チューリヒ、そして広島

スイス・チューリヒに住んで(た時)の雑感と帰国後のスイス関連話題。2007年4月からは広島移住。タイトルも変えました。

"frisch" は「新鮮」か?

2004年09月30日 03時40分36秒 | Weblog
スーパーで卵を買いました(写真)。

卵を買うときに気をつけないといけないのは、値段ではなく日付です。卵の値段は全般に高い(国産だと1個50円くらいする)のですが、それは仕方ないとして、むちゃくちゃ古い卵にお目にかかるからです。3週間前の日付のものが普通に売られています。買うときは、まず日付の一番新しいものを選び、パックを空けて、割れている卵がないかどうかをチェックし、そしてはじめて買物カゴに入れることが許されるわけです。

ときどき、卵かけご飯が食べたくなります。そんなときは、市(マルクト)に行って卵を買い求めるのが安全です。あるいは、農家に出かけていって直接買えばさらに安心でしょう。(やったことはありませんが。)

こっちの人は、古いものでも平気なのか、胃腸が特に丈夫なのか、古いものでも気にせず買うのでしょう(売られているわけだから)。底の部分が茶色くなりはじめたレタス、熟し過ぎと思えるバナナ、裏がこげ茶色になっているマッシュルーム。パンも、新しいとは思えないものが陳列棚に並んでいます(焼きたてもありますが)。

そんなものと並んで、"frisch"(新鮮ですよ!)と書かれたものが置かれたりしていますが、茶色くなり始めたバナナと並べられると、どこまで信用してよいのかわからなくなるわけです。どうも、日本語の「新鮮」とドイツ語の "frisch" は同じ概念ではないような気がします。(ドイツでもそうなのかどうかはわかりません。)

チューリヒでも、デパートの食料品売り場に寿司コーナーがあり、にぎり寿司が売られています。もちろん生魚もあります。が、本当に大丈夫なのか……。スイス人にはきっと大丈夫なんでしょう。しかし自分が食べても大丈夫なのかと不安になるのは事実です(日本人の職人さんがにぎっているから大丈夫だとは思うのだけど)。ということで、寿司は日本料理の店で食べることにしています(したがって高くつくので、滅多に食べることはありません。もっと経済的なのは、日本食の食材を売っている店で魚を買うことで、これならさほど高価にはなりません。チューリヒ湖の魚を買って食べるのとあまり大きく違わない)。

スイス人(に限らないでしょう、凡そ白人全般、とくにアングロ・サクソン系)は、胃腸も大きくて丈夫そうです。料理一人前だって、日本人には多すぎることがしばしばだし、お菓子類も大きいし、酒はたくさん飲んでも酔っ払ったりしないし、対等に飲み食いしようとすること自体が正しくないのかも。この人たちにとっての許容範囲は、我々のそれとは違うということを時々思い出す必要があります。良い言い方をすれば、我々の方が繊細にできている、ということにもなるでしょうか。

悪口のように聞こえるといけないので補足すれば、乳製品は、本当に「新鮮」でおいしいものがたくさん、安く手に入ります。それがなぜ卵や魚には当てはまらないのかが少々不思議に思えるわけです。

frisch をただちに「新鮮」と訳すと、痛い目に遭うことがある(かもしれない)。とすると、ドイツ語の Gott をただちに「神」と訳すのも考え物かも、と神学的考察もしてみました。

煙草天国

2004年09月28日 06時25分35秒 | Weblog
スイスは煙草天国です。路上はもちろん、トラムの停留所、駅のホーム、地下街、あらゆるところで誰かが吸っています。前回、ベルンのおもちゃ博覧会に行った話を書きましたが、そのパビリオンの中ですら煙草の煙が(おもちゃ博だぞ!)。日本だとほとんどあり得ないような場所で煙草にお目にかかります。そして、外出した後は、どこかしら自分の服が煙草臭くなっているのです。

目立つのは女性の喫煙。おっちゃんやじいちゃんが吸っているのは、日本でも珍しくありませんが、綺麗な服装のお姉さんやおばちゃん、挙句の果てに、絶対中学生だというようなガキまで吸っています。(聞くところでは、どうも法律上の明確な禁止規定がないらしい。)

女性は吸ってはいけない、とは言いませんが、男と同様に女も吸わないほうがいい。健康のために止めろとは言いませんが、他人の健康を害するから止めたほうがいい。

酒と煙草については、基本的に同じだと思うのですが、呑んでもいいけど吐かないで、というのが私の主張です。酒だって、呑むのは自由。それで健康を害しても自己責任。しかし、吐くと他人に迷惑を及ぼします。(実際は、たとえ吐かなくても、酔いつぶれただけで迷惑ですが。)煙草だって同じ。煙草を「呑む」(と以前は言っていた)のは自由。でも、煙を吐かないでほしいのです。その煙が他人の健康を害するのですから。さらに、煙草の先からゆらゆらと立ち上っている副流煙はもっとひどい。自分が吸う分にはフィルターで害を軽減しておいて、周囲の人間には、ニコチンから何からフルに入っている副流煙を吸わせるというその神経が信じられない。フィルターをつける方向が間違っているだろう、と言いたいです。逆にくわえたらどうでしょうか。それがダメならせめて、自分もフィルターなしでリスクを背負って頑張るのが最低の礼儀ではないかとも思うのですが。両切り以外は売るのをやめてほしいです。

