仕事詰め

2007-02-27 23:34:17 | 雑事
YEAH! みんな元気でやっているかい?ボクはいろんな案件に追いまくられる毎日ダヨ、HAHA! 明日の泰兵衛サンでのライブ、今月も聞きに行くのはムリみたいダ。

SAX吹かなきゃ生きてるのかそうじゃないのか、わからなくなっちゃうじゃないか。「NO MUSIC, NO LIFE」HEY!みんな、音楽を楽しもうゼ! 楽器ひけるヤツはすべからく持つべし! NONO BABY!ひけない可愛いコちゃんは踊ってくれればOKサ!

『快楽なくして何が人生』

2007-02-26 11:44:23 | 書籍
ここに書くようになって、少し読むものが変わってきました。いままではただ読みたいもの、勉強のためのものを選んできましたが、せっかく書くのだからバリエーションに富んだものを、という視点が加わりました。これはこれで楽しいものです。

さて本日はSM文学の巨匠、団鬼六です。幻冬舍新書、2006年。べつにSMファンじゃないですが、世の中のアウトロウに関心を持つ身としては団鬼六は外せないかなって感じです。七十五歳の著者が語った自叙伝。そして、やはり文章が面白いです。どこか自伝的だった色川武大(阿佐田哲也)「ひとり博打」も、そうでしたが、独特の語り口があるのですね。

変態性欲の話は、最後の最後に相模湖畔の乱交専用民宿の話が出てくるだけ。あとはなんだか親戚中で鼻つまみ者だったやんちゃなおじさんに酒呑みながら面白い話を聞かされているような感じです。そんなおじさん、大好きです。

「何しょうぞ、くすんで一期は夢よ、ただ狂え」「ただ遊べ、帰らぬ道は誰も同じ、柳は緑、花は紅」まえがきでぶちあげる小唄の一節のとおり、団は相場師の父に引きずられるまま借金を作り、夜逃げをするようなそんな青春時代を送ります。

やがて生活費のために小説を書くようになり、相場小説として文壇のなかでそれなりの地位を得ます。しかし金ができた途端、酒場経営に手を出しホステス全てと関係を持つような有様で破綻。三浦三崎で今度はなんと教師になってしまいます。その地で妻をめとり、子をもうけます。

そんな生活を三年続けた頃、以前にぼちぼち連載していたSM小説の金字塔『花と蛇』が話題となり、東京へ舞い戻り作家生活を再開。その後はポルノ女優谷ナオミを見いだしたりと、エロ街道を突き進みます。

ただ、とんでもなく傍若無人なエロ怪物を想像していたのですが、自分の元愛人と、彼女を斡旋したポン引きの男、二人に結婚したいので仲人を頼みたいと言われると、それはとても道理が通らない非常識だと言ってあわてふためいて固辞したりもしています。

自分はSM的傾向は極めて微量なほうだ、SM小説は単なる自慰にすぎない、と言ったりするなど、ある意味神格化された自分を否定してもいます。冒頭に書いた阿佐田哲也とどこか比べながら読んだのですが、阿佐田も雀聖と呼ばれながら、実は麻雀の腕は裏稼業ではとても喰っていけないレベルだとも言われています。マニアから神格化されるのは、本人にとってつらい部分があるのではと勘繰ってしまいました。

定例会、そのほか

2007-02-25 22:56:58 | 雑事
昨日。昼間たまった仕事をかたづけて、夜はミルトモ定例会でした。皆さん大変お世話さまでした、店長のムサシさん、ありがとうございました。やあよく呑みました。呑みすぎたかなあ。反省。三時まで呑むと次の日つらいです。節度を持って呑みたいところです。

本日は実家でサックスの練習をした後、埼玉に戻って参りました。バンドのほうも落ち着いてきましたし、ぼちぼちジャズを習いに行きたいな。会社の近くの白山でやっているところがあるようです。新宿まで足をのばせば、よりどりみどりにあるようですが、あんまり遠いと気力が続かない気がします。

