ゆる~い毎日が好き

大好きな針仕事と、旅立ったわんにゃんたちの思い出などを載せています
(手芸のレシピも紹介しています)

母からの手紙

2014-05-12 | 頂き物
昨日は母の日でしたね。

我が家でも今のうちに親孝行をしておかなくては…とようやく自覚した息子が
ここ数年はいろいろ気を遣ってくれます。

今年は90分のマッサージに連れて行ってくれました。

自分でお金をだしてやるときは60分ですが、さすがに90分は気持ちが良く寝てしまった

マッサージの帰りに一旦家に戻り、亭主を載せて夕食へ

プレゼントは



固型のシャンプーやボディ用ソープ、マッサージ用ソープ?ボディクリームなどのセットのようです。



食事の支度から解放されてのんびり手芸三昧の母の日でした。

私の母は私が息子の年にはもうとっくに亡くなっていましたが、
母の思い出として強烈に残っている出来事があります。

21歳のころ、給料は手取り2万円もなく給料が出たら専門店へ月の支払いへ行き
(今の様にカードなどはなくて、その当時は専門店会の通帳を作り洋服などを購入し
毎月○千円と金額を決めて支払いをしていました、今ふうだとリボ払いといったところでしょうか)
家賃や光熱費を支払うと残り1万円弱でひと月つつましい生活をしていました。

そんな時、部屋に泥棒が入り引き出しに入れてあった貴重な生活費8,000円と
18金のネックレスを盗まれてしまいました。

貯金など一銭もない貧乏生活だったので母にお金を貸してくれるように電話し、
警察に連絡すると刑事が2人来て、部屋中指紋を取る銀の粉だらけにされたうえ
帰りがけには『整備工でも入ったんじゃないか?』とバカにしたように嫌味を言われ
翌日、近所の交番へ調書を取りに行くと、今度はおまわりさんからも嫌なことを言われ
散々な目にあい、私のガラスの心は(その当時はそうだったの!)ズタズタになっていた時
母から現金封筒が届きました。

一万円くらい入っているかな?
いや、もっとかな?といそいそと封を開けたら
現金8,000円と便箋一枚に大きな文字で書かれた

いつまでもあると思うな親と金

の言葉だけでした・・・

娘が傷ついて、一人で寂しく頑張っているのにこれか!

この母のひと言が私の人生の中での大きなきっかけとなり、
結婚してどんなに生活が苦しいときでも一度もお金を貸して欲しいと言ったことはありません。

長姉のところには毎月のように援助していたようですが・・・

どんな時も『困っている』とか『苦しい』と言ったことはなく
母は私が34歳の時に64歳で亡くなりましたが、父の話ですと
『母さんはお前は金持ちのところに嫁いだから何の心配もない』と言っていたそうです(笑)

遠く離れていて母が存命の時、私は生活苦で自分のことでいっぱいで
親孝行らしいものはしていないの悔いは残りますが、
父の言葉で少しは救われます。

親孝行したいときは親はなしって本当ですね。
コメント (18)
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