煙を吐かないで済む煙草もあるではないですか。噛み煙草だったっけ。

ついでながら、喫煙者にはマナーの悪い人間が不思議と多い。電車やバスが来たら、吸いかけの煙草をポイっと捨てて乗ろうとする。自動車の窓から投げ捨てる奴も何度も見ました。投げ捨てないまでも、道路に灰を落として平気な輩。道路は灰皿じゃないだろう、と怒鳴りたくなります。自分の煙草くらい自分で始末しろ、おのれの煙草から出ている煙の行く先くらい気にしてくれ、というのは無理な願いなんでしょうか。

これが個人主義というものなのか。もうちょっと社会全体で規制してもいいように思うのですが。たぶん、日本の状況が改善され、それに慣れているから、何ら変わらないスイスの状況がいっそうひどく目に映るようになったのでしょう。しかし、こういう煙草天国を放置しているのは、スイス政府が煙草の税収で潤っているからなのだろう、と考えた次第。煙草が高価でも買えるんですよ、スイス人は。この点「だけ」はアメリカ社会の真似をしてほしいと、非喫煙者としては思わずにいられません。

ベルンに「里帰り」

2004年09月27日 06時02分20秒 | Weblog
スイスの首都がベルンであるということを知らない人が意外に少なくありません。チューリヒだとか、ジュネーヴだとか、はたまたベル「リ」ンだなどと言う人までいる始末。ベルンに住んでいた頃、日本から知人が送ってくれた手紙の宛先に、CH-3013 Bern, Germany と書かれていることが時々ありました。スイスが無名なのか、ベルンが無名なのかよくわかりませんが。

しかし我が家にとってはベルンは懐かしい故郷です。かつて留学で4年住み、その後も半年滞在したこの町は、地図がなくても歩けるし、どこに行けば何を売っているのかも知っている「地元」なのです。大学に行けば、建物のどこに図書館があり、神学部の図書をどうやって検索し、どうやって借り出すかもわかっています。今回、全てにおいてまだ慣れていないチューリヒに住んでいるだけに、ベルンのそういった良さが一層強く感じられます。

そのベルンに、一家で「里帰り」してきました。ベルンの郊外(と言ってもトラムで10数分)にある Bern Expo 会場で、おもちゃ博覧会 Suisse TOY が開かれていたので、その見物がてら出かけてきたわけです。ベルンまでは、チューリヒ中央駅から InterCity で1時間10分ほど。ベルン駅に列車が近づき、ベルン旧市街の中心である大聖堂が見えてくるともう懐かしさでいっぱいです。

ベルンの中央駅は、チューリヒと違って折り返し形式でなく、通過形式の駅で、味わいには少々欠けます。しかも、ベルン大学本館前の大きな広場の地下をくぐるような格好になっているので、プラットホームが薄暗くなっています。そんなわけで、駅自体はチューリヒの方が明るくて好きなのですが、それでもやはりベルンは地元。ホームに降りると、昔のことがいっきょに思い出されるような気持ちになりました。

博覧会の会場までは、中央駅からトラムで行けるのですが、わざと1停留所分だけ、中央駅からベーレン広場まで旧市街を歩くことにしました。街の匂いが思い出を刺激します。自分は、スイスが好きだというよりもベルンが好きなんだということに気づきました。今回のスイス滞在は、研究のための資料収集が主目的なので、それにはチューリヒの方が便利だし、子どもの学校のことを考えても、チューリヒにしたことは正解だと思っています。チューリヒにして良かったと思うことは他にももちろんあります。でも、やはり住み慣れたベルンの町に、少々無理してでも住めば良かったかな、という気持ちになってしまうような散歩でした。写真は、ベーレン広場とブンデス広場でやっている市(マルクト)です。正面奥に見えているのが連邦議事堂(ブンデスハウス)です。

ベルンとチューリヒを比べてみると、

*ベルンの方が町が小さい。トラムやバスで15分も行けばすぐに野原が広がっていて、牛や羊にお目にかかれる。チューリヒは郊外にも町がいくつもあり、そのような光景にお目にかかるまで時間がかかる。

*それに応じて、ベルンのトラム・バス網は簡単に覚えられる。だいたい、中央駅を通らない線というものがほとんどない。チューリヒではこれを把握するのにひと苦労。中央駅だって、停留所が3箇所に分かれているし、中央駅を通らないものも少なくない。

*主観的かつ体験的だが、ベルンの方が人の情が厚いように思う。道行く人と挨拶を交わすことも多い。買物や食事に出かけても、店の人が親切。チューリヒはどうもその点、冷たい感じがする。

*道行く人の服装は圧倒的にチューリヒの方がおしゃれ。ベルンの人の服装はどうも垢抜けない感じがするが、チューリヒでは、いい服やカバンを持っている人、しゃれた服装をしている人をよく見かける。

*ベルンの人はゆっくりしゃべる。ベルンという名称は「熊」(Baer)から来ているが、熊のごとくゆっくり話す、と半ばバカにしたようにチューリヒ人は言っている。確かにチューリヒ人の方が早口。にもかかわらず、チューリヒの方言の方が理解しやすい。独特の方言であるベルン・ドイツ語で話されると、ちんぷんかんぷんなことがほとんどだが、チューリヒ・ドイツ語(なんだろう、たぶん)は、細部はわからないまでも、何を言っているのかわかることがしばしばある。

とまぁ、結論としては、チューリヒは都会で、ベルンは田舎だということになります。ベルンは、連邦首都(Bundesstadtと呼ばれています)とは言っても、政治機能が集まっているというだけで、他には何もありません。大使館の類もベルンにありますが(日本大使館も、バスで10分ほど行った、郊外すれすれのところに立派なものが建っています)、国際政治といえばジュネーブだし、商業の中心はチューリヒということで、ベルンは「首都」(Hauptstadt)じゃなくて「首村」(Hauptdorf)だと言う冗談を何度も聞いたことがあるくらいです。かつての西ドイツの首都、ボンみたいなものでしょうか。

