チューリヒ、そして広島

スイス・チューリヒに住んで(た時)の雑感と帰国後のスイス関連話題。2007年4月からは広島移住。タイトルも変えました。

負け年

2008年11月30日 16時52分47秒 | Weblog
いくら、勝負は時の運とは言っても...。

今年は「負け」の続く1年です。

星野JAPANは見事に敗退(そうなるんじゃないかと思ってはいたが)、
Tigers は、よりによって Giants に大逆転負け(何度思い出しても不愉快)、
そして、KG Fightersは立命館に完敗。流れの来ていたところで関学にはミスが出た。それが立命館にはなかった。地力で劣る側がチャンスを逃しては、勝てないのも道理。後半は一方的にやられてた。

そういえば、高等部Fightersも、全国大会2回戦で立命館宇治高校に負けたのでした。

救いは関学ラグビー部の関西優勝。歴史的快挙です。



黒電話

2008年11月22日 18時37分18秒 | Weblog
この写真を見て、「懐かしい!」と思うか、「何じゃこれ?」と思うか。

なぜか紙屋町のデオデオ1階にあるAUショップでこの電話が展示されていました。ケータイの横にでんと鎮座しているこの黒電話、存在感のあること。

昔はどの家にもあったけど、今はほとんど見られない。「黒電話」と言ったら、黒いケータイのことだと思うヤツまでいる始末。先日ある授業で、「自宅に黒電話のある人」を尋ねたら、43名中1人だけいたのでびっくり。いるんですね、今でも。

「ダイヤルを回す」とか「電話がリーンとなる」といった表現が死語となってしまった今日この頃。妙に郷愁をそそるので、つい撮影してしまいました。古い友人に遭ったような感慨が。

そういえば、サザエさんの家にはまだありますね。カバーがかけられていたような気が。

山内一郎先生献呈論文集

2008年11月17日 22時49分31秒 | Weblog
大学時代の恩師、山内一郎先生が理事長を退かれ、関西学院での半世紀にわたるお働きに区切りをつけられたことを記念して、先生への献呈論文集を編集・発行しました。11月14日に出たばかりです。

『キリスト教の教師 聖書と現場から:山内一郎先生献呈論文集』辻 学・嶺重淑・大宮有博編著、新教出版社、2008年。

英語に訳しにくいドイツ語単語の一つにFestschriftというものがあります。日本語で言えば献呈論文集ですが、英語では、ドイツ語をそのまま使っている場合がよく見られます。英語ならEssays in honour of 誰某ってことになるのでしょうが、先生の何かの記念に(退職とか、区切りのいい年齢の誕生日、日本で言えば古希とか喜寿とか)出すという意味合いが(だからFEST-Schriftなわけで)英語だとうまく出ません。日本語でも、本当なら「記念論文集」とでも言うほうが正確でしょう。

他の分野のことはよく知りませんが、キリスト教神学の世界では(でも?)このFestschriftがよく出されます。このブログでも、Ulrich Luz 教授献呈論文集について書いたことがありました。教授の70歳、80歳といった誕生日を記念して、教え子や元同僚がFestschirftを編纂するという慣習は、ドイツを中心に今でも生きています。

日本でもこれに倣ってFestschriftが出された例はいくつかあります。新約聖書学の分野では、次のようなものがありました。

『新約聖書と解釈:松木治三郎先生傘寿記念献呈論集』松永晋一他編、新教出版社、1986年。
『聖書の思想とその展開 : 荒井献先生還暦・退職記念献呈論文集』佐藤研編、教文館、1991年。

今回我々が出版した献呈論文集がひと味違うのは、「キリスト教の教師」という統一テーマを掲げ、そのテーマに沿って12人の執筆者が原稿を書いたことです。ですから、キリスト教における教師問題という、現在の日本キリスト教界で熱い議論を呼んでいる主題に、様々な角度から取り組んだ論集としても読んでいただけると思います。

(目次から)
詩編とトーラー(水野隆一)
旧約における「頭に手を置く」ことをめぐる考察(渡邊さゆり)
マタイによる福音書一三章五二節の釈義に関する一考察(澤村雅史)
イエスと律法学者(嶺重淑)
ルカ文書における使徒によるイエスの教師的働きの継承(大宮有博)
新しい教師像を求めて(宮岡信行)
ヘブライ書における同行者としての教師(ダヴィッド・ヴィダー)
新約聖書における按手の意味(辻 学)
初期教会における教師像の揺らぎ(小林昭博)
現場から考える現代の牧師(有澤慎一)
イエスの「神の国」の福音(石黒義信)
人としての牧師(榎本てる子)
「教師」イエスの原像(山内一郎)