ジャズの是非はありますが、ノイズ/フリークやるにも、あるいは分かり易く美しいメロディー奏でるにも、多少は理論のバックボーンがあったほうがいいかな、と思うんです。前衛やるにも基礎的なデッサン力や自然主義的な描写力も必要な、絵の世界と同じと考えています(もっとも、ポップな人たちは違うようですが。筆者、マティスが好きなので(彼の切り絵”ジャズ”シリーズは絶品です))。

本と音楽の雑感あれこれ

2007-02-24 00:57:45 | 書籍
最近の電車。携帯音楽プレイヤーのシャカシャカ音みんながみんな、とてもひどい爆音になっている気がします。シャカどころか、曲が丸聞こえです。おとなしそうな女の人がハードロック聴いているのはいいにしても、頭の薄いおじさんがユーロビート、どうかと思って顔を見てしまいます(実は同じぐらいの年なのかもしれませんが)。

それはともかく、耳がどうにかなるのじゃないでしょうか。私見ですけど、特にデジタル圧縮された音はとても耳に悪い気もします。耳は元に戻りませんよ。筆者は父方が難聴の血筋なので、とにかくイヤホン音楽は自粛しております。じじいになっても音楽やりたいですから。

そういえば電車内で漫画週刊誌を読む人もずいぶん少なくなりました。「月刊少年ジャンプ」休刊だそうですね、ご苦労さまでした。いよいよ出版界、漫画にも頼れなくなってきました。最近、本屋さんに行くと、出版社か取次の営業さんらしき人が店長さんと話をしている姿が目につきます。それだけ作り手も必死ということでしょう。まあ、自身が営業になるまで、そんなのあまり気にしなかっただけかもしれませんけど。

一般雑誌も広告媒体としての価値がずいぶん低下しているようで、広告取り企業まわりの営業さんは大変そうです。ネットなどの影響なのでしょう。いっぽう駅では「R25」などのフリーペーパーは見る間に無くなっていきます。感心して、駅のスタンドの前でその様子、ぼんやり眺めていました。

お茶の水界隈を歩くと、ギターを背負った少年少女たちがたくさん歩いています。みんな「プロ指向」なのでしょうか。ああ「プロ指向」甘美な響き。ただパンクとフリーの後の痩せた土地を背景に、音楽をやるのはとても難しい気がします。ましてやプロ、何をか言わんや。でも応援しますよ。可能性があるかぎり。

しっかし、本を書くにも、音楽を作るにも、絵を描くにも、政治をやるにも、まずはお笑いタレントを目指すのが一番の近道な気がしています。なんだかバカ臭いですね。筆舌に尽くし難くバカ臭い。

ほかのページ

2007-02-23 00:07:28 | 雑事
こそりとほかのページを作ってみました。 http://www.myspace.com/1000433237 

こちらは友だちのふもとくんが作っていたので、見よう見まねで作ってみました。音源も流れますので、お手すきの方よかったらご訪問くださいまし。ただし、いきなり音流れますので、どうぞ音量にはご注意を(パソコンからしかアクセスできないかもしれないです。携帯からご覧の方、ごめんなさい)。

それから、話題のミクシィにも実はしばらく前から入っています。ご加入の方は、どうぞ筆者の本名にて検索してみてください。そちらはあまり手を入れてませんけど。

どちらも最終的には、こちらのブログにリンクするようになっております。あっちこっちにはとてもじゃないけど書けないので。

季節のうつろい

2007-02-22 01:15:02 | 雑事
三寒四温とも言いますが、やけに暖かい日、すごく寒い日、日替わりでやってまいります。季節の変わり目は、体調を崩しやすい時期、どうぞ皆さんお気をつけください。春はもうすぐです。

このように述べるその舌の根も乾かぬうちなのですが、いままでコタツでうたた寝をしておりました。身体に良くないですね。さらにまた、滅多に電車で寝ないのですが、本日は熟睡してしまいあやうく乗り過ごすところでした。とにかく眠いんです。


『偽書「東日流外三郡誌」事件』

2007-02-20 23:17:41 | 書籍
斉藤光政、2006年、新人物往来社。新聞の書評でみつけ、買い求めました。著者は青森の地元新聞「東奥日報」の記者。「東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)」という謎の古文書について、彼が重ねた取材をまとめたものです。

