用事があって、広島大学東千田キャンパスへ。ここは、東広島へ大学が移転する前にメインキャンパスだったところです。
かつての面影を残しているのは、旧理学部1号館。地元ではよく知られた被爆建物。
1931年に広島文理科大学の本館として建てられ、被爆当時は中国地方総監府に接収されていました。1949年に広島大学が発足すると、理学部1号館として使われるようになりました。1991年に理学部が東広島キャンパスへ移転した後は空き家となり、キャンパス跡地の現東千田公園に残されています。
いまの東千田キャンパスには、経済学部と法学部の夜間コース、大学院社会科学研究科マネジメントコース、法科大学院などが置かれています。
ここにメインキャンパスを残しておいた方が便利だったし、学生もよく集まっただろうにと、今さらながら思います。移転したせいで、街の中の大学文化が失われたことは間違いないでしょう。たくさんの下宿がなくなり、学生相手の飲食店も減ったはず。わずかに残る古本屋さんが、当時を偲ばせます。
かつての面影を残しているのは、旧理学部1号館。地元ではよく知られた被爆建物。
1931年に広島文理科大学の本館として建てられ、被爆当時は中国地方総監府に接収されていました。1949年に広島大学が発足すると、理学部1号館として使われるようになりました。1991年に理学部が東広島キャンパスへ移転した後は空き家となり、キャンパス跡地の現東千田公園に残されています。
いまの東千田キャンパスには、経済学部と法学部の夜間コース、大学院社会科学研究科マネジメントコース、法科大学院などが置かれています。
ここにメインキャンパスを残しておいた方が便利だったし、学生もよく集まっただろうにと、今さらながら思います。移転したせいで、街の中の大学文化が失われたことは間違いないでしょう。たくさんの下宿がなくなり、学生相手の飲食店も減ったはず。わずかに残る古本屋さんが、当時を偲ばせます。