でも、だからこそこの町(村か?)に愛着を感じるのでしょう。店の1軒1軒、大聖堂の大きな塔、アーレ川の流れ、すべてが懐かしくて仕方ありませんでした。今度(いつのことか?)在外研究の機会があれば、必ずベルンにしよう、と思わずにいられない、胸に迫るような一日でした。

おもちゃ博のことはほとんど書きませんでしたが、子どもたちは大満足でした。良かったら、www.suissetoy.ch をご覧になってください。「遊戯王」(Yu-Gi-Oh!)がこちらでは大人気で、会場の中でもカードゲームに興じているスイス人の(結構大きい)子どもがたくさんいました。任天堂のゲームキューブ(ドンキーコンガのコーナーがあって、子どもたちが大きな画面を見ながらやっていました。あまりに下手なので笑えましたが)のようなものから、伝統的(?)なボードゲームの類、またレゴのコーナーもあり、丁寧に見ていたら一日はたっぷりかかる規模でした。電車模型のパビリオンには、子どもよりもおじさんが多く、こういう趣味に興じる男の人がスイスにも多いことがよくわかりました。船の大きなラジコンを実演するコーナーもあり、なぜか人だかりがしていました。娘は、フェイスペインティングのコーナーで、魔法の猫のペインティングをしてもらいました。無料の上に、ポラロイドで写真まで撮ってくれるサービスぶりでした。USJで同じことをしたら、安くないでしょうに。

おもちゃ博を見た帰りには、ベーレン広場に戻り、昔から知っている(けど行ったことは1度しかない)レストラン Le Mazot(『地球の歩き方』などにもよく載っているそうな)でラクレットとチーズフォンデュを食べ、スイスワインを楽しんでから、夜の電車でチューリヒに戻りました。Le Mazot は、大衆的な雰囲気で、地元の人も多いようですが、旅行客向けに英語メニューも置いており、ベルンで夕食を食べるなら勧めたい店の一つです。

もっと光を

2004年09月25日 00時51分19秒 | Weblog
近頃はすっかり暗くなりました。

8月12日に来たときは、朝も早くから明るかったし、夜も9時ごろになってようやく真っ暗という感じでした。ところが今は、日の出が7時15分ごろ、日没は19時20分ごろなので、朝6時半に起きるとまだ真っ暗です。夜もさっさと暗くなる感じがします。この暗さが、次第に増してくる寒さと併せて、何となく落ち込んだような気分を醸し出してくれるわけです。

外も暗いけど、家の中も暗い。こちらの照明は、自宅の場合は白熱電球がほとんどです(今回の住居は台所にのみ蛍光灯を使っていますが、スイスで蛍光灯のある家に住んだのは初めてです)。白熱球の光は確かに暖かみがあって、味わいのある雰囲気ではありますが、日本の蛍光灯に慣れた身には暗く感じます。卓上のライトも、日本に比べれば暗いので、目が悪くなりそうです。実際、こっちに来てから遠くの物が見えにくくなったような気がします(ということは老眼ではないわけだ)。暗い中で、テーブルの真上にある白熱電球だけつけて朝食をすると、何となく寂しいような……。

どうやら、白人の目は我々の目よりも光をたくさん通すようで、我々よりも明るく感じているらしいのです。はじめてスイスに来て、語学コースに参加していたとき、電気もつけない暗い教室で授業をするので閉口した経験を思い出します(妻も語学クラスで同じ経験をしたそうです。暗いので電灯をつけたら先生に消されたそうな)。白人がサングラスをよくしているのも同じ理由によるようです。我々なら平気な明るさでも、白人の目には辛いのでしょう。しかし逆に言えば、白人には平気な暗さでも、我々には辛いわけです。

ついでながら、スイスの白熱電球はよく切れる。ここに住み始めてまだひと月半なのに、すでに5個くらい電球が切れました。電圧が高いとよく切れるのか、それともわざとそういう製品を作っているのか(たくさん売るため?)、とにかく予備を常に持っておく必要があります。

冬になると、一日中どんよりとした天気という日が多くなります。加えて、日の出はどんどん遅くなり、日没は早くなる。気温ももちろん低くなる。最初に留学で来た1991年の秋を思い出します。ドイツ語はうまく出来ない、知り合いも少ない、生活に慣れないで、イヤ~な気分の毎日でした。この気候と暗さがその重い雰囲気にひと役かっていたことは確かです。留学でヨーロッパに来た人はたいてい秋に来るので、多かれ少なかれ、同じような雰囲気を味わっているのではないでしょうか。これが春だったら、気分もかなり違うでしょうに。なぜヨーロッパの大学は秋に始まるのか?

10月の末(最終日曜だったか?)に夏時間が終わり、時間を1時間戻します。そのときは、朝の7時が6時になるわけで、明るさをちょっとだけ取り戻せるのですが、夕方はそれだけ早く暗くなるわけです。

白熱電球の照明にもすっかり慣れて、その下で本を読んだりパソコンをしたりという毎日ですが、来年の帰国時にはメガネを新調する必要があるかもしれません。ろうそくの光を思わせる暖かい白熱電球ではありますが、やっぱり言いたい。「もっと光を」。

*写真は、これまたマイエンフェルトで撮ったものです。民家の壁に描かれていた絵で、下には「人生に Ja、ワインに Ja と言いなさい。そうすれば幸せになれる」と書かれています。ワインの産地マイエンフェルトらしい格言です。