「東日流外三郡誌」中世津軽の歴史と伝承を集め、江戸時代に編纂されたとされています。その物語は遠く古代にまでさかのぼります。日本国主流派の邪馬台国~大和朝廷に対し、東国にて荒覇吐(あらはばき)神をあおぎ「まつろわぬ民」と知られる縄文族の末裔、蝦夷(えみし)の人々と、そのリーダー安倍氏。

日本古代の裏面史とも言える内容になっていて、それはそれで魅力的です。東北の地は中央に対する強いコンプレックスを有し(東北弁は最近まで嘲りの対象であった気がします)、その反面として、宮沢賢治や遠野物語など東北の原日本的な風景は憧憬の対象にもなっています。

『市浦村史資料編』として、まあ公文書として考えて良さそうな(実はそうでもないのですが)、役所発行の村史に収録されるにいたって「外三郡誌」は一定のステータスを得ます。現首相の安倍晋三の父、安倍晋太郎も、蝦夷安倍氏の子孫と持ち上げられ、彼らをまつる石塔山荒覇吐神社を訪問したそうです。

ところがどっこい「外三郡史」は発見者である和田という人物によるでっちあげ、偽書だったと著者は指摘します。その論拠は、筆跡が和田氏と一致すること、古文書の中に用いられる知識、絵図などが明治から甚だしくは戦後のものから引用されていることなど、枚挙にいとまがないようです。荒覇吐神社も彼による建立です。

真書/偽書をめぐって、学者や郷土史家、アマチュア史家、マスコミが喧々愕々の論争を繰り拡げたようです。ただ学者といっても、古田武彦や安本美典といった半アマチュア学者、原田実のようなサブカルライターのような者たちで、その道の権威と呼ばれる人々は黙殺を決め込んでいたようですが。

結局のところ論争は、真の東国縄文文化ともいえる三内丸山遺跡が発見されたことで沈静化したようです。しかし、偽書/贋作のたぐいが受け入れられるのは、それを必要とする人々がいるということだと思います(「外三郡誌」は言わせる人に言わせれば五流の偽書とのことですが)。

誰もが持つ郷土愛、筆者にはまるでそれが薄いのですが、恐ろしいほどに執着する人もいます。それが村おこし町おこしの開発/利権と結びつく時、堂々たる砂上の楼閣が築かれることになるのかもしれません。ところでまた、”国家”も平然と歴史を捏造することがありますね。

ライブ報告、そのほか

2007-02-18 23:33:10 | 音楽
昨夜の高崎フリーズでのライブ、うちらの出番予定が十二時半、それが押して午前二時開始でした。いやあ、疲れました。出演者が十六組ぐらいいて、地元組はリハもなかったので、出来は正直よく分かりません。自分自身のサックスは良かった方かなあ。でもバンドはバランスですからねえ。

裏の路地にはボコられている人、警察に職質されて指紋とられる人、さらには頭からだらだら流血させている人、わはは、いつものとおりです。しっかし若い衆は元気です。おじさんは身体がきついですね。帰宅は午前五時だもの。

今日は群馬の実家から埼玉に帰ってきました。ああ、明日からまた仕事か。慌ただしいです。今『偽書「東日流外三郡誌」事件』を読んでいます。偽書/贋作といった言葉にとても惹かれるのですが、この本も面白いです。そのうちレビューします。

なんだかまとまりなく。

ライブ

2007-02-17 13:40:35 | 音楽
今日は高崎フリーズでライブです。ダイナマイトのほうです。そろそろ群馬に出発せねば。サックス触るのも久しぶりなら、バンドのみんなと会うのも久しぶりな気がします。大丈夫でしょうか。

まあとにかく、サイコスに混じって、ハードコアサイコビリーで盛り上がってきます。さあ、呑むぞー。

『相対性理論と量子力学の誕生』

2007-02-16 23:56:37 | 書籍
S47、講談社、アインシュタイン、シュレーディンガー、ガモフほか、谷川安孝、中村誠太郎編・監訳。現代物理学の本を読むのが好きです。ただし数学は全くできませんので、物理学史、あるいは学説史という文系の読み方になってしまいますが。この本は「現代物理の世界」シリーズの一冊。実際に物理学の世界を変えた大物が書いているので、気に入っています。

