、茶色くなり始めたバナナと並べられると、どこまで信用してよいのかわからなくなるわけです。どうも、日本語の「新鮮」とドイツ語の "frisch" は同じ概念ではないような気がします。(ドイツでもそうなのかどうかはわかりません。)
チューリヒでも、デパートの食料品売り場に寿司コーナーがあり、にぎり寿司が売られています。もちろん生魚もあります。が、本当に大丈夫なのか……。スイス人にはきっと大丈夫なんでしょう。しかし自分が食べても大丈夫なのかと不安になるのは事実です(日本人の職人さんがにぎっているから大丈夫だとは思うのだけど)。ということで、寿司は日本料理の店で食べることにしています(したがって高くつくので、滅多に食べることはありません。もっと経済的なのは、日本食の食材を売っている店で魚を買うことで、これならさほど高価にはなりません。チューリヒ湖の魚を買って食べるのとあまり大きく違わない)。
スイス人(に限らないでしょう、凡そ白人全般、とくにアングロ・サクソン系)は、胃腸も大きくて丈夫そうです。料理一人前だって、日本人には多すぎることがしばしばだし、お菓子類も大きいし、酒はたくさん飲んでも酔っ払ったりしないし、対等に飲み食いしようとすること自体が正しくないのかも。この人たちにとっての許容範囲は、我々のそれとは違うということを時々思い出す必要があります。良い言い方をすれば、我々の方が繊細にできている、ということにもなるでしょうか。
悪口のように聞こえるといけないので補足すれば、乳製品は、本当に「新鮮」でおいしいものがたくさん、安く手に入ります。それがなぜ卵や魚には当てはまらないのかが少々不思議に思えるわけです。
frisch をただちに「新鮮」と訳すと、痛い目に遭うことがある(かもしれない)。とすると、ドイツ語の Gott をただちに「神」と訳すのも考え物かも、と神学的考察もしてみました。