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つねさんぽ #88‐1 浦安編

2011年05月29日 | つねさんぽ

一週間のご無沙汰です。

いかがお過ごしでしたか?富士塚探訪も終盤を迎えました。

江戸川区の富士塚をほぼ行ったように思え、今度は足立区あたりでも行かないと33の富士塚をめぐる事ができないと考えておりました。

しかし、何で気付かなかったのだろうか?橋渡ってすぐのところに富士塚あったなんて・・・。

前にも書きましたが、私の本当の名は「源 クロマティー 義恒明」人呼んで「葛西源氏の御曹司・源クロウ義恒」である事を・・・。

子供の頃、葛西源氏と浦安平家はライバルであった。しばしば、県境を越えては、ちょっかいを出していた。

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この県境ラインを越えると、源氏も平家も身の安全の保証はないわけで、やんちゃだったクロウ義恒はしばしばこのラインを超えて浦安に行ったものだった。

浦安橋の橋の上で荒武僧の弁慶とも出会ったものだった。

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旧江戸川の決戦で、つり船を飛び移りながら平家と戦い、平家から「あっ、そういう発想もありだね」と唸らせた「発想飛び」は京葉源平合戦ではあまりにも有名な話だ。

しかし、そんな義恒も一度だけ、危険な目にあった事もあった。

当時葛西は、統制が厳しく、元服前の男子が浮世絵を見る事はご法度だった。なので、義恒は、危険を承知で橋を渡り、浦安の書店へ向かったのだ。

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「ドキドキしていた・・・。」

勢いよく店に入るや否や(as soon as)浮世絵コーナーへ向かったのだが、コーナーへ着くや否や(as soon as)店のおばちゃんに

「お兄さん、まだ早い!!」

といわれ、

「あっ、間違えちゃったー・・・。」なんて言いながら切り返したものだった。

注意してくれてありがとう。おかげで人の道を外さず今に至ってます。

富士塚の話をするはずが、とんだ昔話を・・・。

今宵はここまでにしとうございます。

次回は富士塚を・・・。

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