電子や光子といった、極微の世界では物質はとても奇妙な性質を帯びます。「粒子であるとともに波である」こと、それは粒子がゆらゆら動めいているのではなく、またたくさんの粒子が大きな流れとして波を形成しているのでもありません。それは文字通り”粒子であるとともに波である”としてしか捉えられません。想像されることさえ拒む世界です。

人間の大きさのレベルでは、存在し得ない様態なのですが、じっと手を見るその細胞よりもさらにとても小さなレベルでは起こっていることです。量子飛躍と不確定性原理によって、エネルギーは連続せず飛躍し、しかもそれを”見る”ように知ることはできません。

確率分布は薄く広くひろがり、トンネル効果によってエネルギーの壁を越えます。もしも人間のレベルでそれが起こったら、それこそ「イヌの糞が大爆発をおこす」ような事態になるでしょう。いっぽう、アインシュタインによって、エネルギー/質量/重力が同じもの切り離せないものとされ、かつ相対性理論によって”時間”の本質にメスが入れられます。

現代物理学は哲学の主要な柱である「認識論」「存在論」へと限りなく接近します。この世界観は人文科学や芸術・文学にも多くの影を落としました。ニュートンの古典物理学から、どこまで遠くに来たことでしょう。

かつ科学技術としてわたしたちの世界にも応用されます。人類を何千回何万回も死滅させられる核爆弾を生み出し、コンピューターに代表されるエレクトロニクスを発展させ情報革命を起こしました。現代物理学の双子の姉妹だと思っています。

長距離爆弾の弾道計算のために計算機が生み出されたのは、なんとも皮肉であるとしか思えません。そして、いままで語ってきたことは、すべてこの百年の間に起きたことです。なんという時代にわたしたちは生まれてきてしまったことか。核の脅威がある限り、世界はいつまでたってもポスト・ウォーの只中です。

2007-02-15 22:55:12 | 雑事
今日は接待で、取引先の方と呑んでいました。ブログ書く気が起きませんので、ずいぶん前に書いた絵を公開いたします。あ、気づけばあさってライブです。なにもやってません。困りましたね。


『不思議図書館』

2007-02-14 23:47:29 | 書籍
今日は寺山修司です。角川文庫、昭和59年。アングラ劇団「天井桟敷」を横尾忠則とともに立ち上げ、前衛劇を作演出する一方、作家・俳人としても知られています。作詞家でもあり、カルメン・マキ「時には母のない子のように」を作詞するなど、七十年代日本歌謡にも大きな影響を与えています。

そんな彼が古書屋を巡り、手に入れた一風変わった書籍から奇妙な逸話を紹介するのが本書です。賭博、推理小説、殺人(自殺)、さらにはサディズムやフェチシズムのような倒錯変態性欲、畸形の人々にまつわるエピソードなどが、挿絵とともに紹介されています。

「好奇心の飛行船に乗って、書物の中の「不思議の国」を旅する私は、もはや女装した中年のアリスのようなものかもしれない」「「不思議図書館」司書 寺山修司」。ただ筆者の印象では図書館というより、鼻につくほどインチキ臭い見世物小屋といった感じです。大仰かつ俗悪で、でもそれが魅力。”天才”寺山修司の印象とダブるかもしれません。

どうにも奇妙で昼間の世界には出られず、夜のそれも底のほう、地中の下半身に存在する事物や人々。そんなものはどうにも陰々滅々、鬱々で、かつひどく好奇心をかき立ててくれます。しっかし、ステージで脱糞したりマス掻いたりなんだかどんづまりなパンク聴きながら、寺山修司や安吾読んでる筆者はとってもくらいですね、くらいです。

パンク漬け、あるいはジョン・ゾーン

2007-02-13 23:56:54 | 音楽
足利みちろうさんの影響を受けて、こないだザ・スターリンのアルバムを買ってきたのですが、本日は仕事の合間にじゃがたらのアルバムを買ってきました。思いがけず、ジョン・ゾーンが一曲サックスを吹いていて、めっちゃフリーキーでした。ああ、そういえばゾーンと山塚アイは「ネイキッド・シティ」で一緒にやっていたっけ。となるとボアダムスも買ってこなけりゃ。