やたらに挨拶

2004年09月24日 05時14分21秒 | Weblog
スイスの人(だけじゃなく、たぶんドイツの人も)は、やたらに挨拶します。

友人・知人同士でも、会えば必ず「調子はどう(ですか)?」と聞き合うし、別れ際には「さようなら」だけでは気が済まず、「良い一日を!」とか「良い夜を!」などと言い合います。言われたら「あなたもね」とか「ご同様に!」などと返礼するのが礼儀です。(こういうことは、大学のドイツ語の授業では全然教えてくれませんでした。最近はどうか知りませんが。)

知り合い同士ならまだ、そういう習慣なんだとすぐに納得できますが、知り合いでもない、スーパーのレジの人や、今回の写真に入れた、市(マルクト)に店を出している人とでも、「こんにちは」から始まって、物を受け取り支払いが済めば「ありがとう」「良い午後を!」「ご同様に!」などと挨拶し合うのですから、大した習慣です。すがすがしいと言えば確かにすがすがしい。しかし、いまだにちょっと変な感じもします。マルクトに買物に行くと、何回挨拶して、何回「ダンケ」を言うか数え切れないほどです。

テレビのニュースのアナウンサーだって負けていません。「今晩は、皆さん。『今日のニュース』へようこそ」で始まり、最後には、「今日は以上です。関心を示してくださりありがとうございました。良い夜をお過ごし下さい。明日のこの時間は**が皆様をお迎えします。さようなら」と、それは念入りです。スイステレビ(Schweizer Fernsehen)の『今日のニュース』には以前、最後に小話(というか、変なミニ・ニュース)を一席ぶってから終るアナウンサーもいました。今回は見かけないので、やり過ぎてクビになったのかもしれません(面白い話をしていたらしいのですが、ついに一度もその中身を理解できませんでした)。

しかし考えてみれば、このように挨拶し、「ダンケ」を言うことが人間関係の潤滑油になっているということを改めて思わされる習慣でもあります。自己主張の強い(でもドイツ人ほどじゃない)、なかなか謝ることをしない(でも、バスの中で肩が当たったくらいのことだとすぐに謝る)スイスの中でお互い平和に生きていくための知恵だとも言えそうです。

*今日の写真は、チューリヒ湖を目の前にした広場で火曜日と金曜日に開かれる市(マルクト)のものです。火曜日に撮ったのですが、店の数は金曜日の方が多くて賑やかだそうです。

*追記 チューリヒ市からついに、外国人居住者向けのパンフレット『チューリヒにようこそ』が来ました。便利な情報がたくさん載っている、ということはありませんでした。しかし、役には立ちそうです。もっと早く送ってくれればいいのに。

携帯電話、パソコン、ADSL

2004年09月23日 05時44分02秒 | Weblog
初めてスイスに来た10数年前にはなかったのが携帯電話。日本でもその頃は普及はしていなかったはずだから、とくにスイスが遅れていたわけではないと思いますが。

今回はやたらに携帯電話が目につきます。電話が目につくというより、電話で話している人間が目につくわけで。毎日のように見るのが、トラム(市電)の中で大声で電話している人。本当に大きな声で話しています。トラムの中だから聞こえにくくて、自然と大声になるんでしょう。非常識な、と思うのですが、周囲の人は気に留める様子もありません。あまりこういうことで他人に干渉しない気質の人が多いようです(もしかしたら、うっかり苦情を言って逆ギレされることを恐れているのかもしれません)。着メロもよく鳴ります。マナーモードを知らないのか……?

携帯電話は、日本ほどには普及していないようですが(持っていない人も結構いるみたい)、そのせいで、マナーがあまり問題にされないのでしょうか。運転しながら電話している人もよく見かけます。

スイス鉄道(SBB)は、携帯電話禁止車両を1等車に増やすそうです。やっぱり迷惑に感じている人はいるんですね。ところが、その車両には、ノートパソコンの電源を取るコンセントはついているそうで、車中でパソコンを使って仕事をしてください、しかし携帯は止めて、ということらしく、携帯を使わないで仕事できるか!と怒っている人がいる、と新聞「20minuten」に出ていました(この新聞は、「夕刊フジ」みたいな感じなので、ちょっと面白おかしく書いている面は否めませんが)。

ちらちら見ていると、メールをしている人もいます。が、どうやらカメラ付き携帯というのはまだ登場していないようです。あるいは買う人がほとんどいないのか? こっちのメールは簡単ですよね。漢字の変換も必要ないわけだし。歩きながらメールしている人も先日街で見かけましたが、あれでよくトラムにぶつからないもんだと、逆に感心しました。

パソコンやインターネットは日本に負けず劣らず普及しています。色々な情報をインターネット経由で取れるようになったので、ずいぶん楽になりました。大学図書館の本の検索も、自宅でやっておいてから出かけることができるので、時間が節約できます。(神学部では、1980年代以前の蔵書は相変わらずカードでしか検索できないとのことですが。)

しかし、パソコンの値段も高いのは、さすがスイスです。DELLの広告を見ていても、日本だったら10万円を切るのは確実じゃないかと思うようなものを13万、14万で売っていたりします。こっちの人は、物を大事に使うので、一度買うとなかなか買い換えたりしないのかも(偏見か?)。

いま住んでいる客員教員用アパートには、最初から電話がついていました。使用料金はもちろん自己負担ですが、電話をつける(回線を開く)手間を考えれば、大助かりでした。以前は、電話局(郵便・電話・電報を扱うのでPTTと呼ばれていた)に申し込むと、外国人の場合は1000フラン(今のレートなら9万円弱)の保証金を取られたものです。4年前に来たときもまだそうでしたが、その保証金制度は今はもう無くなったと聞きました。使えるようになるまでに1週間くらい待たされたりしたので、その手間がなくなったのはありがたかったです。

