おはようございます!
今日は爽やかないいお天気です。
本当に春はすぐそこという感じがします。
境内の隅の花壇にクリスマスローズが咲いています。
せっかく可愛いお花なのに、背丈も低いし、下を向いて咲いているので、しゃがまなければ写真も撮れません…
もっと、すっくと伸びて、眩しいおひさまの方に向かって咲けばいいのにね…
って思った瞬間、クリスマスローズが言いました。
「それじゃあ、土の上を行ったり来たりする虫たちには、見てもらえないでしょ」
なるほど…うつむく花にも、想いがあるんですね。
それぞれの暮らす場所で…みなさ~ん、今日もいちにち願生(がんば)りましょうね~!!
ねえ、こんなにも美しいでしょう。
結構ガンバっているよな~・・・
知らない間に投稿も五百を越えていました。
もう習慣になってしまっていて自然にパソコンに向かっています。
昨日の新聞の記事にブログのことが書かれていました。
自らの日記を他人に読んで貰って何が嬉しいのか・・・ってな内容でした。
確かに私もそう思うのです、その気持ちはいまでも持っていてこんなのでいいのかな~って・・・
どのような方がどのような形で読んでいて下さるか分かりません。
でもこんな戯言のような思いを書くことによってお寺に興味を持って下さっている方がおられるのも事実。
私は他のお寺さんがされているような真面目なものはできませんし、そんな力もありません。
そんなことを書くのなら最初から書いていなかったろうと思うのです。
それを重々知っている坊守、
「何でもいいんですよ!洗車日記って造ってるから打ってみない!」
「ん~、洗車・・・何でもいいん?永ちゃんのこととかでも・・・?」
坊守の手の中であることを痛感しつつ、まんまとハマり日課になってしまっていることです。
日常そのまんま・・・カッコいいことも真面目なことも書けないまんま。
お陰でとてもいいひと時になっていることです。
これがなかったら今までの思いも忘れていたことでしょう・・・
そうだったよな~、こんなことあったよな~、あっ、この思い今伝えたいよな~ってなこと。
それだけなら日記でいいじゃんって言われそうですが、日記だと絶対ここまでもっていなかったと思うのです。
読んでるよ、楽しみにしてるよ、って言われるからこそ続けられる私なのです。
単純なんですね・・・
最近ご縁をいただいているところで、
「徳正寺のブログがあるんでよ!よかったら見てみて下さ~い」って名刺サイズのブログの案内を渡したりします。
これを渡しながら、結構いいんじゃんって思ったりするのですが、お膳立てはすべて坊守、
ブログを作るのも名刺サイズの案内も全部ぜ~んぶ・・・
坊守の手の上で気持ち良く躍らせていただいていま~す。
これでいいのだ! これしかないのだ・・・
ずいぶん暖かくなりました。
このあたりでは、松山の椿神社のお祭り(椿さん)と宇和島の西江寺のご法要(閻魔さん)が終わると暖かくなる…と言われますが、その通りですね。
早朝はまだ寒いですが、日中の日差しは春のようです。
そこで、最近、寒い間怠けていた朝のウォーキングをまた始めることにしました。
まだ吐く息は白いですが、空気の冷たさと、東の山から顔を出したおひさまの光がじわ~っと世界を温めていくのを感じるのが気に入っています。
(おひさまが、冷たく凍った工場の屋根を温めてとかしています)
まあ…
実のところ…
体重体組成計とやらで、脂肪量だの筋肉量だのいろいろ計ってもらったら、身体年齢が実年齢よりはるかに上回っていたことに、かなりのショックを受けたからでありまして…
再始動!!という訳なのです。
はい、これもいいきっかけ、ご縁といただいて…
みなさま、今日もいちにち大切に願生(がんば)りましょうね!
三日前の夜のことです。
外が明るいことに気づいてベランダに出てみると、
夜空の高いところに、まんまるお月さまが輝いていました。
過不足なくまどかに満ちて、それはそれは清かに照っていました。
しばらくお月さまを見上げながら、そのお月さまの中に愛しく、懐かしい人たちの顔を重ねていました。
「会いたいなあ」「触れたいなあ」「声が聞きたいなあ」と、どんなに手を伸ばしても、お月さまには届かないけれど・・・
闇の中に佇むわたしを、そのひかりの真ん中につつんでくれているという安心感をたしかにいただきました。
それは、いつでも、どこでも、このまんまを照らし、つつんでくださる阿弥陀さまのおはたらき・・・
さて、昨日のことです。
関西にお住まいのご門徒さまとメールでお母さまのお年忌のご法事の打ち合わせをさせていただいた折に、
あのまどかに照るお月さまに、生前ずいぶんとお世話になったその方のお母さまの、本当にやさしい笑顔を重ねました・・・と送ると、
お返事に、「私も先日の満月に母の笑顔を思い出し、会いたいなあと思いました」と綴られていました。
それぞれに違う場所で、ひとつのお月さまを見上げながら・・・思いもひとつ・・・だったのです。
それに、重ねて言うならば、そのお月さまは娘さんもわたしも等しくそのひかりの中に照らしてくださっていたのです。
なんともこころがほっこりしたことです。
ありがたいなあ・・・
やさしいなあ・・・
ほとけさまって・・・
気になるよな~・・・
気になりませんか、人の目。
知らないうちに知らないところで評価されているのです。
そんなこと思うとしんどくなるのですが・・・
だから私は外面を飾るのです、顔を引きつらせながらも・・・
少しでも良く見せよう・・・「私ってこんなに優しいのですよ!」って腹に鬼を抱えながら人前に座ります。
本願寺新報を読んでいますと評価されて生きる子どもたちのことを法話で書いておられました。
「なるほどな~、分かるよな~・・・」
子どもたちはずっと評価されて育っていきます。
親の目、先生の目・・・気にしながら育つのです。
その結果、「おれ、生きていていいんだ」って思っている子どもって30%だとか・・・
何のために生きているのか・・・
親や先生の操り人形のようになってしまっている現実にしんどさを覚えるのでしょうか・・・
大人になってもそうですね、職場で評価されていきていきます。
ず~っと、ず~っと・・・
仏さまは評価なさいません・・・
良い子であろうと悪い子であろうと一人子の如く抱きしめていてくださいます。
ず~っと、ず~っと・・・
だから畏まる必要もないのですよ。
楽~に楽~にさせていただきましょう・・・
でもそこに気付かせていただくと大切にせずにはおれなくなります。
かたじけなさいっぱいで、頭の下がる人生にならせていただくのです。
鬼を抱えたまま・・・
頭を下げるのではなく、頭が下がる人生・・・
あなたの人生、どんな人生・・・?