頭脳警察とフリクションは中学生の時に、好きな友だちがいたので聞いていました。町田町蔵はここのところのフェイバリットです。さらに、いかさんの流れでジャックスも良く聴いています。なんだか、あらためてあちこち猟歩しています。

恥ずかしながら、サックス吹きとしてはジョン・ゾーンの影響をすごく受けていると思います。あちらはアルトですけど。端正なジャズ/バップもできるのに、デスメタルもやれば、茶化したようなポップやったりもします。かと思えば自分の出自を探求するかのようにジューイッシュ音楽やってみたり、音響系の楽曲もありますね。もちろんフリーも。

ヘンな外人で、日本アイドル歌謡曲の大マニアで、それで日本語を覚えて、一時期高円寺あたりに住んでいたようです。脱領域な音楽性と、ノイズ/フリーク・前衛指向。へんな人です。しびれています、ずっと。

『蕎麦ときしめん』

2007-02-12 23:57:06 | 書籍
昨夜は、わんずほうむさんでサックス吹いて参りました。大変楽しかったです。皆さん、どうもありがとうございました。十二時頃、場が落ち着いてきたので退座させていただき、でも呑み足りなく、かつセッションで気も昂っていたので、ムーリンさんに行って少しだけ呑んでました。

さて、『蕎麦ときしめん』は清水義範、講談社文庫、1989年。表題作で作者は、名古屋の地域雑誌『しゃちほこ』に掲載された論文を紹介しています(と称しています)。

「名古屋の十九歳の少年は、月給が八万円の時に、クラウンのハードトップを持っていた。彼は収入のほとんどを車にかけ、車内にぼんぼりを吊るし、マスコットを吊るし、シャンデリアを吊るし、干し柿も吊るす。そしてピンクの車内灯をつけたのだから、車内にすわると、まるで節分まつりの日にピンクキャバレーへ来たような具合であった。」

「これが三十歳を超えて、中小企業ながら重要な役職につく人ともなると、三百万、四百万の国産高級車(原註:もちろんトヨタである。名古屋人はトヨタ以外の車を知らないし、外車などは存在することも知らない)を持つことが普通である」

東京から名古屋へ長期出張に来たサラリーマン、鈴木氏によって書かれた”名古屋体験記”が、まあ強烈な皮肉と言うか、郷土精神への攻撃と言うか、そんな感じで書かれている訳です。ほかにも名古屋人は、誰に聞いても名古屋出身の有名タレントのごく親しい人と知りあいであり、中日はなにがあっても貶してはならず、”蕎麦屋”は存在せず、きしめんが大手をふるっているという具合です。

実はこれ、アメリカによる日本文化論『菊と刀』などの、パロディ(形式に強く執着したという意味でパスティーシュとも呼ばれます)で、アメリカのドタバタ小説やハイブロウなところではボルヘスあたりにつながる作風なのですが、そんなことは考えずとも、ひたすら吹き出させてくれます。「商道をゆく」はワンマン会社の社史(あるいは、プロジェクトX的な世界)、「三人の雀鬼」は『麻雀放浪記』の、それぞれパロディ。爆笑物です。

わんずほうむさん

2007-02-11 15:47:21 | 音楽
金曜日は、ちょいとお仕事で嫌なことがあったので、館林で呑んでおりました。ここも行き始めてから十年ぐらい経っていると思います。はい、新しいお店を開拓することにかけては、大変に腰が重いのであります。頭が固く保守的なんでしょう、なにしろ今時ぶんがくかぶれですから。

べつに仕事の話なんかしませんが、まあ変わらない顔ぶれがいるというのは、落ち着きます。ほっとできます。土曜日は倉庫でこまごました仕事をして、やっと今日お休みになりました。明日も休みです。

これから、太田わんずほうむさんへ行ってきますね。いかさんも行かれるとのことですし、気楽に呑んできます。もしかしたら、サックス吹いちゃうかもです。わーい。