夜汽車

夜更けの妄想が車窓を過ぎる

聖書に謂う天国と仏教の極楽と下世話に言うあの世について

2017年03月29日 19時04分04秒 | 日記

最近ジェームズ・ヴァン・プラグ氏著、中井京子氏訳の【天国との会話】を読んで非常に大事な事が閃いたので書き留める。

その4章【死・・故郷への旅路】、5章【霊界】に人は死後【アストラル体】なるものを身にまとってあの世に行き、様々な指導を受けながら生きる、その世界は今我々が生きている世界と同じく実態がある、と言ったような内容である。

そこでふと疑問が浮かんだ・・・聖書と違うのではないか?聖書は徹頭徹尾地上世界の事を述べている、例えば創世記の1章はこう述べる。

1:26 神言給けるは我儕に象りて我儕の像の如くに我儕人を造り之に海の魚と天空の鳥と家畜と全地と地に匍ふ所の諸の昆蟲を治めんと 
1:27 神其像の如くに人を創造たまへり即ち神の像の如くに之を創造之を男と女に創造たまへり 
1:28 神彼等を祝し神彼等に言たまひけるは生よ繁殖よ地に滿盈よ之を服從せよ又海の魚と天空の鳥と地に動く所の諸の生物を治めよ 
1:29 神言たまひけるは視よ我全地の面にある實蓏のなる諸の草蔬と核ある木果の結る諸の樹とを汝等に與ふこれは汝らの糧となるべし 
1:30 又地の諸の獸と天空の諸の鳥および地に匍ふ諸の物等凡そ生命ある者には我食物として諸の靑き草を與ふと即ち斯なりぬ  
1:31 神其造りたる諸の物を視たまひけるに甚だ善りき夕あり朝ありき是六日なり

ここには神が人の死後行くどこかを想定しているような事は一切書いてない。さらにダニエル書には次のようにある。

12:13 汝終りに進み行け汝は安息に入り日の終りに至り起て汝の分を享ん 

人は死んで【日の終わり】に報いを受ける、ような記述である。どこにも天国などと言う事は書いてない。一方新約聖書にはそれらしい記述が見える、例えばルカ伝には下記のようにある。

23:41 我らは爲しし事の報を受くるなれば當然なり。されど此の人は何の不善をも爲さざりき』 
23:42 また言ふ『イエスよ、御國に入り給ふとき、我を憶えたまえ』 
23:43 イエス言ひ給ふ『われ誠に汝に告ぐ、今日なんぢは我と偕にパラダイスに在るべし

パラダイスとは天国のことか?あの世の事か?しかしまたマタイ伝には次のようにも書かれている、曰く

25:31 人の子その榮光をもて、もろもろの御使を率ゐきたる時、その榮光の座位に坐せん。 
25:32 かくてその前にもろもろの國人あつめられん、之を別つこと牧羊者が羊と山羊とを別つ如くして、 
25:33 羊をその右に、山羊をその左におかん。 
25:34 ここに王その右にをる者どもに言はん「わが父に祝せられたる者よ、來りて世の創より汝等のために備へられたる國を嗣げ。

さらに黙示録は次の様に言う、

21:3 また大なる聲の御座より出づるを聞けり。曰く『視よ、神の幕屋、人と偕にあり、神、人と偕に住み、人、神の民となり、神みづから人と偕に在して、 
21:4 かれらの目の涙をことごとく拭ひ去り給はん。今よりのち死もなく、悲歎も號叫も苦痛もなかるべし。前のもの既に過ぎ去りたればなり』 

どこか天空か宇宙かに特別の場所が用意されていて人は死んだらそこに行くなどと、もしそれが神の意志ならばもっと直裁に書いていいはずである。

すると、上記書籍のアストラル体だの死に際して親しかった家族などが迎えに来るなどとは妄想に過ぎないだろうか?と思う。が、!かつて母に聞いた祖父の臨終の様子を想い出した。殆ど意識もうろうとなっている中、祖父は故郷を離れて以来一度も再会しなかったその父を見たのか『お父さん』と大きく叫び、眼から涙がほろほろとこぼれたと言う。その直後、見守っていた医師が『ご臨終です』と言ったとのこと。してみればジェームズ氏があながち荒唐無稽な事を言っているとも思えないし同様な記事は偶に目にする。

この書籍と聖書の記述とどのように同調できるだろうかと考えながら歯の治療に行った。施術の間、ボンヤリと空を見ながらある言葉が脳裏に浮かんだ・・・ワープ!そうだ、空間ではなく時間のワープだ!

神が創造の業を6日目に終えて7日目の休息にある。しかし聖書の記述と人類史を照合するとどうやらその7日目が尽きようとしている。人類知の社会が自壊し神が自ら手を下し始めると何が起こるか?

黙示録は言う、

20:13 海はその中にある死人を出し、死も陰府もその中にある死人を出したれば、各自その行爲に隨ひて審かれたり。

21:3 また大なる聲の御座より出づるを聞けり。曰く『視よ、神の幕屋、人と偕にあり、神、人と偕に住み、人、神の民となり、神みづから人と偕に在して、 
21:4 かれらの目の涙をことごとく拭ひ去り給はん。今よりのち死もなく、悲歎も號叫も苦痛もなかるべし。前のもの既に過ぎ去りたればなり』

近未来に【全てが新しくされた世界】が登場しそこでは死も嘆きも苦痛もない、所謂天国、極楽、パラダイス、あの世と我々が思っている世界が地上に姿を現わす。今の我々からはもうそう遠くない未来であろう。

しかし千年前に死んだ人は千年、墓の中で待たなければならない、或は安息に入っている・・この地上人間世界の時間の測り方で言えば。

ところが人は死ぬと【時間の感覚がない】、次に気が付くのは【海はその中にある死人を出し、死も陰府もその中にある死人を出した】その世界、まさに彼、彼女はそこに出されたのだ、つまり今の我々が待っているその【全てが新しくされて神が人と共に在る世】に出た、と言う事態である。つまり時間のワープで【死んだら天国に行く、昇天、極楽往生】となる。

偶々何かの間違いでそこから逆戻りした人があると、よく記事に見かける素晴らしい世界があの世である、と言う事になる。

 

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