ところが、自分が回線の保有者でないために、ADSLにするときにややこしいことになりました。旧PTTから「民営化」した Swisscom という会社が出している店に行って申し込もうとしたら、回線を持っている、家の管理会社の承諾が必要だというので、わざわざ書類を持って、管理会社まで出向く破目になったわけです。まぁ事なきを得ましたが。

ADSLのルーターを申し込み時に購入したのですが、これもトラブルの種でした。2台同時にパソコンをつなぐから(妻も自分のパソコンを使うので)、とはっきり言ったところ、ならこのルーターですね、と渡してくれた商品、てっきり、ハブ機能がついていると思い込んでいたのです。ところが、ADSLが使えるようになってから(2週間ほど待たされました)いざつなごうとすると……うん? ハブがない。最初の店に行って、この機種で間違いないのか?と尋ねたら(ハブ機能付きも売っていると思ったので)、カタログをさんざん見た後で、「ハブ」とやらが要るみたいですね、との返事。おいおいお姉さん、なら最初から言ってくれ、こっちはパソコンを2台つなぐって言っただろ、ならハブはどこにあるんだ、と少々不愉快な気持ちになりながら聞くと、「知りません」だと。顧客サービス係に電話して聞けだと。もう少しでキレるところでした。職業意識と知識の低い担当者に当たってしまったわけです。

仕方が無いので、別の店に行ってハブを買い求め(余計な出費だったような感じで損した気分)、何とか開通しました。こうやってBLOGが出来るのも、その努力と我慢のおかげです。

写真は、今回の話とまったく関係ありませんが、せめて写真だけでも「ハイジ」の続きと思って。ハイジ博物館の中にいた人形ですが、もしかしてハイジとペーター?


外国人

2004年09月22日 01時16分24秒 | Weblog
「20minuten」という、チューリヒで毎日無料配布されている(駅などに置かれている)新聞があります。「20分」という意味ですが、その間に全部読めるってことでしょうか(www.20min.ch)。

今日(9月21日)の紙面に、「自動的帰化のせいでもうすぐイスラム教徒が我々の女性政策をつくるのだろうか? 帰化法案に二つの『否』を!」という意見広告が全面サイズ(って言っても日本の新聞の半分以下ですが)が載りました(写真)。

来週の日曜日、9月26日にスイスでは国民投票が行われます。直接民主制のお国柄ですから、色々なことが国民投票、州民投票、市民投票にかけられるのですが(ベルン市では以前、町の市電の自動券売機を新しくするかどうかで市民投票をしたこともありました。結果は「否」。その後券売機は新しくなったはずですが)、今回のものは連邦の憲法に関わることなので、全国民の過半数と、23あるカントン(州)の過半数が要求される大きなものです。

投票にかかる法案は、外国人の「帰化」(という言い方はあまり好きでないが、要するに国籍を与えること)に関するもので、中身は二つ。一つは、連邦が、外国人の帰化に関する原則を定めることと、スイスで育った若者が国籍を取得できることを州が憲法で保証するようにすること。もう一つは、スイスで育った外国人から生まれた子ども(第3世代)が自動的に市民権を取得できるようにすることだそうです。

上に書いた意見広告は、この法案を否決するよう訴えるものですが、イスラム教徒を標的にして感情に訴えるという悪質な手口です。今スイスにはすでに31万人のイスラム教徒が生活している。さらに10万人の不法滞在者がイスラム教徒だ。イスラム教徒は猛烈な勢いで増えている。この調子で増えると2010年には62万人、2020年には124万人になる。連中は、他の宗教に非寛容で、性の平等を認めない。年少者を無理やり結婚させる、「聖戦」を言い訳にしてテロをやる、といった悪口のオンパレードです。

民族でなく、宗教を問題にしているので、おそらく民族差別に該当しないことになるのでしょう。しかし明らかに、イスラムが優勢な地域から来ている外国人を標的にした差別的広告です。

現在、チューリヒ市の人口はおよそ36万4000人(2003年末)。そのうち約30%(約10万人)が外国人です。約半数はいわゆる欧州経済圏に属する国からの人間ですが、他に、セルビア・モンテネグロから1万4000人、トルコから5500人、そしてクロアチア、マケドニア、ボスニア・ヘルツェゴビナから併せて9000人となっています。アジアからは1万2000人弱ですが、そのうちスリランカ人が4300人。

チューリヒは外国人の多い町です。町に行けば色々な言語が聞こえてきます。スーパーに行けば、レジに座っていたり、商品を配架している人は外国人のことが多い。フランス人やイタリア人(実に多いそうです)は、ちょっと見ただけではそれとわからないので、つまりは、見るからに外国人(実はそうでない場合もあるでしょうが)という、西アジア、中央アジア、東アジア、アフリカからの人間が非常に多いということなのでしょう。

しかし、外国人が多いということは、長く住んでいながらスイス国籍を取れない人が多いということでもあります。スイスでは(スイスでも、と言うべきか)国籍をとるのが容易ではない。スイスでは地方自治体がその権限を握っているのですが(自分たちの地域共同体に受け入れるという決定をしなければ、受け入れてもらえない)、なかなか閉鎖的で手続きも複雑だそうです。(このことを皮肉った "Die Schweizermacher" という映画があります。)

