夜汽車

夜更けの妄想が車窓を過ぎる

モダンギターとリュート

2017年03月30日 22時50分43秒 | 日記

クラシックギターとリュート、バロック・リュートだが、その両方を弾いていて感ずることであるが、ギターは現世の音楽を演奏する現世の楽器、リュートはあの世の音楽を表現するあの世の楽器。

リュートの音楽は一言で言えば感動の起伏が少なく退屈である。どのような退屈さか?と言えば『嘆きも叫びも悲しみも苦痛もない、それらのものが過ぎ去った世、そこで過ごす春の午後、或は静かな昼下がり、静寂の夜中』のような世界の楽器であり音楽だ。Tombeauと言う死者を悼む音楽でさえ安らぎをおぼえる不思議な音楽だ。

一方、ギターは情感をそのままぶつける楽器で、表現力もある。リュートの音がどちらかと言えば響きに近いがギターの音はサスティーンが効く、従ってリュートよりもよく旋律を唄う。歌わせなければ音楽にならない。ヴァイスにロジー伯に手向ける嘆きの曲がある。元々バロック・リュートの曲だが現在ではギターで演奏される方が多いようだ。そのギターでの演奏を念頭にリュートでの演奏を聴くとまるで印象が異なる。

このような経験から私はリュートの演奏を聴く事に興味がない、聴くならギターである。しかし、自分でやるならリュートだ。ギターの場合は『弾いた、・・で、それが何?それでどうしたの?』になる。リュートの場合は『ああ面白かった、有難う、また明日よろしくね』となる。


天国、極楽、パラダイス、あの世について・・補足

2017年03月30日 21時26分06秒 | 日記

 前記事で所謂天国、極楽浄土、パラダイス、あの世の入口まで行って戻って来た人の話も偶にある、それは多分聖書黙示録に予告記載されている神の安息の7日目が終了して総てが新しくされた世界を垣間見て戻って来たのであろうと書いた。

 釈然としないところがあった。死者に時間間隔はないからその世界に行くのは時間のワープであると無理なく理解できるが戻るについてはこちら側の世界と同調できないのではないかな?と思ったわけである。

 このブログのどこかに私は夢が殆ど百発百中に当たる、予知夢を見る、と書いている。今でも当たる。それが頭に浮かんだ。・・『そうか、予知夢が当たる事から人生は決まっているのだ』と思うようになったが、世界も行く末は決まっている、シナリオは既にあるのだ、神が『人々の眼から涙を拭って下さる』世界はもう決まっているのだ、死者はそこに到着する、彼、彼女はそれを予知夢として幻視するのだ。