クラシックギターとリュート、バロック・リュートだが、その両方を弾いていて感ずることであるが、ギターは現世の音楽を演奏する現世の楽器、リュートはあの世の音楽を表現するあの世の楽器。
リュートの音楽は一言で言えば感動の起伏が少なく退屈である。どのような退屈さか?と言えば『嘆きも叫びも悲しみも苦痛もない、それらのものが過ぎ去った世、そこで過ごす春の午後、或は静かな昼下がり、静寂の夜中』のような世界の楽器であり音楽だ。Tombeauと言う死者を悼む音楽でさえ安らぎをおぼえる不思議な音楽だ。
一方、ギターは情感をそのままぶつける楽器で、表現力もある。リュートの音がどちらかと言えば響きに近いがギターの音はサスティーンが効く、従ってリュートよりもよく旋律を唄う。歌わせなければ音楽にならない。ヴァイスにロジー伯に手向ける嘆きの曲がある。元々バロック・リュートの曲だが現在ではギターで演奏される方が多いようだ。そのギターでの演奏を念頭にリュートでの演奏を聴くとまるで印象が異なる。
このような経験から私はリュートの演奏を聴く事に興味がない、聴くならギターである。しかし、自分でやるならリュートだ。ギターの場合は『弾いた、・・で、それが何?それでどうしたの?』になる。リュートの場合は『ああ面白かった、有難う、また明日よろしくね』となる。