今回の国民投票は、その手続きをスイス全体で統一し、きちんと法律化しようという意図によるもののようです。スイスに定住している外国人の4分の1は、スイスで生まれ、学校に通い、スイス方言を話すにもかかわらず、スイス国籍がもらえない状態だそうです。すでに14の州では手続きが簡素化されており、今回は、これを全スイスに広げようという意図があるとのこと。また、そのような第2世代から生まれる「第3世代」は年間2500人になるそうで、今回の法改正がなされれば、この子どもたちはスイス国籍を自動的に取得できるようになるようです。

このような動きは評価されるべきですが、それに反対する人々も多いわけで、この法案はすでに2回(1983年と1994年)否決されているのですが、94年の時は、州の過半数が取れずに可決できなかったとのことです。そして今回も、冒頭に掲げたような意見広告が大きく出されるわけです。しかし、正面切っての反対というよりも、イスラムをテロや女性差別と結びつける悪質で姑息な方法に訴えるやり方です。一方では、自分たちのやりたくない仕事を外国人にさせておきながら、他方では外国人を出来るだけ排除したいというのは、どう考えてもおかしいでしょう。

外国から来た人々、そしてその子どもや孫も一緒に生きている社会をどう形作っていくかというのは、どの国にも共通するテーマですが、スイスが今回、どういう決定をするのか興味深いところです。同じことは、もちろん日本の社会にも問われるわけです。たとえ半年間とはいえ、外国人として生きることの不安を経験しつつ過ごしているだけに、このテーマは身につまされるような感じがします。この感じを日本でも持ち続けないといけないはずなのですが。

スーパー「ミグロ」の入り口付近などで、『Surprise』という雑誌を売っている人たちがいます。この雑誌は、無職の人々の経済的自立を支援するプロジェクトによるもので、日本でも『Big Issue 日本版』(だったか?)という同種の雑誌があります(私の勤めている関西学院大学でもキャンパスで見かけます)。外国人だけが販売をしているわけではないのですが、不思議といつも見かけるのは黒人です。買っている人をまだ見たことはありません。値段は1部5フラン(450円くらい)。日本の Big Issue は200円だから、ちょっと高い感じがしますが、スイスの物価を考えれば、これが妥当な価格なのかもしれません。

今日、ミグロの近くを通った際、大柄な白人が、雑誌を売っている黒人に大声で怒鳴り散らしているのを見ました。原因が何だったのかはわかりませんが、いかにも、立場の弱い外国人に対する威嚇という感じで、気分が悪くなりました。

冒頭の広告は、同種のものが数日前にも掲載されていました。10年以上前に来たときには、それほど感じなかった(ベルンだったからかもしれませんが)外国人に対する冷たい空気を、ここチューリヒでは何度となく感じます。神学部の中で出会う人たちは皆温かい、いい人ばかりですが、街角では、人間の温かみがあまり感じられないような気がします。

救いは、今日の同じ新聞に、「パスポートなしでスイス人! 二つの『はい』を」という、逆の意見広告も出ていたことです。こちらは紙面1/2のサイズでしたが。

チューリヒの役所

2004年09月21日 05時12分42秒 | Weblog
今日、家族全員の滞在許可証をもらいに、区のMigrationsamt(「移住局」とでも訳すのだろうか?)へ妻と行って来ました。チューリヒに来た次の日に申請書を出しましたから、交付までおよそ5週間かかったことになります。スイスでは、外国人の滞在許可も州の権限に属しているので、チューリヒ市の中にあるこの役所(これも区によって分かれていて、別の区に申請を出すことはできません)に申請して、許可証をもらいます。

この許可証を受け取るのに、190フラン(17000円くらい)も支払わされました。申請書を出す際にも手数料として40フラン(3600円くらい)取られているので、合計で20000円以上も払ったことになります。

実は、事前に許可証を日本から申請していたのですが、このときにもらったのは、滞在許可ではなく、入国許可だけだったのです(ということを今日初めて知りました。なぜ同じ手続きを2回もしないといけないのか不思議に思っていたのです)。

前回、ベルン大学神学部に客員研究員で滞在したとき(1999年秋から半年間)は、ベルンの神学部が前もって滞在許可証の申請をしてくれていたので、改めてスイスで申請書を出す必要はありませんでした(家族の分の許可証は申請されていなかったので、それはこちらで改めて申請しましたが、それも間もなく交付されました)。

今回も同じ手続きだろうと思って、チューリヒ大学に、滞在許可証の申請を頼みました。実際、すぐに手続きをしてくれ、許可証も発行されたので、それが滞在許可証だとすっかり思っていたわけです。ところが、それは入国の許可なのだと、Migrationsamt の窓口で今日聞かされた次第。そんなものが存在することを今日まで知りませんでした。

腹立たしいのは、その「入国許可」の申請・交付のためにも、190フランをやはり取られていたということです(二重払いじゃないの?と窓口で主張した結果、前回の申請と今回の申請が別物であることが判明したという次第。窓口の話では、この190フランは通常は雇用者が払うものだそうですが、私の場合、チューリヒ大学神学部は一切金銭的負担を負ってくれない約束になっているので、自分で支払う破目になったわけです。したがって、今回の滞在許可証を得るまでに、合計で420フラン(38000円くらい)も払ったことになります。こちらでの申請の際にいろいろ書類を揃える必要がなかったので、その点は楽でしたが、それにしても高すぎる。

前回のベルン滞在の際には不要だった申請までして、費用もバカに高くついたのは、法律が変わったからなのか、それともチューリヒ州だけがこのような複雑で高コストなシステムを採っているのか、まだわかりませんが、チューリヒは外国人に敷居が高いという印象を与えてくれたのは確かです。しかも、転出届けは別の役所に行ってしないといけないそうな。不親切なシステムです。その手続きでも手数料を取られるかも。

