夜汽車

夜更けの妄想が車窓を過ぎる

Sh'ma Yis'ra'eil Adonai Eloheinu Adonai echad.

2013年04月29日 09時23分20秒 | 日記
 たとえこの世が夢であっても私はこう祈らずにはおられない。
Sh'ma Yis'ra'eil Adonai Eloheinu Adonai echad.
Hear, Israel, the Lord is our God, the Lord is One.
これは全宇宙に響きこだましている。Sh'ma Yis'ra'eil Adonai Eloheinu Adonai echad.

この祈りの前にあってはシンクロニシティもデ・ジャ・ヴュも私には空しい妄想でしかない。美も感動もない覚醒なら要らない。理屈は空しい、感動こそが天空の真実である。

昨夜ある人にこのようなメールを送った。

午後の日が静かに翳り、木立を風が過ぎる。ウグイスがしきりに何かを語る。段丘の下、町の喧騒、気動車の音、が次第に遠くなる。時間も遠く退く。一瞬が永遠の相貌を顕わす。巨大な真実が立ち現れる。

終末もアセンションもコルマンインデックスも国体も憲法も未確認非行物体もミステリーサークルも共産主義も資本主義も独裁も独善も脅威もテロも何とか的何とかも空虚な響きでしかない。それは悪夢。やがて剥がされ微塵になって雲散霧消するだろう、とウグイスはさえずり続ける。

母親の愛の幻想

2013年04月29日 08時57分08秒 | 日記
 地母神、グレートマザー、鬼子母神、に魅入られ憑依された母親の愛の幻想・・・

 町内回覧で飼い主のないネコは一網打尽に捕らえて処分するとのこと、大慌てで拙宅の外飼い猫を捕捉、首輪をつけた。ところが2,3日するとネコの手で外せるはずのない輪っぱを外してしまっていた。
 翌朝、突然閃いた、”ああ、俺の人生とは首輪を外そうともがいた五十年だった。『特別な人でなければならない』との刷り込みとお膳立てを壊す愚かで必死の一生だった”。母は自らは愛と勘違いした自己愛によって私の首に首輪を、手に手かせを、足に足かせを嵌めた。
 私は親の保護下にある間、自分の人生ではなく母の理想を生きさせられた。もしかしたら父の理想をも。だから”生きた”と言う実感が薄いのだ。社会に出て”能力があるのにどうして発揮できないの?”と周囲から、そして当の母親からも詰られながら情けない思いで生きた。理由が判らなかったのだ。
 今は説明できる、自分でも意識しない衝動から親たちを徹底的に失望落胆させる行為を行って一生を過ごした、私は首輪、手かせ足かせを壊そうともがいたのだ。ただそれだけに費やした人生だった。