あいかわらず著作権について考えています。半田正夫、丸善ライブラリー、2001年。つい先日、練馬区のピアノバー店主の裁判に判決が出ました。元はクラシックの生演奏をしていましたが、客の求めに応じてビートルズなども演奏していたとのこと。日本音楽著作権協会(JASRAC)に訴えられ、結果は有罪。執行猶予三年のほか、過去十年分の著作使用料七百八十万円の支払いが命ぜられました。
どう思われますか? 筆者は、個人的には著作権法をなるべく守るように心掛けてはいますが、かつなおJASRACに怒りを覚えます。アルバイトの地元の音大生に人前で演奏する機会を与え、そしてお客を喜ばせる。その店に集まる者同士のコミュニティもあったはずです。しかし店主は著作権料支払いのため、やむなくピアノを売り、店を閉めるつもりのようです。どうして文化をひねり潰すのですか?
その著作権法、改正(改悪)がこっそり検討されているようです。まずは「保護期間の延長(死後五十年の保護から死後七十年へ)」そもそも著作物の多くは過去の創作物からヒントを得て創造されます。シェイクスピア劇も、多くは、言い伝えられた民話、時には同時代の創作から盗用されたと言われています。創造の源泉は、他人の創作/豊穣な海にあったりするのです。文体、コード進行、何かを作る人間なら思い当たるはずです。
なので、欧米に倣うと言いつつ、単なる利権を死守するための保護期間延長は首肯できかねます(かのランドもあるネズミの会社は、自分らの利権を守るため米国議会に圧力をかけ、期間延長を勝ち取りました。そんな欧米の事情に追従して日本も、なんてのはナンセンスの極みです。というか”欧米がこうだから日本もうんぬん”式の思考回路はいい加減にうんざりなのです)。
もう一個、地味ながら重要な改正案があります。それは「著作権法違反への非親告罪の適用」です。つまり、いままでは、違反に対して著作権者(およびその代理者)が訴え出ることで、著作権法違反は成立しました。冒頭のピアノバーの場合も、店を訪れたJASRAC職員(著作権者)によって訴えられ、有罪にまでなってしまいました。
これが非親告罪となれば、そんなものでは済みません。音楽どころか、こうして日々書かれるブログも摘発されかねません。酷い話になれば、あのブログは気に喰わない、あの音楽バーは気に喰わない、で違法を密告(法律なぞはその気になればいくらでも適用範囲を拡大できる道具なのです)。そして、警察による摘発。
個人情報保護法のときも、どういうわけだか法律ができた途端、過剰に反応するひとがいて、ついには小学校の連絡網も作れない始末。人間関係まったく息の詰まる世の中に感じます。著作権法も改悪されれば、表現しようとする度にびくびくしなければならなくなるでしょう。
ひととの関係も、うたを唄ったり、ことばを発することも、ほんとはもっとおおらかで、たおやかなものではないでしょうか。もしもこのまま、あまりに無茶な法律ができたら、筆者は意識的にそれを破ります。
どう思われますか? 筆者は、個人的には著作権法をなるべく守るように心掛けてはいますが、かつなおJASRACに怒りを覚えます。アルバイトの地元の音大生に人前で演奏する機会を与え、そしてお客を喜ばせる。その店に集まる者同士のコミュニティもあったはずです。しかし店主は著作権料支払いのため、やむなくピアノを売り、店を閉めるつもりのようです。どうして文化をひねり潰すのですか?
その著作権法、改正(改悪)がこっそり検討されているようです。まずは「保護期間の延長(死後五十年の保護から死後七十年へ)」そもそも著作物の多くは過去の創作物からヒントを得て創造されます。シェイクスピア劇も、多くは、言い伝えられた民話、時には同時代の創作から盗用されたと言われています。創造の源泉は、他人の創作/豊穣な海にあったりするのです。文体、コード進行、何かを作る人間なら思い当たるはずです。
なので、欧米に倣うと言いつつ、単なる利権を死守するための保護期間延長は首肯できかねます(かのランドもあるネズミの会社は、自分らの利権を守るため米国議会に圧力をかけ、期間延長を勝ち取りました。そんな欧米の事情に追従して日本も、なんてのはナンセンスの極みです。というか”欧米がこうだから日本もうんぬん”式の思考回路はいい加減にうんざりなのです)。
もう一個、地味ながら重要な改正案があります。それは「著作権法違反への非親告罪の適用」です。つまり、いままでは、違反に対して著作権者(およびその代理者)が訴え出ることで、著作権法違反は成立しました。冒頭のピアノバーの場合も、店を訪れたJASRAC職員(著作権者)によって訴えられ、有罪にまでなってしまいました。
これが非親告罪となれば、そんなものでは済みません。音楽どころか、こうして日々書かれるブログも摘発されかねません。酷い話になれば、あのブログは気に喰わない、あの音楽バーは気に喰わない、で違法を密告(法律なぞはその気になればいくらでも適用範囲を拡大できる道具なのです)。そして、警察による摘発。
個人情報保護法のときも、どういうわけだか法律ができた途端、過剰に反応するひとがいて、ついには小学校の連絡網も作れない始末。人間関係まったく息の詰まる世の中に感じます。著作権法も改悪されれば、表現しようとする度にびくびくしなければならなくなるでしょう。
ひととの関係も、うたを唄ったり、ことばを発することも、ほんとはもっとおおらかで、たおやかなものではないでしょうか。もしもこのまま、あまりに無茶な法律ができたら、筆者は意識的にそれを破ります。