今回の方が良かったと思えるのはせいぜい、以前は Fremdenpolizei(外国人警察!)という恐ろしい名前の役所で申請していたのが、Migrationsamt という、名前だけは柔らかい役所に変わったということくらいです。さすがに FremdenPOLIZEI は良くないと思ったのでしょうか、改名したそうです。

今回は、大学の客員研究員という身分ですし、期間もおよそ8ヶ月と決まっていて、滞在の延長は(したいけど)あり得ないので、この決して愉快ではない手続きも1回きりでいいのですが、かつてベルンに留学で4年滞在した時は、何回かこの滞在許可の延長申請に Fremdenpolizei まで出向かねばならず、そのたびに不安に駆られたものです。そのときは奨学金をもらい続けていたので、滞在許可の延長もまぁトラブルもなく出来たのですが、それでもいい気持ちはしなかったのですから、労働者として来る人の不安は容易に想像できます。やっぱり、自分は外国人で、一時的に住まわせていただいているんだという卑屈な感じを何となくもってしまうのです。この手続きをすると。ありがたくいただいた「滞在許可証」は常時携帯(が建前です)。この建前にも、外国人を根付かせたくないという本音が感じられます。

チューリヒの役所ときたら、滞在許可証はなかなかくれなかったのに、許可証発行の通知が来る前から、税金に関する調査書(労働してお金を稼いでいないかどうかのチェックでしょう)やら、健康保険加入証明の要求やら(自分の国で健康保険に入っていないと、強制的にこちらの健康保険に加入させられ、バカ高い保険料を支払う破目になる)を送りつけてきました。そのたびに、書類を整え、返事を送らねばなりません。そういえば、外国人がチューリヒの生活に溶け込めるための冊子を用意していますから、ご希望の場合は連絡を、という手紙も来たから折り返し連絡して、もうひと月ほどになりますが、いまだに何も送ってきません。冊子が来る前に溶け込んでしまうでしょーが。本当は溶け込んでほしくないんじゃないの?などと邪推したくもなります。

日本でも、役所関係には出来ればあまり行きたくないものですが、外国人となると、役所に管理されているという印象が一層強まります。これで当分、役所とは縁がないはずですが。役所から来る手紙がないか(もちろん、ないことを望んで)、郵便ポストを開ける毎日です。


*写真は、自宅近くの Universitaetsstrasse(大学通り)にあるトラム停留所からチューリヒ大学と連邦工科大学(ETH)の方角を撮ったものです。正面にETHと大学本館の建物が見えます。

ハイジの里に行く

2004年09月20日 04時29分55秒 | Weblog
スイスの秋は短く、あっという間に冬が来ます。8月12日にスイスに来た時はまだ、日中の気温が30度になる日もあって、残暑厳しい夏の日々という感じでしたが、9月に入ると急に気温が下がり、日中こそ20度を越すものの、朝晩は寒さすら感じます。朝起きると建物に暖房が入っていることも珍しくありません。冬が近いことを感じさせられます。

それでもまだ「秋」を感じられるのは、太陽の光を浴びることのできる晴天があるからで、冬になるとこれがなくなり、連日朝から薄暗く、霧に包まれたような毎日になります。ドイツやスイスに初めて留学すると、たいてい9月から10月頃に生活を始めますから、言葉がうまく出来ないもどかしさに加えてこの暗い天気のせいで気分が憂鬱になってしまいます。

ということで、この短い秋を楽しむべく、休日を利用してあの「アルプスの少女ハイジ」の里、マイエンフェルトに遠足に出かけました。マイエンフェルトはチューリヒから電車で1時間半ほど。途中、クララのおばあさんが保養した(!)バート・ラガッツで乗り換えます(電車によってはサルガンスという駅で乗り換えます)。

最初にスイスに来てから10年以上、滞在期間も通算すると4年半を越すのですが、この、日本ではあまりに有名な、日本人観光客が(ユングフラウヨッホと並んで)必ずと言ってよいほど訪れるらしいハイジの里、マイエンフェルトには一度も来たことがありませんでした。ベルンからだと片道で3時間ほどにもなるので、日帰り遠足で、という気にもなれず、ついつい未踏の地のままにしていたのです。

午前10時過ぎの急行列車(Inter Regio)でチューリヒを発ち、昼前にマイエンフェルトに着きました。写真は、駅から15分ほど山の方に向かった地点で撮ったものです。快晴に恵まれ、気温も暑すぎず寒すぎずで、とても気持ちの良い一日でした。ハイキングコースには赤と青の二通りあるのですが、ハイジの山の家まで行く青コースは、十分4時間はかかるらしく、登山靴も必要という話だったので、妻が尻込みして、結局赤コース1時間半を楽しむことにしました。これでも、ハイジの泉やハイジ博物館なども見ることができ、結構楽しめます。地図などはなくても、道の角に標識が立っているので、全く困りません。

ハイキング開始の前に腹ごしらえをすべく、ふもとにあったレストラン Schloss Brandis で昼食をしました(http://www.schlossbrandis.ch)。村のお城を利用して作ったレストランで、店内は上等な雰囲気ですが(ちょっと入りにくい)、庭にテーブルを出しており、そこだと子連れでも気軽に入れました。ウェイトレスも愛想良かったです(今回の滞在では愛想の良いウェイトレスやウェイターに恵まれないので、殊更にこういうことが気になります)。鹿肉を煮込んだ料理(Rehpfeffer)と、キノコをいため合わせた Herbstteller という料理を頼みました。妻はこれに Sauser(発酵中のワイン)を頼んでいましたが、秋口にしか飲めないこの Sauser(こっちの人は「ズーサー」と発音していました)は楽しみの一つです。