献呈論文集としては異例なのですが、献呈される山内先生ご自身も論考を寄せて下さっています。このユニークな(編者としては自画自賛ですが)論文集が広く読まれることを願いつつ、ちょっとばかり宣伝させていただきました。税込み3990円。お近くのキリスト教書店またはネット経由でお求めを。



本棚を買う

2008年11月09日 18時39分09秒 | Weblog
自宅には出来るだけ本を置かない方針...だったはずなのですが、いつの間にやら自宅に持ち帰る本が増え、床に積まれる状態となり、ついに本棚を買いました。

辞書類や基本的な注解書類は仕方が無いと思ってましたが、論文コピーを綴じたファイルやら、テキスト類やら研究書やらを、1冊、また1冊と持ち帰るうちに、置き場所が足りなくなってきたのです。

前任校にいたときは、大学の近くに住んでいたので、仕事は極力大学ですることにしていました。したがって本も大学に固めて置くことになります。しかし今回は、自宅で仕事する時間が長くなったので、作業は自宅、本は大学という、不便な状態になっています。仕方なく、仕事に必要な本を少しずつ移動させているうちに、こういう状態になりました。

新しい本棚のおかげで、しばらくは余裕があります。が、余裕があれば、それだけ安心して持ち帰れるわけで。この新しい本棚から本が溢れるのも、おそらく時間の問題でしょう。注解書をまとめて持ち帰りたいな、なんて考えているところだし。

本が手元にないと仕事にならない商売だから仕方ない、と自分で自分に言い訳するしかありません。

黙示録注解、ついに出版

2008年11月04日 19時02分22秒 | Weblog
佐竹明先生の黙示録注解ドイツ語版がついに出版。ドイツはゲッティンゲンのVandenhoeck&Ruprecht社、新約聖書学に携わる人間なら知らぬ者はない、ドイツ語圏を代表するマイヤー注解叢書(Meyers Kritisch-Exegetischer Kommentar über das Neue Testament) からの出版です。

佐竹明先生は、ドイツ・ハイデルベルク大学に提出・受理され(1962年)、その後 Neukirchener社から出版された学位論文 Gemeindeordnung in der Johannesapokalypse (WMANT 21, 1966) 以来、ヨハネ黙示録に取り組んでこられたわけで(その間に、有名なピリピ書注解、ガラテヤ書注解、『使徒パウロ』といった著作もありますが)、この注解書はまさにご研究の集大成であり、文字通りのライフワークでしょう。80歳に近づいた先生が、質量共に充実したこれだけの注解書を仕上げられたことに、驚嘆と称賛の思いで一杯になります。日本語版(旧版)を読めば、そのレベルの高さはよくわかります。マイヤー注解叢書の編集者(当時は Ferdinand Hahn教授)が佐竹先生に執筆を依頼したのも当然のように思われます。

しかもこのドイツ語版は、いわば「ライフワークNo.1」とでも言うべきものに過ぎません。マイヤー注解叢書は、一つの文書について1冊の注解(上下巻などにはしない)という慣例があるので、1冊に納まるよう、かなり分量制限を受けたようです。先生は現在、日本語版の中巻・下巻(上巻は既刊。これはいわゆる序論に相当しますので、本格的注解は中巻からになります)の出版を準備中とのこと。一度すでに上程された2巻本の注解(1978/89年)を全面的に書き直して出されるこのたびの3巻本が、先生の「ライフワークNo.2」、そしてヨハネ注解の決定版となるそうです。

佐竹明先生のバイタリティと学者魂には、ただただ敬服するばかり。広島大学の新約聖書学を受け継ぐ人間として、これ以上の叱咤激励はないように感じました。自分には、佐竹先生のマネはとても出来ませんが、恥ずかしくない仕事をしなければと思わずにはいられません。

Akira Satake, Die Offenbarung des Johannes (KEK 16; Göttingen: V&R, 2008), 429S. EUR 79.90.

ご参考:佐竹先生の『使徒パウロ:伝道にかけた生涯』が新教出版社から再版されています。パウロについて学ぶ時の必須文献です。