お腹がいっぱいになり過ぎて、ハイキングの意欲がちょっと失せたのですが、それでも頑張って赤コースをゆっくりゆっくりと歩きました。1時間半というガイドブックの説明でしたが、2時間半はゆうにかかった気がします。当時の生活の様子を再現しているハイジ博物館(Heidi Haus)もなかなか興味深く、入場料5フランは高くないと思えました(物価の高いスイスのことを思えば、という話ですが。ちなみに子どもは2フラン)。博物館の入場券はみやげ物屋で買うのですが、日曜日に来た場合は、ここでワインを買っておくことを勧めたいです。町(村?)中にはワインの試飲と販売をしてくれる場所がいくつもあるのですが、日曜日はほぼ全て閉まっているので。もちろん、レストランに行けばすぐ味わえますが。駅前まで降りてきた後、電車を待つ時間があったので(1時間に1本)、駅前の Ochsen というレストラン兼ホテルで Maienfelder という銘柄の白ワイン(赤もあるらしい)を味わいました。やや辛口のなかなかいける味です。チューリヒでは買えないかもしれないけど、きっとマイエンフェルトで飲むからとくに旨いのでしょう。

日本人観光客が多いので有名だというので、逆に先入観があって、知名度の割にあまり面白くないのではないかと邪推したりしていましたが、いやいや、イメージ以上の美しい、スイス「らしい」ところで、景色もすばらしく、大変楽しめました。ユングフラウヨッホと違って、日本人の割合も高くなく(季節柄かもしれませんが。それに、たくさんいたってどうってことないけど)、行って良かった、というのが正直な感想です。

おまけ:帰路はマイエンフェルトからサルガンスまで各停で行き、そこでバーゼル行きの Eurocity に乗り換えたのですが、ウィーンから来たこの国際列車が結構混んでいて、わずか1時間ほど乗るだけなのに、座席を見つけるまでにひと苦労でした。本当に長距離移動をするのでなければ Eurocity などには出来れば乗らない方が良い、という教訓を得ました。スイス国内だけで乗るのなら特急料金(Zuschlag)は要らないから、値段は同じですが。

日本人学校

2004年09月19日 06時01分29秒 | Weblog
昨日、息子と娘が通っているチューリッヒ日本人学校のマラソン大会を見物に出かけてきました。

チューリッヒ日本人学校は、チューリヒ市内ではなく、東に15キロほど離れたウスターという町にあります。チューリヒ市内の我が家からは、バスと電車を乗り継いで1時間ほどです。1987年開校のこの学校は、チューリヒに進出していた企業(たぶん銀行が主だと思いますが)の駐在員の家庭から子どもを集めていたようですが、バブル崩壊と共に児童数も減少し、2000年度には、小学部と中学部を合せて20名にまで落ち込んだそうです。今年度も、全校で30名ほど。小規模ですが、それだけ理想的な少人数教育とも言えます。娘が属している2年生はたった3人。3年生は1人しかおらず、6年生にいたってはゼロという状態です。息子がいる4年生が7人で、この学年が全校で最多を「誇って」いるそうです。面白いことに、その7人は全員男子生徒。毎日親が送り迎えすることもあり、先生とのコミュニケーションも十分ですし、先生の配慮も行き届いていて、日本では味わえない温かみを感じさせてくれます。(全員の集合写真を見てください。)放課後も、先生が一緒に遊んでくれるし、マラソン大会の練習だといえば、校長先生がタイムを計ってくれたりと、なんともほのぼのしたいい雰囲気の学校です。

小学生の子ども二人は、現地の学校に入れることも考えたのですが、半年間の滞在では、言葉も要領もわからず辛い時期をやっと終えた頃に帰国、ということになりかねないので、日本人学校に入れたという次第です。おかげで、息子も娘も非常にすんなりとこちらの生活に入り込めました。こちらの生活は楽しいので、日本には戻りたくないとまで言っています。

学校では、英語やドイツ語の授業もあり、店に買い物に行ってピッツァの材料を仕入れ、学校で皆でピッツァを作るとか、時間の言い方を覚えるとか、結構楽しそうにやっています。学校行事も多く、来て早々に学校バザー(結構大がかりで、当日は、こんなにスイスに日本人がいたのかと驚くほど沢山の日本人がやって来ました)、昨日のマラソン大会、そして学習発表会(学芸会みたいなもの)と続きます。娘のクラスは次の火曜日に、チューリヒ・クローテン空港に見学に行くそうな。現地の学校との交流会や、日本文化を学ぶプログラムなどもあるそうです。

日本人学校のホームページ
http://mypage.bluewin.ch/jszurich/

日本人学校には、月曜~金曜の全日制学校のほか、土曜日だけの補習校もあります。学費はそれなりにかかりますが(詳細はホームページを参照して下さい)、私学に子どもをやったと思えばまぁ納得できるかな、とは思います。企業から派遣されてきている人の場合、企業が子どもの学費も負担してくれる場合が多いので、高くてもあまり問題にならないようですが、我々のように全額自己負担の場合(そういう家庭も増えてきているようです)、とくに2人通わせるとなると、ちょっと辛いものがあるのは事実です。ウスターまで送り迎えするための1日2回の往復も大変です。それでも、いい学校なので、行かせてよかったと思っています。

マラソン大会は、小学部が2学年ごとと、中学部の計4組に分かれて走っていました。久しぶりにビデオなど持って我が子の応援に精を出した午後でしたが、朝からの霧も晴れて、気持ちの良い天気に恵まれました。昨年は、ヨーロッパを襲った猛暑のせいで、マラソン大会当日も気温30度を越したそうです。